<これまでのあらすじ>
「これはヒーローの権限です」の続きです。簡単に説明すると、英日は両片思いっぽいんですけど、日本がヲタを隠してるせいで、イギリスはアメリカと日本がお付き合いしていると見事に勘違いしました。わーい。ところでジブラルタルはスペイン親分の先っちょにある英国領で野生の凶暴な猿だらけの島です。










『おーいイギリス、俺、日本と結婚することになったんだぞ!』

は?なに言ってんだよ、アメリカ、嘘だろ?

『嘘じゃありませんよ、私、アメリカさんと結婚することになりました。結納金代わりにハワイをくださるというので』

やめろよ、日本。考え直してくれ。代わりに俺が、ジブラルタルをお前にやるから!

『あんな猿だらけの岩、いただきましても…。それよりジブラルタル島はちゃんとスペインさんにお返しください』

『あ、イギリス、心配しなくとも君は式には招待しないつもりだからね!ほら、君に式のあいだじゅう泣かれたら、しめっぽくなって嫌だろ?』

『新居にはいつでも遊びに来て下さいね、イギリスさん』

『今のは日本のタテマエだから本気にしちゃダメなんだぞ!新婚生活をジャマしに来ないでくれよ!』


アメリカが日本の肩を抱いて、俺から離れてく。俺は追いかけようとするけど、足がやわらかい地面にどんどん埋まっていって、思うように動けない。ああ、待ってくれ、日本。頼むから、話を聞いてくれ。俺にも、もう一度だけ、チャンスを、



 自分の叫び声で目が覚めた。…夢か。なんていう悪夢だ。でも夢でよかった。深く息を吐くと、屋敷の他の住人、妖精だの幻獣だのがベッドを取り囲み、俺の顔をじっと覗き込んでるのに気がついた。おそらく叫び声に驚いたんだろう。あー平気だ、大丈夫だ、と言って、ひとまずその場はみんなを解散させる。
 でも実際は全然大丈夫じゃない。肉体的にも精神的にも全然大丈夫じゃない。頭は割れるように痛むし、胸の奥の痛みについてはもう説明したくない。

 結局昨日はあの後ヤケになって、ほんとうに香港の家まで行って、散々月餅を食べてきた。ちょうど中国はパンダの世話をしにいくとかで留守だったから、途中で口うるさいやつに見咎められることもなかった。でも、日本に渡すはずだったバラを手土産だと言って渡してみたら、俺からの贈り物が堂々と飾られてるのが中国に見つかったら怒られるということで、部屋の奥のずいぶん目立たないところに、ひっそりと隠すように飾られてしまった。陶磁器に活けられてる姿もそれはそれでいいけど、おまえたち、本当は今ごろ日本の床の間に堂々と飾られるはずだったのにな。心の中で、そう、バラに言った。

 ベッドサイドのテーブルに放り出してあった携帯電話に手を伸ばして画面を見ると、もう朝の10時だった。昨夜は家に帰ってからひとりでスコッチをあけて飲んで飲んで飲んで、ベッドに入ったのがいつだかよく覚えていない。そもそもどうやってベッドにたどり着いたかも謎だ。
 携帯に着信やメールは来ていない。日本と連絡をとることが増えてから、こまめに携帯を確認する癖がついてしまった。前は業務連絡に使うだけで充分だと思って、数日間は平気でほっぽり出していたのに、情けない変貌だ。しかしそんな携帯ばかり気にする生活ももう終わるだろう。携帯依存症にならなくてよかった…いや、これは負け惜しみでなく、ほんとにな。電磁波は健康に悪影響を及ぼすっていうしな。
 ちなみに昨日はあのあとすぐ、日本から『イギリスさん。先ほどは本当に申し訳ありませんでした。私が手間取っていたせいでお会いできず、残念です。また近くにお寄りになったときはぜひ遊びにきてくださいね』という、堅苦しいメールが来た。口調はいつもこんなものなんだけど、昨日のことがあったからひどくよそよそしく感じる。それで、まだ返信はしてない。だいたい返す内容も思い浮かばない。「ジャマして悪かったな」とか「アメリカと仲いいんだな」とか「アメリカをよろしくな」とか、そんなことしか言えそうにない。それにそんなことを文字にしたところで自分が落ち込むだけなのは簡単に想像がつく。別に無理に返事しなくてもいいよな、そう思って、携帯をまたベッドサイドに投げた。

