な 「鍋でしたら今の季節は日本料理店でしたら大抵どこでもやっていると思いますよ」と日本が答えると、イギリスが「え?店?店でも食えるのか?…いや、そんな高級なやつじゃなくていい。…だって、普通は家庭で食べるものなんだろ?こっちのテレビじゃそう言ってたぞ」と言うので、日本も「普通の家の鍋がいいんですか? それでは私が作るのでよろしければ家に食べにいらっしゃいますか」としか答えようがなかった。 そうするとまたイギリスが「悪いな。でもおまえんちに夕飯食べに行ったら俺帰れるかな。結構おまえの家遠いよな」などと心配し出すので、今度は日本は「では泊まっていかれますか?」と提案するしかなかった。日程も、イギリスが今週末しか空いてないんだがそれでもいいか、と言い、あっさり決まった。それはごく自然な流れであり、なんら特別な意味が含まれたやり取りではなかった。 特に日本にとっては、これまでアメリカが何かと理由を付けてしょっちゅう泊まりにきていることを思えば、明日晴れたら客用の布団を干しておきますかね、くらいのことでしかなかったのだ。 そしてその週末、夜。イギリスが紅茶の缶とショートブレッドを片手にやってきた。 寒い中お越し下さりありがとうございます、と日本はまず風呂をすすめて、イギリスに浴衣と羽織を貸し、鍋の準備をした。家に来るときはスーツできっちりきめてくるイギリスが、くずれた格好で座敷にあぐらをかいて、慣れない箸で楽しそうに鍋をつつく姿は微笑ましい。 最初はビールを飲んでいたが、ためしに出してみた熱燗をイギリスが熱いサケなんて初めてだといって物珍しそうに飲むので、遠慮なくいくらでもいただいてください、と日本は猪口が空になるたびに酒をついだ。そのうちペースが早くなり、ではもっと温めてきますね、と日本が台所に立って熱燗をさらに用意して、しばらくして戻ってきたときには、イギリスは猪口を片手に持ったまま見事にちゃぶ台に突っ伏していた。 日本は慌てて「大丈夫ですか!?」とイギリスを揺さぶる。すぐに目が覚めたように顔をあげたものの、「…なにが?なにがだいじょうぶなんだ…?」と返すイギリスは、完全に目がすわっていて、日本はイヤな予感がした。そういえばギリシャさんがおっしゃってましたけど、イギリスさんは酒癖が悪くて、全裸になって騒いだり物を壊したりするんでしたっけ……と今更のように思い出す。全裸も困るが家の中を破壊されるのだけは絶対にごめんだ。床の間にある掛け軸と壷に目をやる。ああ、あんないいものは飾らずに奥に隠しておけばよかった。 ひとまず水でも持ってきて飲ませるか、と日本が立ち上がろうとした瞬間、下からぐいっと引っぱられた。見るとイギリスが左手首をがっちりとつかんでいる。離してくださいと言おうとすると、イギリスの両の目からぼろぼろと涙が出てきた。泣き上戸か。暴れるのにくらべたら随分かわいいものだが、扱いに困るのは同じだ。それに、まだ暴れないとは限らないから、油断はできない。 「にほん…」 「あの、イギリスさん、どうして泣かれてるんですか…」 「にほん…」 「は、はい、なんでしょう、ああもう、涙を止めてください、悲しいんですか?」 「おまえ、明日なんの日か知ってる?」 「はい?」 酔っぱらいと話が噛み合ないのは仕方ない。まじめに答える必要もないのだろうが。自由なほうの手でティッシュをとり、涙を拭ってやると、イギリスは意外におとなしくしている。 「だいじな日なんだよ」 「誰かの誕生日ですか」 「ちげーよ」 「違いましたか」 「もー、わすれてんじゃねーよ…なんでわすれんだよ…」 「す、すみません」 一応謝るが、心当たりがまったくないので仕方ない。 「あしたは、むかし、おれとおまえが同盟むすんだ日だよ」 「え」 「やっぱり、わすれてた。おまえ、おれのことどーでもいいとかおもってんだろ」 「そんなことありませんよ」 同盟締結日だったとは。意外な答えに驚いた。 それにしても泣き上戸の次はさらにやっかいな絡み酒になってきている気がする。でも暴力行為と脱衣行為にさえ発展しなければ、酔っぱらいは適当にあしらえる、と日本が思ったその時だった。 「おれ、おまえのことすきなのに」 思いがけない不意の告白に、背筋が凍る。つかまれたままの手が更に強く握られる。本能的に、まずい、手を振り払わなければ、と思うが、驚きのせいか身体が動かない。 「…そうでしたか」 「そうだよ、ずっとすきなのに。