どうしようもない 天使
どうしようもない僕に





 連日の終電帰宅と休日出勤の果てに、やっと奪取した休日である。
 だというのに、気が利かないインターホンがずっとうるさく鳴っている。
手探りで枕元に置いてあった目覚まし時計をつかむと、針はすでに午後二時を指していた。絵にかいたような社畜的人生を送る本田菊は「12時間睡眠…」とつぶやくと、寝起きの重たい体をどうにか布団から引きずり出し、狭いアパートのドアを開けた。

「本田さん、お届ものです」

 運送会社の配達員は、心なしかずいぶん冷たい口調で言い放つ。
 いつ何を買ったのか、起き抜けの頭はぼんやりしていたが、配達員の横にある縦長の異様に大きい箱を見て、今まで散々「これだけは手をつけちゃだめですよね〜〜」だなんて言っていた某キャラの等身大の抱き枕を、仕事のストレスのままにネット通販で購入してしまったことを急に思い出した。疲れていたのだ。家に帰ったときにふわふわしたかわいい子に癒されて、ぎゅっと抱きしめて、愚痴ったりしたかった。それだけだ。責められるようなことではない。ただ、世間の目は違う。

 「この侮蔑しきったような態度、まさかどこかに大きく内容物が書いてあるのでは!」と、いま寝間着とぼさぼさの髪で対応しているわりに意外と外聞を気にするタイプである本田は、一瞬にして頭の血がさーっと引いて行くのを感じた。しかし、配達員がハンコを求めて渡してきた送り状にそんな記載はなく、ひどく重そうに押しやってきたのも、ただ通販会社のロゴだけが入ったシンプルな箱だった。

 配達員は「不在票を入れてもまったくご連絡がないですし、いつお伺いしても留守ですし、これ、今日も2階まで運ぶの大変でしたよ」と、もはや不機嫌さを隠さない態度で接してきたが、その態度が内容物のせいではなく荷物の重さと自分の不在のせいだと判明して、本田は逆にほっとして「す、すみません」と謝った。
 郵便受けに入っていた不在票には気づいていたが、今週は本当に、そんな電話をする暇もなかったのだ。

 ドアを閉めると、すっかり玄関をふさいでしまうサイズの段ボール箱を前に、ため息をついた。部屋の中まで動かそうとしたが、配達人が言ったように、本当に重い。持ち上げられそうにもない。ただの枕がこんなに重いのはおかしい。何か他のものが手違いで届いたのかもしれないと思ってとりあえず運ぶのはやめ、玄関で開けて中身を確認しようと、カッターを持って来て箱に突き刺した。

「いって!」
「あ、すみません」

 慌ててカッターを抜いてから、ふと疑問を感じた。

「…今、声が?」

 その途端、箱がガタガタと動き、中からバリっと段ボールを破って手が出てきた。逃げなきゃ、とっさにそう思うも、あまりに急なホラー展開に、本田は恐怖で動けなくなった。しかも逃げるにしたって玄関は段ボール箱でふさがれている。

「ったく、お前、何日も放置すんじゃねえよ…」

 そう言いながら箱の中から出てきたのは、金髪の青年―――けったいな白いひらひらした服というか布切れのようなものを身にまとった着た青年で、その背中にはばっさばさと―――肩からくるぶしくらいまである大きな白い羽が生えていた。青年は「あー狭かった」と伸びをして、同時に羽が動いて、玄関脇の棚にぶつかって、置いてあった印鑑が落ちて床に転がった。

「あの…私の嫁、いや、枕は」
「ああ、紹介が先だったな、俺はアーサー。天使だ」
「てんし…いえ、あの、あなたではなく私の枕はどこに」
「べ、別にアーサーって呼んでもかまわないからな」
「アーサー…」

 本田がその名を繰り返すと、暗い玄関でもわかるほど、緑色の目がきらりと光った。

「あ、ア○ゾンに連絡を…」

 気が動転した本田が部屋の奥に逃げようとすると、腕をグイッと掴まれた。

「そうだ、驚いたよな、悪い。俺は毎日見てたから、お前も俺のこともう知ってるような気がしてた」
「見てたってどこから」

 まさか男のストーカー。掴まれた腕に鳥肌が立つ。

「あー、その、天界から毎日お前のことを見てたんだが」
「てんかい…」
「このあいだ、ついにお前が女の絵が描いた枕なんてさびしいものを買ってるのを見てだな、もう我慢できなくな…、あ、いや、どうしようもないなと思って、俺が直々に来てやった。別にお前のためじゃなくてな、迷ってるやつにそういう導きをしなきゃいけないときってのが天使にはあるんだよ。それだけだからな、勘違いするなよ。ちなみに天使が降りてくるのは60億分の1人にあるかないかの確率だから、お前はほんとに運がいいんだ」
「はあ」