 頭は随分覚醒してきたが、まだベッドから出る気になれない。ああ、アメリカと日本。結局、そのことばかりが頭の中を埋めている。確かに前からあのふたりはずいぶんと親しげなイメージがあった。まさかそこまでとは思わなかったが。
 俺が今まで日本に気持ちを伝えるのを躊躇していたのは、日本が男同士とかそういうのが駄目なんじゃないか、気持ち悪いと思われるんじゃないか、と思っていたからだ。でもその問題がないんだったら、もっと早く打ち明けたのに。そしたら日本だって俺を選んでくれたかもしれないのに。いや、たぶん、俺が先だったら、絶対俺を選んでくれたはずだ。そう願いたい。俺のバラだってあんなに喜んで受け取ってたんだから。だってアメリカのどこがいいんだ。ガキだし、メタボだし、空気よまねーし。だいたい日本おまえ、アメリカにひどいこといっぱいされてたじゃねえか。

 でも今さら俺が何を言っても、どうにもならない。もうあのふたりは朝からベッドで仲よくしてる関係だ。俺が日本のことを好きな気持ちは確かだけど、不思議と、アメリカから奪い取ってやろうなんていう気は起きなかった。あいつらはあいつらでうまくやってるんだろうし、兄弟で取り合う(しかも男を!)ってのはなかなかゾッとする話だ。なんだかんだいって、俺は日本も、アメリカのことも好きだから、俺が介入してふたりから不幸の元凶みたいに扱われるのが嫌だというのもあった。そんな事態になるくらいなら、ちょっとした失恋なんて、乗り越えられる……そう願いたい。
 それにしても、日本って意外とやるんだな…。だって口では「もう爺さんです」とか言いながら、朝っぱらからあのアメリカの体力についていってるってことだろ?あんな清楚なナリしてやることやるなんて…いやでもアメリカがわがまま言って日本に無理をさせているのかも…と悶々と考えてると、本来ここは嫉妬で気が狂いそうになるべきところのはずなのに、嫌がりながらもアメリカにいいようにされている日本を想像していたら、なんだか興奮してきてしまった。ああもう、ほんとうに、ほんとうに、俺って……。



 俺が落ち込んでようと、変わらずに日々は続き、歴史は紡がれていく。いくら俺にとってはあまりに酷い展開だとはいえ、結局これも、毎日世界中で何万何千と発生してる失恋のひとつに過ぎないのだから、泣いて飲んで寝ればいつかは痛みも消えていくだろう。誰だって自分の痛みは特別ひどく感じるけど、それを乗り越えて進化の道を歩んでこその人類なわけで……なんか話がデカくなりすぎたか?
 ともかく、そんな希望を抱いて、俺は失恋からのリハビリ生活を開始することにした。だいたい国だとか人種だとか性別だとかに障害があるからちょっと盛り上がってしまっただけで、冷静になればきっとそのうち平気になるだろう。会わないで、連絡もとらないでいれば、おのずと日本のことは忘れて他の楽しみでも見つけられるはずだ。
 だからたまに日本からメールが来ることはあったけど、敢えて開封しないでおいた。仕事の重要な用件なら電話してくるだろうし、私用だったらきっと、俺は文面をまた自分に都合のいいように捉えて、簡単に決意を覆してしまうに違いない。思い込みって本当に恐ろしい。
 ただ、陰でそんな涙ぐましい努力をしたところで、それでも会議に行けば必然的に会ってしまう。こればかりはお互いの立場が呪わしい。特に話しかけたり近寄ったりせずとも、会議中に、日本が離れた席から俺の様子をうかがってるのを感じた。でもそれは熱い視線なんかじゃないことをもう俺は知っているから、変に期待したり勝手に一人で盛り上がったりしない。




