「英國人不平言いまくり率が欧州ダントツ1位」のニュースと、小説「ハイ・フィデリティ」の事後部分から妄想したどうしようもない英と米です。
遠回しにいかがわしい部分があるのでご注意ください。ダウニーはグッドスメルな柔軟剤です。更なる言い訳は雑記にて。






F a r e w e l l   t o   t h e   a r k






 眼を覚ますと、すぐ隣に、よだれを垂らして寝ているアメリカの顔を見つける。アメリカは服を着ていない。でも、これは、騒ぎ立てるようなことじゃない。
 夜には魔法がある。それは確かだ。闇には大抵の欠点が隠れるし、静寂の中では自分が世界の主人公になったように感じられる。他の誰もが寝ている今がチャンスだ、今しかない、という妙な焦燥感も生まれる。もちろんそれに加えて、肝臓がとても処理しきれないと悲鳴をあげる量のアルコール。それらすべてが積み重なって、とんでもないことをしでかすことは、よくある。
 だからこれは、酔っぱらって盛り上がったあまりに、知らない店の看板をはがして持って帰るとか、そういうちょっとした過ちと大して変わりない。朝起きたときに何故か自宅の床に転がってる看板。朝起きたときに何故かベッドの隣に裸で転がってるアメリカ。そこに、大した違いはない。こういう過ちを繰り返して人は大人になっていくんだろう。今何歳かもうよくわからない俺が偉そうに言うことじゃないかもしれないけど。

 言っておくが、俺はちゃんと、昨日、何があったかを覚えている。記憶をなくすこともたまにあるけど、今回に限っては呪わしいほどにしっかり覚えている。だから、身に覚えのない事実に狼狽したりすることはない。ただ、自分のしでかしたことに、虚ろな気分になるだけだ。
 まず、夜、アメリカが突然家に来た。それで、特にすることもないから酒を飲んだ。いや、違う、アメリカが家に来た時点でもう俺は酒を飲んでいた。アメリカは俺がひとりで飲んでることについて寂しい人間だと言ってきて、俺はそれに反論して、毎度のことながらどうしようもない言い合いが続いた。ムカついた俺は「おまえ昔はあんなにかわいかったのに」と一緒にソファに座っていたアメリカを何度も蹴って、アメリカは「いい年してそんな子供っぽい真似やめてくれよ」と俺の足首をつかんだ。そのアメリカの手の体温に、俺の中の何かが発火した。その火がアメリカのことをムカつくけど愛しいと思う感情に延焼して、アセトアルデヒドと化学反応を起こし、いつもとは違う方向にスパーク。気がついたら俺はアメリカにキスしていて(注:もちろん世界一のテクニック)、突っ込みこそしなかったものの、あちこち触ったり舐めたり、献身的に大サービスしてしまった。アメリカも最初は驚いてたけど、悪くはなかったみたいで、若さと特有のノリで応えてきた。ハレルヤ。暗がりでは何もかも素晴らしく見える。余裕のないアメリカ。低い声で呻くアメリカ。手塩にかけて育てた義弟の、これまで見たことのない姿。俺やべえな、今、すげえ悪いことしてる、という背徳感が脳を突き上げて、興奮は頂点に達する。誰だって、飛んでるときは足元なんて見ない。

 目を閉じたまま一連の記憶を辿ってると、アメリカが目を覚ます気配があり、俺はとっさに背を向けて寝たふりをした。身動きをするような衣擦れの音がしばらくしたあと、アメリカは俺の肩を揺すって「イギリス、起きてる?」と聞いてきた。寝たふりを続けたかったけど、いきなり肩を触られた時点で驚いて動いてしまったから、もうごまかしようがない。まともな返事をする代わりに、眠気を訴えるようなうめき声で応えた。
 アメリカは俺のそのうめき声に対して、「おはよう」と言った。ふと、こいつが小さい頃、いつでも挨拶はきちんとするようにと教育したことを思い出した。たとえ義兄と一線を越えてしまった次の朝であっても、その教えは守られるらしい。俺のしつけってすげぇな。