 運がいいならtotoで6億円当てて仕事辞めて高飛びしたかったですよと本田は心のなかで思ったが、空気を読んでこの場では口に出さなかった。

「で、その、『てんかい』から、何しに来たんですか…」
「ああいうのが欲しかったんだろ?だから俺が代わりになってやるから」
「なるって、何に」
「抱き枕」
「…」
「…」
「あの、何かの間違いかと思いますので、お引き取りいただけますでしょうか」

 どうにか狭い隙間に手を伸ばしてドアを開け、自称天使の男を外に押しだそうとすると、男より先に巨大な段ボール箱が外に倒れ、通路の手すりに当たり、ガコーンと派手な音が響いた。
 まずい、と本田が思ったその瞬間、「うるさいあるよ!」と外からけたたましい声がする。

「耀さん、すみません!今すぐ片付けますんで!!」
「なんだ?今のやつ」
「ここのアパートの管理人の耀さんです、ゴミ出しだのなんだの、私に対していちいちうるさくて…ああもうすごい勢いで走ってくるし…またなんて言われるか…」

 もうこれ以上めんどくさいことにならないでくださいそっとしておいてくださいお願いしますという本田の願いも虚しく、アパートの管理人の耀が竹ぼうきを片手に現れた。耀はアパート内の秩序と家賃の値上げのタイミングについて四六時中考えている、管理人の鑑のような男である。

「日曜の昼くらい静かにしないと家賃上げるあるよ・・・って、なんあるか、こいつは」

 本田は段ボールを片づけるのにも、ドアを閉めて天使を隠すのにも間に合わず、部屋の前まで来た耀は半開きのドアから玄関にいる天使を発見した。

「菊!ペット禁止ってあれほど言ったある!」 
「はあ?俺はペットじゃねえよ」
「羽が生えてるあるね」
「羽がなんだってんだよ、俺はペットじゃなくて今日からこいつの嫁で」
「あー!っと、えっと、その、この人、友達なんです!この格好は…えっと…その、コスプレが趣味で!」
「こすぷれ…お前ほんっとにろくな友達いねえあるな!」
「あんだとコラ」
「変質者はペットよりもっと出入り禁止ある。ご近所に何事かと思われるある」
「おいテメーさっきからずいぶん言いたいこと言ってくれるじゃねえか、だから俺は嫁だって」
「あ、あの、いますぐ着替えさせますので、すみませんでした」

 本田は適当に謝りながら、だんだんケンカ腰になって通路まで出てきていた天使を玄関に押し込んで、段ボールも回収して、ドアを閉めた。耀は「そいつを早く追い出すあるよ!」と言って、カンカンと音を立てながら階段を下りていった。

 しかし、耀の言うことにも一理ある。こんな羽が生えてて、抱き枕志望で、居座る気満々の人間なんて、こっそり飼う犬猫よりずっと迷惑だ。しかも本田の気のせいでなければ、彼はさっき自分が嫁だと名乗った。どうしてこうなった。もしかして天使ってだけじゃなくて、あっち方面の人ですか、私もしかしてそういう意味で狙われてるんですか、数十年間不本意ながらも守り通した貞操の危機ってやつですか、と冷や汗が出る。

 そして、さすがにこれはア○ゾンカスタマーセンターに連絡しても解決できないと本田は悟った。たとえ連絡しても、返送料コスト削減のために、現品の返却は不要で、代わりの抱き枕がただ送られてきて、それで終わりだろう。前に届いたマグカップが割れていた時と同じ対応だ。この羽の生えた商品の返品はきっと受け付けてくれないだろう。

 本田の頭の中を答えのない考えがぐるぐるとまわり、狭い玄関に二人で立ったままどうしたらいいのかわからない沈黙が続いていたが、天使のほうが先に口を開いた。

「…なあ、お前、さっき、俺のこと友達って言ったな」
「え、あ、はい、言いましたけど、便宜的に」
「友達…」
「はい…便宜的にですが…」
「まあ最初はそれも悪くねえけど」

 天使が顔を赤らめて、羽をすこしだけパタパタと動かした。本田は『友達ですらないけど便宜的に友達と呼んだ』というつもりで言ったので、怒るかと思ったのだが、天使はむしろ『お友達から始めましょう』的な前向きな意味でとらえたようだった。天使には地上の言い回しなど通用しないのかもしれない。

