フランスさんから「今度の俺んとこでやる会議、朝早いから前日入りのホテルとっとくね♪」との連絡を受けて、その指定されたホテルにたどりついた私をロビーで待っていたのは当のフランスさん、と、なぜかフランスさんにヘッドロックをかけているイギリスさんでした。 「なに考えてんだよテメエふざけんな」 「ちょっ、それって怒るとこ?!」 高級ホテルのロビーという場所を踏まえて、一応ふたりとも何やら小声で言い合ってはいるようですが、姿勢は明らかにリアルファイトそのもの。私にとってはいつもの会議などで見慣れた光景ではありますが、こんなところでは周囲からものすごく目立っております。追い出すべきか眉間にしわを寄せて悩んでいるドアマンの視線を遮るように、おふたりの前に立つと、私はなるべく何事でもないかのように「あ、あの、おふたりとも、おひさしぶりです!」と挨拶しました。 「あ、日本、遅かったね。最後だよ」 首をホールドされたままそう笑顔で返すフランスさんをイギリスさんが急に離し、私はよろめいたフランスさんの肩をキャッチしました。 「遅くなってすみません、仕事がなかなか切り上げられなくて…」 「いいって。あ、こいつも今来たとこなんだよ、近いくせに」 「…もともと俺は別に前日入りなんてしなくてもよかったんだよ」 不機嫌そうなイギリスさんを「そんなこと言っちゃって」とフランスさんがからかうように言うと、またイギリスさんはにらみを利かせました。背後にはまだ様子をうかがいながら立ち去らないドアマンの気配。ああ。なるべく早くこの場を去りたいです。 「あ、あの、私の部屋はそこのフロントでお伺いすればよろしいですか?」 「あー、そのことなんだけどさ…」フランスさんは言いにくそうに髪をかきあげて言いました。「ちょうど明日近くで見本市があるせいで、ちょっとダブルブッキングしちゃったみたいで…すっごい悪いんだけど、今晩だけ相部屋でもいい?ちゃんと二人用の部屋だからさ」 「はい、別にいいですけど、相手の方は…」 「こいつ」 と言って今度はフランスさんが、ぐいっとイギリスさんの耳を引っ張りました。 |
あ っ と い う 間 の 夢 の ト ゥ ナ イ ト |
「なんか、わりいな」 「いえ、私こそ…」 同室の相手がイギリスさんと聞いたときは一瞬年甲斐もなく浮かれたものの、ホテルの廊下を歩む足は自然と重くなっていきます。「ふざけんな」ですとか、「前日入りなんてしなくてもよかったんだよ」ですとか、さっきイギリスさんが不機嫌そうに繰り出していた言葉にまさか自分が関係してるとは思ってもみませんでした。確かに誰かと同室というのは気が休まらないかもしれませんが、あそこまでの言われようとは…。やはり、同様にこのホテルに滞在してるはずのアメリカさんですとかイタリアくんですとか、他の方に頼んで部屋に泊まらせてもらえばよかったでしょうか。でも、この機会は、私にとっては―――。 「えーと、部屋は…1128か」 「ここですね」 イギリスさんは同じ番号のついたドアにカードキーを差し込んで、室内の明かりをつけ、そこで急に立ち止まりました。 「…うわ、ツインじゃねえのかよ」 そう呟くのが聞こえて、肩越しに覗くと、それなりに広くて瀟洒な室内の真ん中に、キングサイズのベッドがひとつ。ひとつ。瞬時にしてよくない妄想が頭の中を駆け巡ります。 「…あの!私、床に寝ますから!」 「はあ?だ、誰もそんなこと言ってねえだろ!」 「いえ、でも私いつも床に寝てるようなものですし!大丈夫です!お気になさらず!」 「バカ言うな、お前がよくても俺が気にする!それに…これくらい大きいベッドなら一緒でも気にならねえだろ?」 「…イ、イギリスさんが気にされないのでしたら」 「…俺は、別に」 「そうですか、それでしたら…」 下手に取り乱すほうが余計に怪しいとわかってはいるのですが、つい焦って妙なことばかり口走ってしまいます。ああ、もっとごく普通に振る舞わなければ。そう思っても顔がどんどん赤くなってきてしまっているような気がして、イギリスさんのほうを見ることができません。