 そんな調子で3カ月くらいが経った。寝る前に何度かアメリカと日本のことを想像して興奮してしまったのは別として(想像の中くらいだったら許される、と信じたい)、「日本にできるだけ会わない、連絡もとらない」と決めたことは遂行できていた。俺だって、やればできる。
 そして、そんなときにちょうど、日本と会わなきゃならない仕事が舞い込んできた。会場は日本の家の近くで、内容は両国の友好のなんとかかんとかのため、というどうでもいい名目の会議だ。友好か。友人として、好き。今の俺たちに悔しいくらいぴったりな言葉じゃないか?
 日本と顔を合わせることにはとまどいももちろんあるが、今まで何の連絡もとらずに3カ月ちゃんとやってこれたことを思えば、そろそろすこしくらい会ったとしても、だいぶ平常心を持ってふるまえるようになっているはずだと思った。もう、たとえ日本と無人島に二人きりになっても、アメリカの顔を思い浮かべれば、押し倒さない自信がある。たぶん。二晩くらいなら。

 日本にどう対応すべきか、自分から近寄って何気ない話でも振ってみるべきか、それともただ仕事で来たのだから特に何もしないか。それなりに悩んだりもしたんだが、結局ろくな答えも見いだせないまま、その日は容赦なく来た。当日、行ってみると、会場はいかにもビジネスって感じの、新しい高層ビルだった。上層階の会議場は眺めがよかったので、やっぱりその日も日本と向き合う心構えができそうにもなかった俺は、開始までの待ち時間や休憩時間は外ばっかり見ていた。そのおかげで空にユニコーン型の雲を発見できた。これは果たして幸運の前兆だろうか。だといいんだが。
 仕事自体は、上司が喋ってる横に座って、事前に作ったペーパーを見ながらそれらしいことを言ってればよかったので、楽なものだった。ただ、ときどき、日本が俺を見ているような気がした。そりゃ俺みたいに心にやましいことを抱えてない限り、普通はちょっとくらい見るよな。仕事だしな。さすがにうつむくわけにもいかないが、微妙に視線は逸らす。でも視界の隅に日本の姿が入る。ここはビジネスの場だから、俺が日本の家に行くときに見るキモノじゃない。スーツだ。キモノのほうが似合ってると思うけど、スーツも嫌いじゃない。開国後の日本が俺の真似をしていたことを、俺はまだよく覚えている。あのころはちょっと着られてる感じがしたけど、今は改良したのかなんなのか、ちゃんとサイズの合う細身のスーツだから、ずっとよく見える。いや、でも、あのときの着られてるって感じも、それはそれでよかったんだよな…。ああもう、日本のことは考えないようにしないと。そう思ってるのに。

 そんなことで悶々としていたら仕事は終わった。 なるべく早く帰りたいと思っていたものの、夕方から始まった会議はなんだかんだで長引き、時計を見るともう夜8時を過ぎている。日本を意識しないように、ってことを無駄に意識していたせいか、内容はどうってことないのに(結局座ってただけだ)、普段の仕事よりやたらと疲れた。
 自国の仲間ともその場で解散になったので帰ろうとしたら、反対側のデスクにいた日本がこちらに来るような気配がして、焦った。反射的に、それを避けるように急いで廊下に出る。エレベーターはこんなに上層階だとなかなか来ないらしく、エレベーターホールで待ってる奴がたくさんいたから、横にあったトイレに飛び込んで、個室のドアを閉めた。タイルの壁にもたれかかり、両手で顔を覆う。ああ。なんで俺はこんなに日本から逃げ回るような真似をしてるんだろう。もう平常心でいけるとか思ってたくせに、全然平気じゃないってことじゃねえか。情けねぇ。

 すこし経ってから外をのぞくと、もう廊下にはだれも残っていなかった。日本ももう帰っただろう。ほっとしたような、残念なような複雑な気分だった。エレベーターがちょうど来ていたので駆け足で乗り込むと、中でボタンを押して俺を待っていてくれたのは、見まごう事なき日本だった。……なんでこうなるんだよ。
「…イギリスさん」
 俺が乗り込んできたことに日本も驚いたのか、顔が勢いよくあがった。髪が揺れる。その奥にのぞく黒い瞳。久しぶりに目が合った。こうやってこいつを真正面から見据えたのは、いつ以来だろう。

