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東
京
の
空
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と言ってイギリスさんが古いマホガニー製のテーブルの上に並べた数枚の写真は、見覚えのある建物のものだった。一瞬それが何を意味しているのか理解できなかったが、よく見ると、中心にうつった窓の奥にちいさく並ぶふたつの影を見つけて、ああ、と思わず気の抜けた声が出てしまう。そういえば、あなたは、偵察活動が得意でいらっしゃいましたね。 目をあわせなくともイギリスさんが息を飲んでこちらの反応を伺っているのがわかる。急に自邸に呼び出されて、こちらが遠方から出向いてもろくな対応もされず、ぶっきらぼうな態度でそのまま書斎に通されたかと思えば、こんなことか。そう、自分にとっては「こんなことか」という程度のことであるのに。そのまま黙っているとイギリスさんは焦れたように言った。 「何か言うことは無いのか」 「…アメリカさんの家に招かれただけですよ。これがどうかされましたか」 「じゃあ、これは、どうなんだ」 イギリスさんは引き出しから更に一枚の写真を取り出し、叩き付けるようにテーブルに投げた。ぼやけてはいるが、そこには確かに剥き出しの背を晒した自分とアメリカの、見るに耐えない姿があった。カーテンをおおっぴらに開けていた覚えもないのに、よく隙間から捉えたものだ。そんなにまでして、わざわざどうしてこんな、朝を迎えたらはじけて消えるような、残す価値もない醜い瞬間をフィルムに焼き付けるのか。悪趣味にもほどがある。 「こんなものを隠し持っておられるなんて、悪趣味ですね」 つい文句が口をついて出る。 「認めるのか」 「そうですね…」 これではまるで自国の昼のドラマによくある光景だ。うちの大事な息子をたぶらかして。この泥棒猫。売女。淫売。まさか自分がそんな状況に置かれるなんて、思いもしなかった。誰にも迷惑などかけまいと思ってきたのに。 はっきりとした言葉を返せずにいると、急に手を引っぱられたのを感じた。彼が私の手を取ったのだ。その動きが存外に優しく、驚いて手を引いたが、しっかりと握られていたために離すことは叶わない。 「…正直に言えよ。その、アメリカに、無理強いされてるんだろ? あいつ、おまえのこと、何でも言うこと聞くと思ってるフシあるし、おまえはNoと言えないやつだから…。もう終わりにしろ、こんなこと。おまえが言えないなら、俺からアメリカに言ってやるから、安心しろ」 急に優しくなった声で予想外のことをささやかれて、動揺した。 無理強い? Noと言えない? 私がただの被害者だとでも? てっきりアメリカさんに向いていると思った矢印は、自分のほうに向けられていたということか。私が考え込んでいると急に何を思ったのか、彼は首まで赤く染めて弁解してきた。 「いや、俺は、別におまえのためではなくて、単にアメリカの元養育者として、おまえらにこういう不平等な関係があると問題だと思ったから、それだけだ!」 その言葉が本当でしたら、そのためにこんな寒い季節に偵察活動までしたというのでしたら、養育対象に執着しすぎなあなたにこそ問題がありますよ、と思えどもそれは微塵も漏らさずにおく。 こうして現場を押さえられては、もう、しらばっくれても嘘をついても納得してもらえないだろう。しかし彼の口からアメリカさんに関係をやめろと言うなどもってのほかだ。あの大きな子供は余計に事態をややこしくする。それならせめて誤解は解かねばなるまい。私がただの無垢な被害者ではないということ、だ。 「…無理強いではありませんよ。確かに最初はアメリカさんからの誘いでしたし、驚きましたが…。そもそもここ最近にはじまった関係ではないのですよ。私があの戦いのあと、アメリカさんに占領されてからずっと続いていることです。今更どうということもありません」 最初は何もかもを我が物顔に扱う彼が要求して来たことではあっても、自分も傷つき、疲れきっていて、縋る背中と我を忘れる時間がほしかったのは事実だ。