イギリスさん、あなたが気にしなくても、私は気にならないだなんて心にもないことは絶対に言えません! 着いたのが遅かったため、室内に荷物を下ろしたときにはもうすでに時計は夜の12時近くを指してました。声が上ずらないように気をつけながら「あの、お疲れですよね、イギリスさんお風呂先どうぞ」と言うと、イギリスさんは紳士的に「いや、お前先に入れよ」と答えました。 「ええと、私はすこし片づけるものがありまして」 「…じゃあ先に行く」 イギリスさんは何やら荷物をごそごそ探したあと、さっさとバスルームに入って行きました。ドアが閉まる音を聞くと、私は深いため息をついてベッドの端に倒れこみます。片づけるというか、整理整頓すべきなのは、今の気持ちです。ベッドは寝るとスプリングに体が沈みこみ、こんなにやわらかいと朝起きたら腰が痛くなるんじゃないかと心配になりました。やっぱり床のほうが私にはいいかもしれません。 同室の相手がよりによってイギリスさんとか、ベッドまで一緒とか、こんなToLOVEる展開が待ち受けてるとは思ってもみませんでした。あとはバスタオル姿のイギリスさんが飛びついてきたらラブコメ展開として完璧、というところでしょうか。 そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいに私は、以前から、イギリスさんに勝手に好意を寄せているわけです。かといって現実で何をどうしたいわけでもないので、傍から彼の姿を眺めて、話せたら嬉しくて、勝手にひとりで妄想するだけで私のような枯れた爺には十分だと思ってました。それなのに。まさか、こんな、バスルームからイギリスさんがシャワーを浴びる水音が聞こえてくるようなシチュエーションが来るとは…。いくら枯れているとはいえ、この状況下で何もやましいことを考えずに無心でいられるほど無欲なわけでもありません。 でも、すべては、ただ、考えるだけです。実際に何かするなんてまったく無理ですし、彼が私のことを嫌がる顔を思い浮かべただけでぞっとします。だいたい、さっきだって、同室をあんなに嫌がっていたというのに、「何か」なんてできるはずがありません。ひとりで勝手にイギリスさんを想っているときは楽しくても、いざああいう嫌そうな反応を見てしまうとやはりつらいものがあります。私は彼が「日本、一緒の部屋だな!」と喜んでくれるとでも期待してたんでしょうか。私の馬鹿。馬鹿。大馬鹿者。アニメばかり見て妄想ばかりしているからこういうときにショックを受けるんです。何事も私の望むままに進むわけがないと、特に他人の心は自分の自由にはならないものだと、これだけの長い時間を生きているのに、まだ学べていないんですから。 ―――でも明日の朝、私が先に起きたら(幸か不幸か高血圧のおかげでイギリスさんより早く起きる自信なら十二分にあります)、すこしくらい…たとえば、寝顔をしばらく眺めさせていただくとか、髪をさわらせていただく程度なら、許していただけますでしょうかね? 仕事でもともと疲れていたこともあって、横になって悶々と考えていると次第に眠くなってきました。うとうとしはじめたところでバスルームのドアが開き、「おい、次いいぞ」とイギリスさんから声を掛けられ、飛び起きます。 「あ、はい、ただ今。…かっ」 「…なんだ?喝?」 「か…」 「…おい、どうした?日本?」 「いえ、別になんでもありません、私もお風呂入りますね恐れ入ります!」 …かっわいい。かわいい。かわいいです!!! つい叫びそうになった心の底からの衝動を、手に持っていた浴衣を握り締めてどうにかやりすごし、イギリスさんの脇を走り抜けてバスルームに駆け込みました。冷たいタイルの床に座り込み、どうにか息をつきます。お風呂上がりのイギリスさんは、あろうことか、シンプルなストライプのパジャマを着ていました。それが、それが。ああ。なんでしょう、この、飾りがなく、素朴でいて、それがなにより素材の味を引き立てているというか、とにかく素晴らしい御姿でした。