シークレット★アドマイラ
SECRET ADMIRER






2月14日。朝4時半。俺は大きな赤いバラの花束を抱えて、まだ薄暗い中、日本の家の前に立っていた。言っておくが、時差を間違えたわけではない。
日本ではどうだか知らないけど、うちの風習では、バレンタインのプレゼントは基本的に無記名で贈る。贈り主の名は、カードにただ "Secret Admirer"、密かにあなたを慕うもの、とだけ書く。そうすることで相手に「ああ、無記名ではありますが、こんな立派なバラの花束をくださるのは、この流れるような筆跡は、イギリスさんしかいません!あの方はなんて謙虚に、粋なことをなさるのでしょうか…!」と思いを馳せさせる。そこにロマンってもんがあるんだ。
ちなみにカードには、詳しくは言えないが、あなたを以前から〜以下略〜なことが、書いてある。こんなことは無記名でないと絶対に言えない。本当にいいことを思いつくよな、俺の国の文化は!

それで、こっそり届けるにしても昼間に訪ねていって日本と鉢合わせしては無記名の意味がないし、13日の夜に行っても朝まで外に置いておいたら寒さで花が駄目になるだろうし、いろいろ考えた挙句、こんな時間に置きに行くことにしたのだ。家が遠くて移動に時間がかかったから、早起きってレベルじゃなく結局全然寝てないしな…と、気を抜くとあくびが出てしまうが、とりあえずこれを日本が起きてすぐ気づくようなところにそっと置かなければ。玄関の前あたりがいいな、そう思ってそっと門をくぐると、ちょうどその時、ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音がして、俺の心臓は凍った。
玄関のドアの前にきちんと置こうとしていたバラを、門の前に投げ捨てるように置き、あわてて近くにあった電柱の影に潜んだ。若干コートの裾が隠れきってないような気がするが、仕方ない。あたりは暗いからあまり見えないだろうし、バレたらバレたでその時だ。
すこし顔を出して様子を見ると、玄関から日本が出て来て、郵便受けを開けて新聞を取り出していた。なんであいつこんなに早起きなんだよ…!おかしいだろ!朝の4時半だぞ?冬だからまだ夜も明けてないんだぞ?俺なんか、まだ寝てないんだぜ?

すぐに日本は何かが置いてあるのに気づいたらしく、門まで出て来て、花束を拾い上げた。贈り主は無記名でも、カードに「日本へ」とは書いてあるから、自分宛だとはわかってくれるはずだ。
こちらに背中を向けているのでよくわからないが、日本はそこに立ったまま、カードを取り出して読んでいるようだった。おかげで俺はまだ電柱の陰から出られない。日本に早く立ち去ってほしいような、反応を見ていたいような気持ちが半々だった。俺の名前をつぶやいたりしないだろうか。メッセージはあえて英語にしたから、読むのにすこし時間がかかっているようだったが、しばらくして読みおえたらしき日本は、ちいさくふふふと笑って、
「これはさしずめ、紫のバラの人から、ということでしょうかね…」
とつぶやいた。

はぁ?
紫のバラの人って誰だよ? そのバラは赤いし、俺は紫のバラなんてあげたことないから、俺ではないってこと、だよな…。ていうかそんなプレゼントやるの、俺しかいないだろ!? だってバラなんてうちの国花だし、メッセージは英語で書いたし。
おまえのまわりにいる、英語しゃべるやつなんて、俺と、アメリカと……あと香港?それくらいしかいないだろ。他にバラなんて持ちそうなやつはフランスくらいしか思い当たらないが、あいつがわざわざ嫌いな英語を使うわけがないじゃないか。普通わかるだろ? 誰と勘違いしてんだよ!
今このタイミングで陰から飛び出して「俺だよ!」と叫びたかったが、そんなかっこわるいこともできない。そうするうちに日本は花束を抱えて家の中に入ってしまい、玄関がピシャリと閉まる音が聞こえた。

永遠とも思える長い道のりを辿って家に帰ると、精神的疲労と単純に寝ていないことから、ばったり倒れるように眠ってしまい、次に起きたのはもう夕方だった。せっかくの土曜、しかも愛の日を無駄に過ごしてしまった…。何やってんだ俺。