そして後腐れない関係に味をしめて、ひとりで立てるようになってからも拒絶せず、現代までずるずると続けてきたのも事実だ。 イギリスさんの顔を見上げると、驚きの色が浮かんでいる。そんな昔から、と思っているのだろう。見開かれた目に部屋の灯りがきらりと映る。それは冷たい場の空気にもあわず、きれいだと思った。 「合意の上だと言うのか?」 「…今はそうです」 「…つきあってるということか?」 「そうは言いかねます。お互い、身体が物寂しくなったときだけと言いましょうか。そういった関係はイギリスさんもご存知でしょう」 その関係に相当する言葉は知ってはいたが、直接的な表現を避けたがるのは己の常だった。 「…日本もそんなことができるのか」 「私もずいぶん変わりましたからねぇ、アメリカさんのわがままにはもう慣れましたし」 「わがままって域を超えてるだろ!」 勢い任せに彼がテーブルを蹴り、閉め切った部屋に大きな音が響く。日頃は古い物を愛して大事にしていらっしゃるあなたに、そんな素振りは似合わない。あなたは私たちの忌まわしい部屋など覗き見ずに、幾光年遠く離れた過去の光を放つ星空でも見ていてくれればよかったのに。そのほうが余程お似合いです、イギリスさん。 「…今となっては私だって楽しんでるんですよ」 「おまえは、楽しめれば、誰でも、いいのか?」 「誰でもというわけではありませんけど」 「…俺は?」 「イギリスさん?」 「寂しくなったとき、俺じゃ駄目なのか」 その言葉に、頭の中で警報が鳴ったようだった。駄目だ、違う。この人には、こんな私のとこに来てほしくない。 「…今さら弟さんのおもちゃを横取りしたくなったわけですか?感心しませんね」 「ちげえよ。おまえは、おもちゃじゃないだろ、日本」 あなたこそ違います。否定するべきはそこじゃないというのに。投げかけられた真摯な言葉を茶化してごまかそうとしたつもりが、ふたたび真面目に返されて、もう行き場がないように感じる。息が苦しい。返すべき言葉を探していると、彼は続けた。 「俺はそんなふうに扱いたくないんだ。おまえがアメリカからそんなふうに扱われるのも嫌だ」 ああ、だからあなたは違うというんです。もっと、無感情に、割り切って、やさしさなど微塵にも示さずに、互いの喉元に刃物を突きつけて、胸を暴いて必要なものだけを取り出してください。それが現代です。すべては演技です。すべては欲望のためです。そうやって生きていくのに私はもう慣れたのです。だから、もう、 「…私はそれでいいのです。でもどうかこの写真は処分してください。アメリカさんに知られたら厄介ですから」 テーブルの上の写真に手を伸ばそうとしたところ、手が届く前に彼が先に取りあげた。イギリスさんはそれをそのまま手の中でぐしゃりと丸めて、握りしめてしまった。 「そうやって、俺に知らなかったことにさせて、あの関係をこれからも続ける気なのか? 」 「…やめるというお約束はできません」 「俺はお前がそんなやつだとは思わなかった」 「私もあなたには、こんな人間だと知られたくありませんでした」 次の瞬間、視界がぐらりと揺れたと思ったら、彼に抱きしめられていた。抱くというよりも、骨が軋むほど締め付けられているような力だ。 「…どうして。どうしてだ、日本」 「あの、イギリスさん、苦しいです」 「俺のほうが、苦しい」 肩に押し当てられたイギリスさんの頭が震えて、服が濡れるのを感じる。泣いておられるのですか。どうして泣く必要があるのですか。イギリスさんだって、変わっていくのには、もう慣れたでしょう。失うのにも、汚れるのにも、もう慣れたでしょう。ええ、私は今でもよく覚えています、同盟を結んだのは星がきれいな夜でしたね。あなたはあのあと随分と私にやさしくしてくださいましたね。あのころは私も誰かに大切にされるということ、信頼の絆を持つということ、自分に誇りを持つということを知っていました。 でも、今、東京の空に星は見えません。空気は汚れ、星よりも強い地上の明かりが空を照らし、あのときの幸せや誇りを感じることは難しくなりました。 イギリスさん、泣かないでください。 見えなくなった星は、もうどうにもならないのですから。 Feb.20.2009 |