 そうだ、あのときだ。3か月前の。そうだ、告白だ。俺はお前に告白しようとして、言い出せなくて、結局夕方になって失意のうちに帰った。お前は門の前まで俺を見送りに出て、ゆっくり手を振った。夕陽。俺はそのとき、今なら言えるかもと思った。でも言えなかった。すこし歩いて振り返っても、お前はまだ門の前に立って俺のことを見ていた。そして俺が振り返ったのに気づいて、ほほえんだ。足を止めて今戻れば、まだ、言える、今のタイミングだっておかしくはない。そう思っても、やっぱり言えなかった。そう、次だ、次には絶対、そう思った。あのときはまた次があるなんて思ってたんだ。お前に誰か他のやつがいるなんて夢にも思ってなかったんだ。

 俺がその情景をありありと思い出したのも、時間にするとわずかコンマ一秒。目があっただけで、なんというストップモーション。

 日本が「開く」ボタンから指を離すと、エレベーターの扉が閉まった。俺は壁に背を預けて、操作ボタンの前に立つ日本を後ろから見る。すっとした、スーツの後ろ姿。以前ならこのタイミングで勇気を振り絞って日本を飲みにでも誘っただろうけど、もうそんなことはできやしない。このエレベーターをおりたら、もう別れの挨拶をして帰るだけだ。自然とため息が出た。こういうとき、なんだかんだいって、好きなやつがいる生活っていうのは楽しかったな、と思う。見上げればエレベーターの上で光る階数表示は、無情にも、俺と日本の閉鎖空間にカウントダウンを告げていく。18。17。16。15。14。13。
「あの」
「ん?」
 12。11。日本が操作ボタンを見つめたまま呟いた。この空間には日本と俺しかいないから、今のは俺に向かって話しかけてるってことで間違いないんだよな?
「あの、イギリスさん。今日、他に何か、」
 そのとき。ガタンと妙な音がして、エレベーターが揺れた。
「なんだ、今の。地震か?」
「いえ、地震の揺れとも違いますね…どうしたんでしょうか」
 そのまましばらく待ってみるが、エレベーターは動く気配も、扉が開く気配もない。階数の表示は「7」で止まったままだ。日本が「開く」のボタンを何度か押しても、いっこうに効かない。俺は試しに手でドアを開けようとしてみたけど、指が痛いだけで動きそうにもない。これは、まさか。
「どうやら、機械の故障みたいですね…。私たち、閉じ込められてしまったようです」
 こんなこと本当に滅多に滅多に起こりえないはずなんですけど、と言いながら、日本は何やらまだ懸命に壁のボタンを押している。


 ジーザス。なんてことだろう。こんなこと本当に起こりえるんだろうか。斜め後ろに立つ俺からは日本の清潔そうな襟足がよく見えて、一気に体が熱くなる。だってこんな密室に日本と二人きりで、もう夜だし、ひょっとしたら、このまま朝までジャマが入らないんじゃないだろうか。そんなに長い時間、他にすることも無く、救助を待つ不安な状態で強制的にふたりきりになれるというのなら、どうにもならないふたりだって、どうにでもなれるんじゃないだろうか。いや、絶対にどうにかなる。これはもう神からの思し召しとしか思えない。神様ありがとう。ここ3カ月で懸命に積み重ねてきたあきらめの気持ちが、一気に崩れていくのを感じた。なんて脆い俺の決意。でも仕方がない。なんだって、崩れるときは崩れる。そういうものだ。ああ、悪いな、アメリカ。奪い取るなんて、そんなつもりは全然なかったんだ。でもエレベーターが壊れるなんて天啓が来たら、もう他にどうしようもないだろう?この事態は、どう考えたって、神からのゴーサインなんだから。