その後も、いくら待っても、日本から連絡がない。というか、誰からも連絡がない。
まあ、いつだってこんなもんだよな…俺のバレンタインなんて…。
などと思いながら飲み干したスコッチの酒瓶を床に転がして、ソファで惰眠をむさぼっていると「アーサーしっかりして、玄関に誰かいるよ」と屋敷に住む妖精から声をかけられた。時計を見るともう夜の10時だ。こんな時間に誰だ。まさか日本…いや、もう、そんな甘い考えは捨てろ。あいつは俺のバラを他の誰かからと勘違いしてるくらいなんだ。それともアメリカがまたチョコレートをねだりに来たのか。今年は何も用意してねえぞ。もしくはフランスが寂しいバレンタインデーだなどとバカにしに来たのか。その可能性が一番高い気がする。そうだったらちょうどいい、誰かを一発殴りたい気分だったんだ。

苛立ったまま急いで玄関まで行き、「誰だ」と勢いよくドアを開けると、玄関前にしゃがんでいた黒い怪しい人影がビクッと動いた。
「うわあああっ……イギリスさん…!急に開けないでください」
「…おまえ、日本?」
いつものキモノとも違う妙な黒い装束を身にまとっていて、顔も半分変な黒い布に覆われていたが、それはよく見ると日本だった。
「その服…ニンジャか? 何でおまえそんな格好してんだ?パーティーか?」
アメリカあたりにはクールと言われそうな格好ではあるが、それを普段着にするのはちょっと俺はどうかと思う。マフラーみたいな布は巻いていてもコートも着てないし、靴も布製みたいだし、この季節には寒そうだ。
「いえ…これは…気分というか…」
「ふーん。寒いだろ、入れよ」
「いいえ、すぐに帰るつもりでしたので…ここで結構です」
かっこつけて「入れよ」とは言ったものの、そういえば床に酒瓶が転がったままだったから、見られなくてちょうどよかったかもしれない。よっぽど寂しいやつだと思われてしまう。
「あの、イギリスさん、今、私の気配を感じられたんですか…?」
「気配? いや、玄関に誰かいるって言うから」
あえて『誰が言った』とは言わなかった。日本は顔を覆う布をはずしながら、さすが魔法の国、侮れない第六感ですね…などと呟いている。
しかし、せっかく日本が来たというのに、本来は待ちに待った来客で喜ぶべきだというのに、なんなんだろう…これは。甘い雰囲気のかけらもない。日本は甘いどころか挙動不審だ。
「で、何の用だよ」
「えー…………あの…今日、バレンタインデーなので…これ、チョコレートです、イギリスさんに」
そう言って日本は胸元の着物の隙間から、濃いグリーンの紙とリボンできれいに包装された箱を取り出した。受け取ると、胸元に入っていたせいかパッケージがあたたかい。これ、溶けてんじゃねーか?
「ああ…わりぃな」
今朝の苦労が徒労に終わったことを思うと、嬉しいはずのプレゼントも素直に喜べない。ありがとう、それだけの言葉も言えない。しかもこいつのとこには義理チョコとか世話チョコとか、単に世話になってる人に贈る習慣があんだよな…。そういえば何年か前には会議で『我が国の文化、義理チョコです』なんていって参加者全員に配っていた。それがきっかけでスイスやフランスとチョコレート話で盛り上がってたみたいだけど、俺は全然入れなかったんだっけ。そんなことを思い出し、また気持ちが落ち込んでくる。
「…イギリスさんのために、ダージリンを混ぜて紅茶風味のチョコレートにしてみたんです。お口にあえばよいんですけど」
イギリスさんのために、という日本の言葉にすこし動かされるが、俺の気持ちは晴れない。だいたいそんなコスプレみたいな格好してるくらいなんだから、ひょっとして今まで全員の家に回ってたんじゃないのか。
「でも、これ、あれだろ…おまえんとこでやってる、義理ってヤツだろ」
「いえ、今年はバレンタインデーが土曜日で会社も学校も大抵お休みですし、不況が続いておりますので、義理チョコは流行らないんですよ」