なんできづかねーんだよ、ばか」 「ばかと言われましても…」 好意をいだかれてるのは多少なりとも感じていたが、ほんとうにそういう意味での好きとは。友達が少ないから、旧同盟国だから、そんな風に思っていたが、そういうことだったのか。しっくりくる部分もあったものの、こんな状況で言われることには釈然としないものがあった。とりあえず相手は酔っぱらい、適当にお茶を濁してこの場を去りたい。そしてこの握られている手は本当にまずい。イギリスの機嫌を損ねることなくどうにか逃げ出そうとチャンスを狙っている日本をよそに、イギリスはぽつぽつと嗚咽まじりに話を続けた。 それは酔っぱらいの口から語られるには随分と長い話になってしまったのだが、要約するとこうだった。 本当は何年も前から同盟締結の1月30日をふたりの記念日として食事に誘いたかったけど、日本が忘れてるんじゃないかと思って(事実、日本はすっかり忘れていた)言い出せなかったこと。今年は鍋を口実にしてどうにか約束をとりつけたけど、なかなか肝心の同盟締結日のことが言い出せなかったこと。 それからもイギリスは延々と話し続ける。 同盟締結だけでなく2月11日の日本の誕生日も祝いたいと考えているのに、どうしてふたりきりで、と聞かれるのが怖くて正面から誘えないこと。3年前、日本の誕生日前にちょうど世界会議があったので、偶然を装って帰りに食事に誘おうとしたら、枢軸メンバーと先約があるからと断られたこと。不本意ながらもフランスから聞き出した、予約必須の人気レストランを一ヶ月も前から押さえておいたのに。プレゼントだって用意していたのに。 一昨年の誕生日は前日に会議があったが、イギリスが誘う前にアメリカにさらわれてしまったこと。 去年の誕生日前に行なわれた会議では誘おうとする前に、アメリカの誘いを「用事がある」と言って断っているのを物陰から聞いてしまったこと。 そんなことを、みどりいろの目から涙を流しながらとうとうと語るイギリスを前にして、日本はただ黙っているしかなかった。だいいち、そんな数年前のことなど、日本自身もよく覚えていないのに。去年アメリカの誘いを断ったのは言われて思い出したが、そのときの用事があるというのは、単に会議で疲れてアメリカのテンションについていけなそうだったから適当についた嘘だった。真剣な面持ちのイギリスに誘われたなら行ったかもしれないのに。物陰から聞いて諦めていたとは。 紳士然とした態度の裏にここまで重い葛藤を抱えていたのかと思うと、次第にイギリスが不憫になってきた。二枚舌、三枚舌外交時代の演技力はまだ残っているということか。その技術がいい方向へ使われているとは決して思えないが。 「……それは、気づかず、どうも申し訳ありませんでした」 長々とした告白が一段落したとき、日本はうつむいたままそう言うのが精一杯だった。 「もうしわけない、とかじゃ、なくて、おれは………」 あとに言葉が続かないと思ってイギリスのほうを見遣ると、イギリスはふたたびちゃぶ台に突っ伏して寝ていた。恥ずかしさとやり切れなさでこれ以上聞いていられそうになかった日本は、助かった、と思う。つかまれたままであった手首をゆっくりと払うと、つかんでいたイギリスの右手は畳の上にパタリと落ちた。起きる気配はない。このまま起こさずに寝かせたほうがいいだろう。客間の空いたスペースに布団を引き、眠り込んだイギリスをずるずると引っぱりいれて布団をかけ、日本は後片付けをはじめた。 暗い台所で皿を洗いながら日本は考える。いつから。なぜ。どうして。そして明日の朝、一体、どんな顔をして会えばいい。疑問は尽きないし、答えは見出せない。終わりのない問いの合間には時折、あの、涙に濡れて溶けてしまいそうなみどりいろの目が思い出された。そのたびに苛立ちのような、叫びだしたくなりような、喉の奥に込み上げるものがあり、皿を置く手がつい乱暴になった。 翌朝、イギリスがなかなか起きてこないので客間に見に行くと、ちょうど布団から上半身を起こしてぼんやりとしているところのようだった。 「あ…おはようございます。イギリスさん。気分はどうです?」 「ああ、おはよう……」 「起きられますか?」 「ああ…」 「……どうかされました?」 寝ぼけているというより戸惑っている様子のイギリスに、日本はもしや昨夜の話を蒸し返されるのか、と身構える。 「……記憶がねーんだよ」 「へ?」 「きのう、鍋食べた後の記憶が全然ない。