ああもうこれだけでちょっと減ってた私のゲージはあふれるくらいにいっぱいになりました思わぬところで世界遺産を見た気分です本当にありがとうございます。私これまで特にパジャマ萌え属性なんてありませんでしたけど驚きましたこれはすごい破壊力ですねほんとにどんな鎧よりもすごい破壊力ですよ私今後どんなキャラが好きになっても必ずパジャマ絵描くと思います! お湯につかって落ち着かない気持をどうにか抑え、幾分平常心を取り戻し、私がバスルームから出るとイギリスさんはベッドに座って部屋に置いてあった雑誌をめくっていました。 「長かったな」 「そうですか?湯につかる習慣があるせいですかね」 パジャマ姿が神々しすぎて直視できないので、目を逸らしながら答えました。 「そうか…というかお前、それで寝るのか?」 「あ、はい。浴衣ですけど」 「ぬ、脱げないのか?」 「ああ、我が家でお貸ししたとき、イギリスさん、盛大に脱げてましたよね。私は慣れてますから問題ありませんよ。寝相はいい方ですし」 そういえば結構昔ですが、そんなこともありました。そのとき私はイギリスさんのことを普通に友達と思っていたので浴衣が半分脱げたイギリスさんを見ても異文化交流って楽しいですねー、くらいにしか思いませんでしたけど、今でしたらそんな姿を見たら…なんというべきか…まずいですね。 「そうか…。確かにお前って寝相よさそうな感じするな」 「イギリスさんはどうですか?」 「俺は…そこまで悪くねえって言われるけど」 「え、言われるって」 「ピクシーとかユニコーンにさ」 「……」 そういう他愛もないことをしばらく話し、ふと時計を見るともう1時を過ぎていたので「そろそろ寝ますか?」とイギリスさんに聞くと、「日本、先寝てていいぞ」という返事が返ってきました。 「イギリスさんはお休みにならないんですか?」 「俺はまだ眠くないからいい」 「でも」 「気にしないで寝ててくれ」 「そうですか?…では先に休ませていただきます。おやすみなさい」 「おやすみ。電気消すぞ」 すこし話せたことで部屋にはいったときのような硬い雰囲気がやわらいだので、せめてベッドに一緒に入ってからまたほそぼそと話をするという修学旅行みたいなシチュエーションにできないかと私はひそかに思っていたのですが、あまりイギリスさんも一緒にベッドに入れと強要するのも変に思われそうなので早々に諦めました。 私が布団にもぐると、イギリスさんは暗くなった部屋の中で、テレビの前の椅子に座り、音を消したままチャンネルをいくつかまわし、どこかの国のサッカーの試合を見つけると、それに決めたらしく、リモコンを置きました。 「…あの、目によくないですよ。電気つけてもかまいませんけど」 「大丈夫だから、先寝てろ」 布団にもぐっても私の位置からは、テレビの画面と、テレビの光が反射したイギリスさんの横顔が見えました。イギリスさんは真剣に試合を見ているというわけではないようで、試合で起こるできごとにも無反応です。シュート。ファウル。フリーキック。ゴール。ゴールシーンのリプレイ。前半終了間際の追加点に、喜び抱き合う選手たち。それをイギリスさんはただぼんやり眺めていました。 しばらくすると、まだ試合は途中であったのにイギリスさんはテレビを消して立ち上がり、音を立てないようにそっと歩いてベッドに近づいてきました。 「…寝るんですか?」 「うわ、日本、まだ寝てないのかよ」 「すみません、なんだか眠れなくて…普段はすぐに寝付けるんですが」 さっきベッドに横になっていたときはすごく眠かったはずなんですけど、パジャマショックのせいか何なのか、妙に目が冴えて眠れません。それに、今、イギリスさんがベッドの反対側に入ってきたら、ますます、眠れそうになくなってきました。このくらいの距離なら、会議中に横に並んだときと大して変わらないのに、場所がベッドだというだけで、ものすごく緊張してしまいます。それに、イギリスさんが動くたびにベッドのスプリングが動く音、布ずれの音、そして息遣い。