おかげで売り手のほうは大変で…と日本は微笑みながら言う。こいつの家のしきたりは、はやりすたりに流されて毎年変わりすぎる。が、しかし、今こいつ、義理じゃない、みたいなことを言ったよな。ていうことは、まさか、まさか。
「じゃあこれは…義理じゃなかったら何なんだよ」
「これは、今年イチ押しの逆チョコです!」
「逆?」
「そうです。私の国にある、女性からのみ贈るというイメージを一新するために、男性から贈るチョコレートをそう呼ぶことにしたんですよ。男性層も獲得すれば買い手が2倍になるわけですからね…売る側も必死なのです。実は私も夕刻まで販売をお手伝いしてたんですよ、大事なバレンタイン商戦ですから!」
これは義理などではなく正真正銘の愛のプレゼントです!イギリスさん大好き!という展開を期待していたわけではないが、話が変な方向に行ってしまった。今はマーケティングなんかどうでもいい。だいたい俺は今朝こいつに無記名とはいえ死ぬほど恥ずかしい手紙を渡したはずなのに、なんでこんなに普通に商品展開について話してるんだ? やっぱりこいつは俺じゃない他の誰かが贈ったと勘違いしてるのか?
「まあ、もともと俺ん家じゃバレンタインのプレゼントに性別カンケーないけどな」
「無記名で贈るしきたりなんですよね」
「知ってんのか」
まさに今朝自分がしたことを日本の口からいわれ、ドキリとする。
「ネットで見ました。そう、うちの玄関先にも今朝、無記名のカードと花束が置いてあったんですよ」
「…でも贈り主わからないんだろ」
「そうですね、予想するしかないです。誰でしょうね」
そう言ってふふふ、と控えめに笑う日本は、普段はすごく好きだけど、今日は好きになれない。だって贈ったのは俺なのに。誰がやったと思って笑ってるんだ。
「…誰だと思ってんだよ」
「はい?」
「だっておまえあのとき、紫のバラくれる野郎がどうとか言ってたじゃねーか…」
あーもうバレた。絶対バレた。かっこわるいけど、もうどうでもいい。他の誰かだと思われてるよりはずっといい。
「……私そんなこと言いましたか。あー…それは無記名の贈り物だったから、なんとなくそう言っただけです。いわば無記名の贈り物をするひとの、代名詞みたいなものです。往年の名作マンガの影響ですね。というより、イギリスさん……聞いてたんですか」
「別に聞きたくて聞いたわけじゃねえよ!たまたまあのときちょうどおまえが出て来たから!」
マンガがなんなんだかよくわからないが、今の話だと、日本は贈り主が別の誰かだと思っていたわけではないということなのか? それなら自分から言わなきゃよかった、と後悔の波が押し寄せてきたが、もう引き返せない。
「たまたま、朝の4時半に、あの場に、いらっしゃったんですか?」
「…そうだ」
「寒かったでしょう」
「別に」
「今も寒い中玄関に立たせてしまったままで、申し訳ないですね…。チョコレートもお渡ししたので、私はこれで失礼します」
「ああ…」
贈り主が俺だとわかっていたくせに、日本はバラについても何も言わないし、手紙の返事もくれない。結局チョコレートの意味すらも曖昧にしたままだ。日本はそれでこのまま帰るつもりなんだろうか? 帰したくない。帰したくない。でもそんなことは言えない。
「……私だって、あなたに見られないように置いて帰るつもりでしたのに」
「え?」
小声で発せられた言葉を聞き返す間もなく、日本は首に巻いていたマフラーをひらりとはためかせたと思うと、ボンと煙が立ち、次の瞬間には日本の姿は跡形もなく消えていた。なんだこのマジック。すごすぎるだろ。一般人ができるレベルじゃねえよ。ニンジャってすげえな…、と呆気にとられていると、空からひらひらと白い紙が舞い降りて来た。
拾うと、それは眩しいくらいに白い封筒で、表には俺の名前が、裏には流れるような筆の字で、密かにあなたをお慕いしている者より、と書いてあった。









Feb.15.2009