その話をした数日後。アメリカが日本の家に来た。 不意の訪問はもう慣れっこで、日本がもてなすまでもなく、アメリカは日本の家で自由に休日を満喫する。テレビを見て、ゲームをし、夕飯を食べ、日本のアイスクリームの小ささに文句を言い、夜が更けると当然のように今日は泊まっていくよと宣言した。日本にはそれを反対する理由も、厳密に言えば権利もなかった。 そしてゲームのコントローラーを握りながら「今日は一晩中起きてたいな」などと言っていたアメリカが、深夜2時過ぎになって急に眠くなってきたというので、日本は客間に布団を敷いた。その姿を見てアメリカは非難の声をあげる。 「ここでひとりで寝るの?俺は日本の部屋がいいよ!」 「せっかく客間を掃除して布団も敷きましたのに」 「でも俺は日本と一緒に、一緒の布団で寝たいんだよ!」 その発言に日本はすこし驚いたものの、平静を装う。 「…私の布団じゃふたり寝るには狭いですよ」 「くっつけば大丈夫さ」 アメリカは日本の手をつかみ、引きずるようにして、日本の部屋に入った。押し入れから布団を出してばさりと敷くと、「ほら、この大きさなら大丈夫だよ!」と寝転がる。 日本もおいでよと言われて、日本はおずおずとアメリカの隣に身を横たえた。それからアメリカの肩あたりに合わせて掛け布団をかけると、体格の差から日本は完全に頭まですっぽりと布団に覆われてしまい、アメリカはそれを見て楽しそうに笑った。 布団の中に二人で落ち着くと、近距離で顔が向き合う姿勢はもちろん、上を向いて視界の端にアメリカの姿が入ることすらも羞恥に耐えられそうになかったので、日本はアメリカに背を向け、ただ壁をじっと見るようにした。日本には、アメリカの言う「一緒に寝たい」というのがどういったことを指すのかよくわからなかった。ただ友達同士で添い寝するような文化が欧米にあるのか、それとも多少はそういう、友達という線を越えたような意図を含むのか。それを今聞くのも、意識していることが相手に知られるようで嫌だった。布団に入ってからはアメリカは何もしてくる様子がないし、ただ同じ布団で寝るだけのことを深読みしすぎたのかもしれないが、次にどんな突飛な要求が来るのかわからないのはいつものことだ。そう考えていると、緊張で手足が冷たくなっていくのを感じた。するとアメリカは背中から覆いかぶさるように日本を抱きしめて、手や足をぺたぺたと触ってきた。 「日本のカラダは冷たいね。ほら、手なんて氷みたいだよ。死んでいるみたいだ。ほんとにこれで血が通ってるの?」 「失礼ですね、冷え性なだけです」 緊張しているから、などとはとても言えなかった。アメリカの触り方はまったく子供のようなそれであったが、抱きしめられた緊張で手足がさらに温度を失っていくのを日本は感じた。 「怒らないでよ、あっためてあげるから」アメリカは肩を抱く手に力をこめる。「でも、日本はいつも静かだし、きれいな服を着てるから、ときどき人形みたいに思えるんだ」 アメリカは耳元でそう囁いて日本の髪をやさしく撫でた。人形を愛でるような手つきで。日本はアメリカに見えないよう、シーツを握りしめた。心臓が、うるさい。そんなことはしないでほしかった。でも、やめないでほしかった。 そのうちに髪を撫でる手が止まり、背後から規則正しい呼吸が聞こえてきて、日本はアメリカが眠りについたことに気がついた。巻き付けられたままの腕は熱く、重く、胸を押しつぶすようで苦しい。いくら抱きしめられたままだといっても、動かして抜け出すことはやろうと思えば簡単にできた。でも日本は、腕から逃れることはしなかった。 その代わりに、腕の中におさまったまま、日本はゆっくりとアメリカの方へ向き直る。そうやって身動きをしてもアメリカが目を覚ます様子はない。ただ胸元が規則正しく動いて、心臓が動いていることだけがシャツ越しに感じられた。そのまま日本はゆっくりと、アメリカの首筋に顔を埋めた。まぶたをしっかり閉じて、鼻先を押し当てるようにして息を吸うと、アメリカの自国の風景が目前に広がるようだった。濃い青空。金色の小麦畑。赤茶けた広い大地。すべてが日本が持たないものだった。そして夢。希望。正義。自由。それらが星のようにきらきらと輝いてアメリカの景色を美しく彩っていくのだ。 氷のように冷たいままの手をゆっくりとアメリカの背にまわして、日本は呟いた。 「…私にも血は通っていますよ」 あの戦いであんなに私の血を流したあなたが、あれほど私の血を見たあなたが、今更それを聞くなんて、おかしいじゃないですか。 翌朝、日本は窓から漏れる陽の光で目を覚ました。複雑な長い夢を見ていたようで、頭がやたらと重く感じられる。寝乱れた浴衣の衿を直しながら、日本はすぐ隣にアメリカが寝ていることに気づいて、あらためて恥ずかしくなった。これでは、まるで、自分たちはそういう関係のように見える。しばらくするとアメリカが衣擦れの音に気づいて目を覚まし、起きるなり、おはよう!と日本に抱きついてきた。日本はおはようございます、と返しながら、ホールドアップしたように両手を宙に浮かせる。朝陽の下では、彼の背に手をまわすことなど、日本にはできやしないのだ。 その日の昼過ぎになると、アメリカが「そろそろ帰らなきゃ」と言った。 日本が家の外の道路まで見送ると、アメリカはここまででいいよ、と足を止める。見上げるとアメリカの青い目と明るい金髪が昼間の強い陽の光にきらめいて、日本は昨夜アメリカの首筋に顔を埋めて感じた、空と小麦畑を思い出した。何を言うわけでもなくじっと見ていると、アメリカが口を開いた。 「そうだ日本、今、俺のとこで遺跡の発掘プロジェクトを進めてるんだけど…日本は興味ない?」 「見てみなければわかりませんが…資金のお話ですか」 「うん、遺跡が思ったより大規模だったからさ。どうかな?」 「…構いませんよ。アメリカさんがしたいのでしたら、私はできる限り援助致しますから」 「よかった、ありがとう!大好きだよ!」 今度詳しい話をするね、と言ってアメリカは背を屈めると、日本の頬に音を立ててキスをした。そして何歩か先へ歩いた後にふりかえり、大きく手を振り「またすぐ遊びにくるからね!」と叫ぶアメリカに、日本は小さく手を振り返した。アメリカの姿は次第に遠ざかり、やがて見えなくなる。日本は先刻唇を寄せられた頬を冷たい手で撫でて、ふと自分がイタリアにした話を思い出した。 そう、作り話と違って実際は、健気でも純情でもない。人形をかわいがる手。経済的な問題。互いの欲求が合致した合理的な関係と、その隙間を埋めるような好意的な言葉。それだけだ。 だから実際は、誠実な愛を期待することもない。感情の赴くまま不毛な愛のために身を滅ぼしたりすることもない。絶望の淵に立たされても、悲劇のヒロインよろしく自分の喉に短刀を突き立てたりはしない。 そのはずなのに、日本は喉の奥に、短刀を刺したような息苦しさばかりが残っているのを感じた。 Mar.5.2009 |