 まずどこから始めたらいいんだろう。そうだ、あの日から日本のメールを無視してしまってることについては、やりすぎたかもしれないと思ってるから、それを最初に謝りたい。それから、さりげなく、アメリカとどうなのか聞いてみよう。あんなわがままなガキと付き合って何もかも順調ってことはないだろうから、そのへんのスキをつく。日本にもちょっとくらいこぼしたい愚痴のひとつやふたつあるだろう。そこを俺が優しく「しょうがねえんだよ、あいつは脳がハンバーガーでできてるから一生治らねえよ」とかなんとか慰めればいい。ああ、こういうことを考えだすと、どんどん頭が冴えてくるな。
 で、夜が更けると、だんだん寒くなってくるから、そしたら日本が「イギリスさん、もうすこしそっちに寄ってもいいですか…?」って言うはずだ。自分から言い出さないにしても、日本はアメリカと違っていかにも皮下脂肪がなさそうだから100パーセント寒くなるはずだ。それで俺が紳士的に上着を貸す。いや、背中から覆いかぶさるっていうのも捨てがたい。そっちにしよう。そっちのほうが二人ともあったかいから、って説得しよう。
 そこから先の展開に進むためにはどうしたらいいんだろうか。体温とその場の空気でどうにかならないだろうか。でも俺はちゃんとした紳士だってことを証明するためにも、きちんと日本に思いを伝えなきゃいけないだろう。3カ月前に告白しようとしてたときはいろいろ洒落た言葉も考えてたはずだけど、ずいぶん忘れちまったな。でもこれだけ時間があるなら、いくらでも思い出せるだろう。
 それから朝までは、「いけません、こんなこと、アメリカさんに知られたら…」という具合に、なるようになる…んだろうか?そこまでうまくいく可能性は低いとしても、何らかの心のつながりは絶対に生じるはずだ。
 ああ、でも、そんな長時間閉じ込められるってことは、トイレ行きたくなったりしたらどうしたらいいんだろう。やべえな。やっぱりそういうプレイをするしかないんだろうか。さすがの俺でも最初からいきなりそういうプレイからスタートっていうのは…いや…まあ…今はやむおえない状況だから仕方ないとして…ああでも…


「あの、イギリスさん、イギリスさん」
「……なんだ?日本」
 日本に声をかけられて我にかえった。しばらく考え事にはまり込みすぎていたようだ。しかし早速トイレ行きたいとか言われたら、俺はどうしたらいいんだろう。
「あと20分ほどで整備士が到着するそうなので、大変申し訳ありませんが、それまでしばらくお待ちいただけますか?」
「へ?」
「今、私、非常ボタンを押してエレベーターの整備会社と連絡を取っていたんですけど…お気づきでしたか?何か真剣に考え込んでおられるようでしたが…」
「…20分?」
 なんか日本がボタンをいじってるなと思ったらそんなことをしていたのか。妄想の世界に行っていたせいでまったく聞こえていなかった。いや、それより、非常ボタンってなんだよそれ。そりゃ一応必要なんだろうけど、エレベーターが故障したんだから非常ボタンも一緒に壊れろよ、と今は思ってしまう。てか、それにしても20分て、来んの早すぎだろ、整備会社。そいつらはいったいどこで待機してるんだ?
「もちろん到着してから修理するので、ここから出るにはそれよりさらに何十分かはかかると思います…。本当にすみません」
「…いや、20分て、すげえ早いなと思って。さすが日本だな」
 俺がそう言っても、日本は首をうなだれて、すまなそうにしている。日本にしてみりゃ、安全性で売ってる自国の製品が故障して、俺を巻き込んだっていうことに恐縮しきりなわけだ。
「すみません…故障なんて本当に滅多にないことなのですが」
「いや、全然気にしてねえから。それより、まだ20分あるんだろ、座って待とうぜ」
 きれいに掃除されている(さすが日本の近所だ)エレベーターの床にあぐらをかいて座ると、続いて隅に座ろうとした日本の靴先が膝に当たった。日本はすみませんと謝って、さらに隅に行って小さく体育座りをした。そんなに縮こまらなくてもいいと思うが。でも、座っただけで足が当たるとか、すげえよな。エレベーターってこんなに狭かったのか、と感動する。今までいちいちエレベーターの広さなんて意識したこともなかった。