 そしてパタパタと動いていた羽が今度は、古紙回収に出そうと思いつつもタイミングを何カ月も逃したままけっこうな高さまで玄関に積み上げられていた漫画雑誌にぶつかって、ズザザザと山が崩れた。

「あ、わり」
「いえ…あの、この羽って体内とかに仕舞えないんですか」
「何言ってんだ、仕舞えるわけないだろ」

 漫画に出てくる天使は簡単に羽を消したり出したりしてたような気がするが、この天使はそういう芸当はできないようだった。とりあえず、しゃがみこんで散らばった漫画雑誌を拾い始めた。

「…この部屋だと、狭すぎるみたいですね」

 本田は暗に『そんな羽があってはこの部屋で暮らすのは無理だ』という意味でそう言ってみたが、天使はまた嬉々として「な!この部屋じゃあんなデカくて変な絵の枕なんて置けないだろ!?」と返してきた。やはり天使には地上の言い回しなど通用しなかった。絶望的だ。

 天使も一緒になって雑誌の片付けを手伝ったが、ただでさえ玄関先の狭いスペースに男二人、しかも羽つきで、ものすごくせまい。天使が動くたびに、白い羽が本田の鼻先をくすぐっていった。不本意だが、ふわふわとやわらかそうな羽毛は、とても気持ちがよさそうだった。

「あの、この羽って、本物なんですか」
「何バカなこと言ってんだよ、本物に決まってんだろ。触ってもいいぞ」

 天使は服というか布切れの背中の部分を肌蹴させると、羽の付け根も見せてきた。不思議なものだが、確かに背中から飛び出て、骨の延長のように力強く生え、筋肉に連動して動いている。近くで見れば見るほど、ずいぶんと美しい羽だった。

「うわ、ほんとに、本物ですね…」
「だろ。飛べるぞ」
「そうなんですか、今度飛んでみてください」
「いいぜ」

 天使は嬉しそうに、また羽をパタパタと小さく動かした。本田は連日の過労が祟ったのか、迂闊に未来の約束をしてしまったことには気づかなかった。

 漫画雑誌の山を今度はちゃんとビニールひもで縛ってから積み上げる作業と、玄関スペースを塞いでいる巨大な段ボール箱をどうにか小さく折り畳んで縛るという作業を天使と共に終えると、本田は朝から一仕事終えたような爽やかな気分になってしまって、天使を部屋の奥に招いて日本茶で一息入れた。沈黙をごまかすためにつけたテレビの、日曜午後のくだらない旅番組を天使はものめずらしそうに眺め、かと思うと急に本田のほうを振りかえってはじっと見てくるので、変に落ち着かなかった。

「あ、大したものありませんけど、何か召し上がりますか」
「いいのか。じゃあ、もらう」

 数日間は段ボールに入っていたらしいこの男の体の仕組みは知らないが、そういえば自分も起きてから何も食べていなかった。視線から逃れたいと思って台所に立ってはみたものの、天使もなぜかついてきて、そばに立って本田の手際をじっと見ていた。朝だか昼だか夕方だかもうよくわからなくなっていたので、肉じゃがと、ご飯と、大根とわかめのみそ汁を適当に並べただけだが、天使は大喜びした。そのときまた羽が小さく動いてたので、本田はこれは犬のしっぽのようなものかもしれないと思った。

「すげえうめえ。上から見てて、ずっと食ってみたかったんだ」
「普段何食べてるんですか、天使の皆さんって」
「天使は基本的には何も食わない」
「え、そうなんですか?!それは損してますよ、絶対損してます!」

 本田はわりと食べ物に執着するタイプであるため、つい大きな声が出た。それに天使は「だな。損してた」と言って笑った。
 それから続けて「こういうの、いいよな」と小声で天使が呟いたが、本田は返事ができなかった。同意したら負けのような気がした。


 そのままテレビを見たり、天使が風呂に入って濡れた羽のせいで部屋中がびしょぬれになったり、その羽をドライヤーで乾かすのに1時間かかったり、また羽がなぎ倒したDVDの山を片付け直したり、疲れきったので「手作りの料理がいい」と主張する天使の主張をさえぎってピザをとったり、天使とどう過ごすのが正しいのかわからないまま、なんとなく休日っぽい過ごし方をしてるうちに、夜も更けた。昼の2時に起きたので眠くはないが、明日の仕事のことを思うとそろそろ寝たほうがいい時間だった。