…俺、酔ってお前になんか変なことしたりしてないよな…?」 「……いえ、別に。すぐに眠ってしまいましたよ」 思いっきり変なことは言ってましたけどね!!でもあなたが話した内容を私の口から説明するのは絶対にごめんです!!という叫びは胸の奥にしまって、日本は素知らぬふりをした。 「そうか…よかった。でも、すまなかったな。せっかく…」 「いいんですよ。慣れない種類のお酒をたくさん飲ませてしまったのは私ですから。朝ごはんは召し上がれそうですか?」 そう言って顔を覗き込むと、同時に視線をあげたイギリスの顔が案外近くて、日本は思い切りのけぞってしまった。あ、まずい、傷つくでしょうか?と思ったがイギリスは今の動作には特に何も感じてないようだった。自意識過剰だ、と日本は恥ずかしくなる。 その後、朝食を食べるあいだも、庭に咲く梅を見てのんびりしているあいだも、日本はイギリスの顔がまともに見れなかった。いつ同盟締結日のことを言い出すか、と思っていたが、結局、その日のうち、イギリスがそれについて触れることは一度もなかった。 帰り際、日本が「見送ります」と言うとイギリスは「玄関まででいい」とそれを断った。靴を履いて、世話になったな、と去ろうとするイギリスに、つい日本は尋ねてしまう。 「あの、イギリスさん」 「どうした」 「今日、何の日か覚えてらっしゃいますか」 「…今日?1月30日?……何かあったっけか」 「……いいえ、なんでもありません。ただ、何かあったかな、と思いまして」 「……そうか」 知らないはずがない。知らないふりをして私の口から言わせようとしてるのか、私を試そうとしてるのか、この人はどこまで甘ったれてるんだ、と日本は内心、怒りを募らせた。 「ではまた、ぜひいらしてくださいね」 「ああ、また」 「ええ」 「そうだ、日本」イギリスはすこしだけ振り返って言った。「…今日が、もし何かの日で、もし、思い出したら、教えてくれよ」 「ああ、もう!完全に記憶がないなんて、あの酔っぱらい!あの絡み方からして、そりゃ、記憶がないだろうなとは、わかっていたことですけどね!私にどうしろというんですか!」 イギリスの姿が完全に見えなくなってから急に大声を出した日本を、そばにいた愛犬が驚いて見上げてくる。 「ごめんなさい、ぽちくん。驚かせてしまいましたね」 ふかふかした毛に顔を埋めて癒しを求めるも、気持ちは晴れない。 あの酔い具合からひょっとして、いやひょっとしなくても翌朝記憶はないだろうと思っていたけれど、ほんとうにすっかり忘れているなんて。記憶があったところでお互い恥ずかしい思いをしただろうが、その場合一番恥ずかしいのはイギリスであったはずだ。私だけがこの羞恥の中に残されるなんて!と思うと日本には納得がいかない。酔ったイギリスが最悪というギリシャの言葉は本当だったのだ。 しかし会議はまたすぐにある。否応なく顔を合わせることになる。そして今度の会議は考えてみれば、また日本の誕生日、2月11日の前日だった。イギリスは今年も日本を誘おうと企んでいるのだろうか。それともまたアメリカの出現やらなにやらで諦めてしまうのだろうか。正直なところ、たとえ素面で告白されても「ではお付き合いしましょう」などと答える気にはなれなかったが、ひとりで悶々と悩んで、泣いて、それでも平然としたふりをし続けるイギリスの姿を偶然とはいえ知ってしまった以上、日本はもう何も知らないことにはできない。できないのだ。 結局、イギリスとはあれ以来連絡を取らないまま、会議の日を迎えた。イギリスには、部屋に入ったときに軽く会釈をしただけで、会議中も何だか気まずくて目を合わせることはできなかった。視線を感じた気はするが、また自意識過剰なだけだろうと思って気に留めないようにした。そもそも席も離れているし、何もなければ、イギリスとは関わる機会もないのだ。 正面から誘うことすらできないイギリスなど、勝手に傷ついていればいい。そう思ってはいても、あの涙を流すイギリスの姿がどうしても脳裏から離れない。またあれほど泣いたらあの目はどうにかなってしまうんじゃないだろうか。目の前ではアメリカが地球温暖化対策について熱く語っていたが、日本には南極の氷よりも、あの目が涙に溶けてしまうことのほうがおそろしいような気がした。 そんなことを考えているうちにいつの間にか休憩時間となり、イギリスから話しかけられるだろうか、と様子をうかがっていたところ、日本は「誕生祝いに今日会議後にどこか行かないか」と、ドイツとイタリアから誘われた。