 しかし、20分か。20分じゃさっきの俺が立てた壮大な計画はまったくもって果たせそうにない。どうにもならないふたりは、きっとどうにもならないままだ。でも、一度崩れてしまった「日本のことをあきらめる」という決意は、もう崩れっぱなしで。だから、すこしでも今この空間で、今後に繋げられるようにできないものだろうか、と考えてしまう。そうだ、すくなくとも、俺が連絡を取らなかったことを謝らないといけない。でもどうやって言い出せばいいんだ?ごく自然に、軽く、どうにか紳士的な感じに…と考えていると、静まり返ったエレベーター内で妙なモーター音がした。顔をあげると、日本が
「ああ、すみません。私の携帯電話です」
と言って胸元から見るからに新型で高性能そうな二つ折りの携帯を取り出した。そうだ。今の時代は携帯電話なんていう文明の利器だってあるんだ。いくらふたりで閉じ込められたって、緊急時ボタンが故障したって、いくらでも外の人間と話ができる。
「はい、もしもし。ああ、アメリカさんですか」
 …すげぇタイミングだな。そう、こんなふうに、たとえ俺と閉じ込められていても、携帯があれば日本はアメリカと話ができる、ってわけだ。携帯電話様万歳。
「はい?トニーさんという方ですか?いえ、お会いしておりませんが…はい…それが今、エレベーターに閉じ込められておりまして…いえ…もう整備士とも連絡が取れましたので…はい、大丈夫です、ありがとうございます。イギリスさんも一緒なので…。ええ、そうです。ふたりだけです。いえ、大丈夫ですよ。ご心配なく」
 日本は会話をさくさくと進めていく。俺が目の前にいるのに、このまま20分間ずっと電話でアメリカと話されたらどうしよう、という不安が頭をよぎる。
「はい、それでは失礼します」
 しかし会話はそこで案外あっさりと終わった。携帯を日本がパタンと閉じて、その音が狭い空間に響く。話していた内容は気になるけど(トニーがなんだって?密室で俺と一緒だなんて貞操の危機だとか言われただろうか?)、だからといって「アメリカなんて言ってた?」って話に食いついて聞くのも格好悪いよな。
「アメリカさんからでした」
「そうか」
 日本は俺が何か聞きたそうにしていたのに気づいたんだろうか。
「トニーさんという方が来てないかどうか聞かれましたけど…」
「トニー?アメリカの変な友達のことか?それがどうかしたのか?」
「急いで探しておられるみたいでしたよ」
「ふーん」
 アメリカからの電話は普通のただの用件だったみたいだ。俺が一緒にいることについてあいつは何の文句も言わなかったんだろうか。どっちかというとあいつは、こんな緊急事態にはヒーローを称して日本を救うために駆けつけてきそうなタイプだと思うんだが。つまりは俺が悪役みたいな扱いで。

 いや、そんなことより、俺はせめて与えられたこの時間を有効に使わないといけない。なんだったっけ。そうだ、俺はとりあえずこの3カ月メールを無視したことを謝ろうとしてたんだ。どう言ったらいいだろう。やっぱり忙しかったから返信できなかった、とか言うべきなんだろうな。別にお前が嫌いになったわけじゃない。いっそのこと嫌われたっていいと思ってたけど、そんなのは嘘だ。いや、そこまでは言う必要ないな…。