 背後からアメリカが身を起こす音が聞こえる。メタボなせいでこいつが動くといちいちベッドがきしむんだ。アメリカは大きなあくびをして、そのあと息を吐くと、
「なんかさ、君、昨日すごかったよね」
と、そう言った。「すごい」といっても、それは、テクニックをほめる意味合いでも、情熱をほめる意味合いでもない。ワンダフル、マーベラス、そういう純粋な賛辞とはまったく違うニュアンスだ。言うなれば、交通事故現場に出くわした人が、あとで「すごいの見ちゃったよ」と語るような。もしくは、BBCの自然ドキュメンタリーでライオンがガゼルをむさぼる映像を見ていて、ふと出る言葉「うわ、すごい」とか、そういう類の。自分から離れたとこで行なわれる、壮絶な出来事に対する素朴な感想、そういったニュアンスだ。アメリカにとって、そういう意味で、昨日の俺はすごかったらしい。なるほど。よくわかった。ああ、もう、死にたい。せめてここから一瞬にして地球の裏側までジャンプしたい。

 しかしいくら願ったところで、そう簡単に死んだり消えたりできるわけもないので、仕方なく俺もゆっくりと上半身を起こした。頭が割れそうに痛む。むしろもう割れてるんじゃないかと心配になる。髪をかきむしっていると、隣のアメリカが布団をめくり上げて、「あ、シーツに染みになってる」とつぶやいた。俺は聞こえなかったふりをする。このデリカシーの無さは、本当に世界トップレベルだ。頼むから、そんなこといちいち口に出さないでくれ。染みになったのは誰のどの液体かなんて考えさせないでくれ。こういうときは、たとえ染みが奇跡的にシーツの上に見事な世界地図を描いていたとしても、一生心の中に閉まっておいてほしい。
 それからアメリカはベッドから降り、そのへんに落ちていた下着とTシャツとジーンズをさっさと身につけると、部屋を出て行った。無言で置いていかれた俺は、もう一度ベッドに横になって、両手を広げてひとりの空間を満喫してみたものの、虚しくなったので起きてとりあえず服を着た。

 リビングに行くと、アメリカはソファに座ってテレビを見ていた。興味をそそられる番組がみつからないのか、リモコンを掲げて次々とチャンネルを変えていく。そして俺に気がつくと、
「ねえ、お腹空いたよ」
と言った。そうか。あいにく俺はまったく腹は減ってない。むしろ吐きそうだ。でもそんなことで朝から言い争うのも面倒だったので、キッチンに行って、顔を洗い、コップ一杯の水を飲んでから、朝食の準備をした。ケトルを火にかけ、トーストを焼き、熱したフライパンに卵を落とす。前の晩に何が起きても、こういう毎朝の決まった作業を冷静に繰り返すっていうのは大事なことだ。散らかった頭の中身を整理整頓できる。
 混沌の夜が終わり、朝が来て、アメリカはもう、俺が口うるさく、スネ毛が生えてて骨っぽくて、ロマンのかけらもない淫蕩な元兄貴分だっていうことに気がついたのだろう。俺もこうやって明るいところで冷静になってみると、アメリカが色気とはほど遠く、ガキで、空気が読めない、ちょっとメタボな元弟だということをあらためて思い知らされた。どうして昨夜こいつ相手にあんなに興奮できたのか、今ではさっぱりわからない。そう思うと、朝は残酷だ。でも、夜よりずっと正しい評価を下すことができる。ありがたいことだ。毎日ちゃんと朝が来る理由も納得できる。

 準備ができて「飯だぞ」と声をかけに行くと、アメリカはソファでクッションを抱いてニュースを見ていた。化粧の濃いアナウンサーが次から次へと読み上げていく暗いニュース。事故。殺人。強盗。横領。雇用不安。不景気。よくもこんなに世界中でいっぺんに悪いことが起こるもんだ。こんな話ばっかり聞いてると、本当に良いこともこの地上で起きてるのか、不安になる。それにくらべたら、昨夜の俺たちに発生した事件なんて、些細なもんだ。そう思う。そう思うしかない。

 それからテーブルにつき、二人で俺が作った朝食を食べる。食欲がさっぱりない俺は、食べるというよりとりあえず何も話さなくても済むように口にものをつっこむ。アメリカはどうかといえば、昨日あんなことがあっても、普段とまったく変わらない。どんな感じかっていうと、こんな感じだ。