そういう音が、部屋が静かなせいで否応なく聞こえてきます。むしろ会議中よりも聴き逃してはいけない音ばかりのような気がして、もう、この状況下で眠れたらすごいですよ。 「眠れない、か…。アメリカが小さい頃は眠れないっていうと羊数えてやってたけどな」 「あれですか。聞きましたよ。英語圏発祥らしいですね」 「ああ。…そうだ、お前にも数えてやるよ」 「…いえ、私は結構です」 そんな眠らなくて親を困らせてる子供みたいな扱いをしていただかなくとも、もっと、話をするとか、いっそ眠気が来るまで二人で起きてみるとか、他の方法があるんじゃないですか?と思うんですけどイギリスさんは「遠慮するなよ。ほら、数えてやるから目を閉じろって」などと、やたら乗り気です。 「あの、イギリスさん、私のことはお構いなく、寝てください。そのうち自然に眠くなると思うので」 「いや、俺はお前が寝たのを見届けてから寝る」 なんだか私、先ほどからすごい早く寝ろ寝ろ言われてるんですけど、もしかしてイギリスさんは先に寝たら私が何か変なことするとか思ってるんですかね。私の気持ちはうまく隠せていると思うので、まさかそんなことはないと思うんですけど、そんな可能性を思いついてしまってぞっとしました。いえ、でも、絶対にそれはないはず、ですが…。 「数えるぞ?目、閉じたか」 「あ、はい、閉じました」 「よし、行くぞ。…羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹、羊が4匹、羊が5匹、羊が6匹、羊が7匹」 イギリスさんはゆっくりと、優しい声で数え始めました。羊がどうとかいうよりも、ただこうやって彼の声を聞かせてもらえるのはいいものですね。しかも生放送で、観客は私ひとり。贅沢すぎるにもほどがあります。 「羊が8匹、羊が9匹、羊が10匹。…日本、寝たか?」 「いえ、まだ起きてますが」 今ぐらいの短時間で眠れるくらいだったら最初から苦労してないと思うんですけど、イギリスさんは自分の羊のカウントに妙に自信があるのか、『どうして寝てないんだ』という勢いです。 「声が全然眠くなさそうだな…。考えごとしてるんじゃねえか?お前、働きすぎだろ」 「そうですかね」 「続けてカウントするからもう何も考えるなよ」 「はい…」 「羊が11匹、羊が12匹、羊が13匹、羊が14匹、羊が15匹、羊が16匹、羊が17匹、羊が18匹……」 何も考えるなと言われると、よけいに難しいんですが。イギリスさんがすこし動いた拍子に衣擦れの音がして、となりにいるイギリスさんがパジャマだということを思い出してまた頬が熱くなってきました。ああ。ほんとうにパジャマは人類が生み出した英知ですね。ボタンをとめているところとか考えるだけで胸が苦しいです。先ほどはとても直視できませんでしたけど、やはりもうすこししっかり目に焼き付けておけばよかったとも思います。こんな機会、本当にないんですから。ああでも私が明日イギリスさんより先に起きれば、見放題…という言い方はおかしいですけど、見ることができるわけですよね…。そのためにも今早く寝ないと…などと考えていたらイギリスさんが急に身を起して私の顔をのぞきこんできました。 「…羊が37匹、羊が38匹。おい、日本、また何か考えてんだろ」 「す、すみません。どうも、無になるというのは難しくて」 「寝るときくらい仕事のことなんて忘れろよ」 完全にあなたのこと考えてました、とは言えず。適当に、そうですね、と笑ってごまかしました。そして、寝たかどうかを手っ取り早く確認したいらしいイギリスさんが暗い中でも私のほうをじっと見てくるのが恥ずかしくて、イギリスさんに背を向けて、横向きになりました。別に、寝ようとしてるわけですし、背を向けても失礼な感じではないですよね? それにしても全く眠くなる気配がないので、わざわざ私が寝るのを待って熱心に羊を数えてくださっているイギリスさんに対して、ますます申し訳ない気持ちばかりが募ってきました。 