何を思ったか日本は、本当ですかありがとうございます、という代わりに、「あ、それでは、せっかくなので明日の誕生日当日にお祝いしていただいてもいいですか」と返事していた。イタリアは、じゃあ俺、日本の家にケーキ持ってくね!ろうそく何本いるのかな!と嬉しそうにしている。 別にこれは何の意味もないことだ、そうだ、ただ日程を変えてもらっただけだ、と自分にいい聞かせながらも、日本はイギリスが立ち向かうべきだった難関をひとつ、自ら壊してしまったことを感じていた。いえ、これは、イギリスさんのためでなく、私はただ、ただ、地球温暖化を止めたいだけなんです!ああでも、私はツンデレキャラではありませんでした、素直に認めましょう、イギリスさん、あなたはどうしようもなく素直になれない上に、どうやらどうしようもなく不運なお方のようですけど、今夜だけは私が味方をします!だからもうひとりで泣いたりするのはやめてください! 日本はそう決意を固めると、飲んでいた紅茶の紙コップを握りつぶした。 会議が終わり一同解散となると、日本は電話に出るふりをしてすぐに廊下に出た。終わったらアメリカに声をかけられるかもしれなかったが、しばらく電話してるふりでもすれば、待つのに飽きて先に帰るに違いないと思ったのだ。ちゃんとカバンもコートも会議室に置きっぱなしにして、「まだ帰ってない」という意思表示はしておきながら。 廊下で小声で話し込むふりをしていると、帰る面々が手を振ってくるので、日本はそれに会釈で答える。アメリカは通りすがるときに何か言いたげにこっちを見ていたが、しばらく立ち止まっただけで帰ったようだった。 15分ほど経過して、誰も通らなくなってから、携帯を閉じて会議室に戻る。扉を開けると、案の定、部屋には一人退屈そうに携帯をいじるイギリスが残っていた。イギリスは視界の端に日本の姿を認めると、ガタッと音をたて慌てて立ち上がった。 「おや、イギリスさん、まだ帰られていなかったんですか。他のみなさんはもうお帰りになりましたよ」 日本はできるだけ平静を装って話しかけた。 「に、日本は…」 「私はちょっと上司の電話が長引いてしまって。でもこれから帰ります。イギリスさんはどうされたんですか?」 「お、俺も今帰るとこだ」 「では一緒に帰りましょうか。とはいっても家の方向が違うのですぐそこまでですけどね」 「あ、ああ。いいぞ。でも日本、今年…いや今日は、別に、誰とも約束とか、ないのか」 「ええ、してませんよ」 「だったら、今、俺、腹減ってるんだけど」 ここで『私は空腹ではありません、さようなら』と言ったらこの人はあとでひとりで泣くのかな…と思ってしまった日本であったが、そんな悪魔の誘惑をぐっと堪え、「そうですか。言われてみれば私もすこし空腹ですね」と微笑んでみせた。 「…だったら、これから一緒に何か食べに行かないか」 よくぞ言いましたイギリスさん!空腹という言い訳は余計ではありますがあなたにしては上出来です!と日本は心の中でガッツポーズをとり、「ではご一緒させていただきます」とすみやかに返事をする。 「じゃあ、俺、この近くにいい店知ってるから行こうぜ」 などと言いながら、普段通りを装っているのだろうが、イギリスの口元はゆるんでいる。そんな横顔を伺い見るのは悪くない。街灯の明かりが映ってきらきらと楽しそうにひかるみどりの目を見るのも悪くない。日本がそんなことを考えていることも、今日は空の上の幸運ではなくすぐ隣にいる日本が難関突破に協力したことも、イギリスは何も知らないのだろう。 そしてたまたま空腹だから食べに行く、というシチュエーションには豪華すぎるエントランスのフレンチレストランに到着して、日本はもうこみあげる笑みを押さえきれなかった。 さあ、イギリスさん、せっかく私がお膳立てしたんですから、今夜こそはアルコールの力を借りずに、素直になって頑張ってください。イギリスさん、私、本当はいろいろ知ってるんですよ。今夜あらたまって私に打ち明けるべき言葉はあるんですか? 今年もプレゼントはご用意されてるんですか? もし入り口で「お待ちしておりました、ご予約の2名様ですね」と言われた場合にも、私は聞こえなかったふりをしたほうがいいですか? 日本は今夜これから起きるできごとに、自分が期待していることは否定できないな、と思った。 Feb.6.2009 |