 アメリカの発言例:
  「イギリス、そこの砂糖とって」
  「イギリス、そこの牛乳とって」
  「このパンすごく固いね。しかも味がしないよ」
  「卵って、いったいどう調理したらこういう変な塊になるんだい?」

 俺は頼まれたものは無言で渡して、他の戯言には返事すらしない。別に、今さら料理の腕について言われても痛くも痒くもない。昨日あんなことがあったからって甘ったるい雰囲気になるのも、死んでもごめんだ。ただ、気になるのは、どうしてこいつが昨日俺とあんなことをしたっていうのに、こんなにいつもと変わりないのか、ということだ。俺は気まずさのあまり、起きてからアメリカの顔すらまともに見られないってのに。正直なところ、できるものならば、今後2年間はこいつと顔を合わせたくないくらいだ。そんな気分のときに、卵の調理方法なんて知るか。俺は悪くない。それから、パンについての文句は俺じゃなくてパン屋に言え。

「じゃあ、俺、帰るから」
「ああ」
 朝食を食べるだけ食べると、アメリカは帰って行った。あっさりしたものだ。二人分の食器を流しに置く。洗うのが面倒で、とりあえず水に浸ける。
 ベッドルームに行って、窓を開けて換気する。外からさわやかな空気が…、と言いたいところだが、空は厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。シーツをベッドから剥がして、洗濯機に押し込んだ。洗剤を多めに入れて、スイッチオン。これで昨夜の跡なんか何も残らない。ざまぁみろ。
 リビングに戻ると、ソファの上にアメリカのパーカーを見つけた。そういえば昨日、このソファの上で脱がせたんだ。他の誰でもない、この俺が。今は春で特に寒くもないけど、暑いわけでもない。あいつ、よくTシャツのまま外に出て気づかなかったな。手に取ってよく見るとパーカーは毛玉がたくさんついてて、そろそろ寿命なんじゃないかと思えた。匂いを嗅ぐと、アメリカの匂いというより、ダウニーの匂いしかしない。じゃあアメリカの匂いがどんなのかと訊かれても、うまく言えないが、すくなくともこんなにフローラルではない。それから俺はパーカーを丸めて、ゴミ箱に放り投げた。

 昨夜の証拠がほぼ抹消できたので、今度はシャワーを浴びた。ああいうことがあった次の日は、あまり自分の体を直視したくない。渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく水をじっと見つめながら、ひたすらシャワーに打たれ続ける。たしか日本のとこじゃ、こういう修行方法があるんだよな。でも俺はいくら水を浴びても何も悟れそうにないし、浄化された気もしなかった。

 風呂から出ると、携帯が鳴っていた。画面表示でアメリカからの着信であることがわかったので無視する。鳴り続ける着信音がうるさくて、マナーモードに切り替える。それでも小刻みに震える存在が気になって、クッションの下に隠した。しかし10回目くらいのコールが来たときには、さすがに無視してるのもバカバカしくなって、通話ボタンを押した。
「あ、出た。イギリス、今、寝てた?」
 しつこくかけてきたくせに、アメリカは俺が電話に出たのが予想外だ、という声で聞いてくる。
「いや、風呂はいってた」
 ちょっとした嘘。こんな嘘は罪にもならない。
「ふうん。ねえ、俺、君の家にパーカー忘れてったっけ?」
「ああ、ソファに置いてあった」
「よかった。じゃ、あとで取りに行くから。勝手に捨てないでくれよ」
「捨てねえよ」
 ちょっとした嘘、その2。こんな嘘もどうってことない。
「ねえ、君、俺に腹を立ててる?」
「………いや、別に」
 パーカーについてと同じ調子で何気なく訊かれたこの質問に、俺はとっさにそう返すのが精一杯だった。
「そう」
 アメリカが素っ気なくそう言うと、通話はそこで、向こうから切れた。おそろしいことに、こんな短い会話で3つも嘘をついてしまった。だって、今、俺はアメリカに対してものすごく腹を立ててる。理由はよくわからない。デリカシーがないから?文句ばかり言ってくるから?俺が落ち込むようにアメリカが落ち込んでくれないから?なんだか、どれも当てはまるけど、決定打ではない気がする。ただアメリカに対して腹を立てているのは確実だ。そして、それ以上に、俺は自分自身に、どうしようもなく、腹を立てている。
 俺はゴミ箱に捨てたアメリカのパーカーを引っぱり出して、広げてみた。別に汚れていないから、俺が嘘をついたことは、きっと気づかれないだろう。