「明日、私、仕事なんです」
「おまえ、昨日も働いてなかったか」
「…よくご存知ですね」
「お前が受け取らないせいで10日間も箱に詰められてたけどな、それでもお前のことはだいたいわかる」

 さっきの天界から見ていたというのならまだわかるが、箱の中にいてもわかるとか、いったいどういう仕組みなんですか、と思ったが本田は怖くて聞けなかった。ただなんとなくものすごいストーキング可能な天界的超能力のイメージがちらついた。

「で、今夜、どうするんですか。うち、布団がひと組しかないんですけど」
「どうって、俺は抱き枕なんだから一緒に寝るしかないだろ。だいたい、そのために来たんだからな。もう寝ようぜ。ほら」
「…やっぱりやるんですか」

 普通に友達っぽく過ごせたような気がするのでもう抱き枕の話は忘れていったん帰ってもらえないかと淡い期待もしたのだが、そう簡単にはいかないようだった。

「だって、お前、抱き枕が欲しかったんだろ」
「それはそうなんですけど」

 欲しかったのはあくまでもかわいい二次元キャラの枕であって、間違っても男の天使の肉体枕ではない。しかし天使は早くしろなどといいながら本田の手を引いて布団にひきずりこみ、逃げようとした本田を後ろからがっちりホールドし、そのまま布団の中に落ち着いた。むしろ本田のほうが抱き枕みたいな状態である。

 本田も二次元を愛する者として、こういう異世界からの突然の来訪者というシチュエーションに憧れたことはあったが、それはうる星やつらのラムちゃんとか、他にもララとかベルダンディーとか、相手が女性の場合である。ドラえもんや佐為だって来てくれたら楽しいだろうが、その場合も、こんなふうに抱き合って寝はしない。

「えーっと抱き枕ってこういう体勢でしたっけ」
「これで合ってんだろ。早く寝ろよ」
「いやでもこの体勢だとむしろ寝にくいというか」
「いいから大人しくしろって。おやすみ」

 耳元で囁かれて、もう一度ぎゅっと抱きしめられたあと、背後で天使は早々にやすらかな寝息を立て始めた。本田も遅く起きたわりには、一日でいろいろなことがあったせいか、ぐったりと疲労感につつまれていた。ただ、首筋に湿った息が当たるせいで、まったく眠くなりそうもない。まわされた腕はちょっとやそっとじゃ離してくれそうにもなく、逃れようとしばらくあがいてみても脱出は不可能だった。この抱き枕志望のはずだった天使に逆に抱き枕にされてしまった状況を鑑みて、本田は今さらではあるが、怖ろしいことに気がついた。

 天使はいかにも本田のために来たかのように言い換えてはいたが、本当は、この背後から自分にしがみついてぐっすり眠る天使こそが、自分を必要としているのではないか、ということ。
60億分の1は幸運なんかではないのではないかということ。
何がきっかけかはわからないが、自分は選ばれてしまったのだということ。
この天使がすぐに飽きて帰るのか、この抱きつかれている状態より悪化するのか、まったくわからないが、とにかく、明日から展開にまったく想像がつかない、平穏とはかけ離れた日々が始まってしまうのだ、ということ。


「あー…うる星やつらの最終回って、どうなるんでしたっけ」


 何かこの状況のヒントになる解決法でも書いてあるかもしれない、とりあえず明日仕事の帰りにブックオフで探して、なかったらネットで全巻大人買いしよう、と本田は心に決め、目を閉じた。









   ■   ■   ■





ちなみに、
このあと天使アーサーは本田家に居座り続け、
本田の職場の女子社員に嫉妬して会社のエントランスを半壊させる等の
迷惑行為を定期的に行いつつもなんだかんだとうまくやっていくが、
数ヵ月後に突然本田が羽毛アレルギーを発症し、
そばにいるだけで本田を苦しめるという事実に絶望したアーサーは
苦悶の挙句に自ら羽を包丁で切り落そうとして失敗し、
本田は部屋で血まみれの姿で気を失っているアーサーを発見し、
あまりに哀れな姿のアーサーを抱きしめた本田の心に真実の愛が芽生え、
愛が奇跡を生み、
奇跡によってアーサーは天使から人間に転身し、
転身によってアーサーのご自慢の羽はあっけなくポロリと外れ、
まごうことなきハッピーエンドである。

そして耀は、幸せボケ状態の本田から「住人が増えた」という理由で
家賃を値上げすることに成功し、これもまたハッピーエンドである。






Jun.8.2013