「イギリスさん、なんだか私お手を煩わせていますし、ほんとうに私のことは気になさらずに先に休んでいただいていいんですよ」 「そうはいくかよ。お前が寝るまで数える」 「そうですか…では、今度こそ頑張って寝ますので続きをお願いします」 「…何匹からだ?」 「39匹からです」 「よく覚えてんな。羊が39匹。羊が40匹。羊が41匹。羊が42匹。」 今思いついたのですが、だいたい、イギリスさんに寝たのかと聞かれたときにすぐ返事をするからよくないのではないでしょうか?実際は寝ていなくても、寝たふりでもいいから私が寝たように見えれば、イギリスさんも安心して寝てくれるのでは。そのあと私がひとり残されて眠れなくても、それはそれで仕方ありません。イギリスさんを巻き添えにするよりはマシです。 「…羊が46匹。羊が47匹。羊が48匹。羊が49匹。羊が50匹。…日本、寝たのか?」 「……」 「おい」 「……」 「日本?」 「……」 「寝たんだろうな?」 話しかけないでください。というかどうしてこんなに執拗に話しかけてくるんですかね。私を寝かせるんじゃなかったんですか?普通、そんなに話しかけたら寝ているものも起きますよ?それとも実はこれは壮大なツンデレで、寝ろ寝ろ言ってたけど実は起きていた方が嬉しい、とかそういうことですか? 起きるべきか寝たふりを続けるべきか迷っていると、イギリスさんが身動きする音がして、続いて何かが私の髪に触れ、 「…Good night.」 という囁きとともに、私のこめかみあたりに何が湿ったもの押し当てられる感触がありました。今の、まさか、と思う間もなく、続いてベッドのスプリングが跳ねて、さっきまであいだをあけてベッドの反対側に寝ていたはずのイギリスさんがなぜか私の背のすぐ後ろに横になったのがわかりました。密着というほどではありませんが、すごく近いところには、いるようで。イギリスさんの存在を感じる背中がだんだん燃えるように熱くなってきて、心臓がうるさいくらいに高鳴りだします。それこそ、イギリスさんに聞こえてしまいそうなくらいに。 ああ、今の、なんなんですか?まさかこれがツンデレなんですか?今すぐ振り返って「どういうつもりなんですか」と問いただしたいような、でももし私が振り向くことでイギリスさんが驚いてすぐに離れてしまったらそれはもっと困るような。 どうしたらいいのかはわからないまま、とりあえず、この妙な幸福感に包まれたまま、今夜は眠れるものなら寝てしまおうと私は決めました。そして、朝になってイギリスさんが起きたら「イギリスさん寝相悪いじゃないですか、私の方に転がってきてましたよ」などと言って彼の反応を見ることにしましょうか。よし、それでいきましょう。ただ、ひとまず朝はそうするとしても、今、私はますます眠れそうにないんですが、どうしてくれるんですか?イギリスさん、こんなに近くにいるなら、責任とって下さいよ。 そんなこみあげる甘ったるい気分に頭が沸騰しそうなとき、次にイギリスさんが背後で不意につぶやいたひとことは、ほんとうに囁くようなひとりごとであったにもかかわらず、部屋が静かであったせいか、囁かれたのが耳元であったせいか、大音量のスピーカーから発せられたように私の頭に響きました。 「あーもう……たまんねぇ、すげえいい匂い」 苦しげなため息が続き、首元に熱い息が吹きかけられたのを感じます。後ろを振り返る勇気はもちろんなく、さっきまでの火照るような熱はどこへやら、急に全身に悪寒が走りました。イギリスさん?あなた、何を考えて。今のは、私のことですよね?たまらないって、それは、どういう。怒っていいのか泣いていいのか、いっそ「私も同じような気持ちをさっきパジャマ姿のあなたに抱いてました」と告げればいいのか、それともさっさと逃げるべきか。 今の一言について考えはじめると、先ほどの「眠れそうにない」だなんてまだかわいいもので、もはやいくら羊が何万匹いたとしても、私には今夜心地よい眠りに落ちる手段なんてなにひとつ残されていないのだと、諦めるしかないように思えてくるのでした。 Nov.29.2010 |