 あとで、と言われたものの、具体的にはいつ来るのかよくわからない。気にすることもねぇなと思ってそのままソファに転がっていたら、いつの間にか、一時間近く眠ってしまったようだ。髪を乾かさないままだったせいで、ひどい寝癖がついてる。どうして俺の髪はいつも、重力に対して反抗的なんだ。
 鏡を前にして寝癖と戦っていたら、玄関のベルが鳴った。どうせアメリカだろうから、パーカーを持って玄関に行く。予想的中、そこに立っていたのはもちろんアメリカだ。ただ、なぜか横にリトアニアが立っていた。
「やあイギリス、相変わらず君の家のまわりだけ天気が悪いね」
「そんなん知るかよ」
「こ、こんにちは!あ、あの、庭のバラ、すごくきれいですね」
 リトアニアは賢いやつだな。会って5秒ですでに俺の機嫌が悪いのを感じ取っている。
「あ、リトアニアはね、さっき道で会ったから、連れて来たんだよ」
 アメリカがそう言ってリトアニアの肩に手を置く。パーカーを取りに来ることについては別に文句はない。急に真剣になって「イギリス、やっぱり昨夜のことについて話し合おう」なんていう展開も絶対にごめんだ。でも、どうして、わざわざリトアニアを連れて俺の家に来るんだ。こいつが何を考えてるのか、まったくわからない。
「……中、入ってくか?」
「いいよ、別に。パーカー取りに来ただけだし。じゃね」
 一応社交辞令で中に入るか聞いてみたものの、アメリカはすぐそう答えてパーカーを俺の手からはぎ取って、扉を閉める。うちのドアは年季が入った重いものだから、力を入れて閉めなくても、大げさな音を立てる。続いて、ドアの向こうからリトアニアの「お邪魔しました…」という情けない声が響き、アメリカが「ほら、行こうよ」とリトアニアをうながす声がした。
 そりゃそうだ。不機嫌マックスなオーラを出してる義兄(注:しかも昨日越えるべきでない線を越えたばかり)の家なんて、用が済んだら一刻も早く離れるべきだろう。アメリカ、お前は正しい。いつもはだいたい間違ってるけど、今の対応についてはお前が正しい。こんなことでいちいち傷ついてる俺のほうがずっとおかしい。


 リビングに戻り、またソファに寝転がる。テレビをつけると、見たことのないドラマをやっていた。見始めて10秒で、まだ話の筋はわからなくても、死ぬほどくだらない話っていうことがまず先にわかるような刑事ものだ。こんなクズみたいなドラマばっかり作られて、警察はよく文句を言わねえな。テレビを消すと、俺はリモコンを床に投げて、クッションを顔の上にのせた。クッションはアメリカの匂いもダウニーの匂いもしない。ただホコリっぽい。視界を遮られた状態で、耳を澄ますと、外で雨が降り始めた音がする。今日はこれから一日中ずっと雨だろう。開けっ放しのベッドルームの窓を閉めなくちゃいけないけど、ここから動くのが面倒くさい。早くしないと窓辺がびしょぬれになる。でも、今は、どうでもいい。いっそのこと、雨がベッドルームごと洗い流してくれないだろうか。ベッドルームだけでなく、ソファも、クッションも、テレビも、シーツが入ったままの洗濯機も、洗ってない食器も、すべて雨に流されてしまえばいい。
 すべてが流されたら、俺は一人で、天気のいいところに行きたい。雲ひとつない青空が見たい。それだけでなく、アメリカが来られないようなところ、低俗な刑事ドラマなんかやってないところだったら、なおさらいい。そうしたら、俺だってきっと、こんなホコリっぽいクッションにしがみついてないで、もっといい一日が過ごせるんだろう。







May.19.2009