「イギリスさん、あの……先日は本当にすみませんでした、せっかく寄ってくださったのに」
 考え込んでる時に急に日本のほうからあの日の話を持ち出され、心臓が止まるかと思った。
「…このあいだ?」
 いつの何の件だかしっかりわかっているにも関わらず、いかにも忘れていたような、あの日の出来事は俺にとってはなんでもなかったようなふりをしてしまう。どれだけ見栄っ張りなんだろう、俺は。
「あ、あの、3カ月ほど前、イギリスさんが私の家に立ち寄ってくださったときのことです。私が出られなくて…」
「ああ、あれか。気にしてねぇよ。約束しないで急に寄った俺が悪かったし」
 本当はもっと優しい言い方がしたい。拗ねてるみたいに聞こえてなきゃいいんだが。
「いえ、悪いなんてことは全然ありません!ただ、たまたまあの日は特別で…本当に普段はいつでも気軽に寄ってくださって構いませんから」
 特別って。ひょっとしてアメリカとの、何かの記念日だったんだろうか。そりゃ朝から燃え上がるはずだよな。なんだかどんどんせつなくなってきた。このままアメリカの性格的な問題じゃなくて性的な問題について相談されたらどうしよう。耐えられるだろうか、俺。
「いや、それより…俺、最近忙しくて、せっかくもらったメール返せてなくて、悪かったな」
 ちょっと耐えられそうにない気がしたので話題をそらし、そのついでに心に引っ掛かっていた件を謝ってしまった。
「いいえ、私が勝手に送っただけですので…。やっぱりお忙しいんですね」
 日本はそう言って顔を伏せる。本当はメール開封もしていないとは…言えねぇな。いくら日本をあきらめるためだったとはいえ、その落ち込んだような日本の様子にどっと罪悪感があふれてきて、胸が苦しくなった。
「あ、ああ、でもこれからはもうそんな忙しくもないからな…」
 それだけ言うのが精いっぱいだった。
「イギリスさん、あのときは、香港さんのところへ行く途中だったんですよね?アメリカさんから聞きました」
「え?…ああ」
 そういえばそんな設定をその場で適当に作って、アメリカに言ったっけ。
「香港さんと親しくされてるんですね」
「親しいっていうか、まあ、元領主国だしな」
「そうでしたね。香港さん、素敵ですしね」
 日本はそれきり黙って、いっそう身を縮ませると、また顔を伏せた。変に落ち込んでるようにも見えるけど、こいつと香港のつながりは、俺にはよくわからない。特に問題なさそうな気がしてたけど、近いアジア同士だから何か複雑なことでもあるんだろうか?いや、今はそれより、俺はアレだ、あの事を聞かなきゃ。
「……お前、アメリカとは、最近どうなんだよ」
 ああ、違う。こういう責めるような聞き方をしたかったわけじゃないんだ。もっと余裕のある感じで、相談に乗る、ていう聞き方をしたかったのに。
「どうって…最近は会議以外あまりお会いしてませんけど」
 日本は顔をあげて、不思議そうに言った。
「そ、そうなのか?」
「ええ」
「…その…アメリカと、うまくいってない…のか?」
 できるだけ真面目な口調で聞いたつもりだが、期待で声がうわずる。
「いえ、別にうまくいってないというわけではありませんが?」
 あっさりそう返されて、エレベーターの床に頭を打ちつけたい衝動に駆られるが、今は我慢するしかない。
「いや、でも…お前ら…」
 付き合ってんだろ?という言葉はいいにくい。そうです付き合ってますが何か?とあらためて本人の口から聞かされたときの自分の衝撃が簡単に想像できる。それはきっと床に頭を打ちつけるくらいじゃ済まない。
「そうですね、ただ、アメリカさんは一通りのゲームが終わったからもう満足したんだと思います」
「ゲーム?おまえたち、ゲーム感覚で付き合ってたのか?」
「…ゲーム感覚というより、ゲームです。いい年して、恥ずかしながら」
 日本は恥ずかしそうに言う。あれがゲームかよ。何だそれ。日本って結構そういう面で奔放なのか?全然そうは見えないんだが。
「…ひょっとして、日本って意外と、遊ぶほうなのか?」
「ええ、まあ、遊びと言われれば…そうですね…」
 今のはわりとショックだ。否定してほしかった。
「……じゃあ、もう、アメリカとは終わったのか?」
「はい?いえ、別にそういうわけではありませんが?」
 ああ、なんだか、もう嫌になってきた。つい言葉尻をとらえていちいち期待をかけてしまう俺も俺だけど、まったく真剣さのない日本の態度もどうなんだ?だって、俺はそんないい加減な関係のために身を引いたんじゃないのに。
「日本、お前、そんなんでいいのかよ。あいつに…その…やりたいときだけ都合よく扱われてんじゃねえか」
「いえ、でも相手はアメリカさんですので、遊んで飽きるのは慣れてます」
「飽きるって…なんだよそれ」
「いいんですよ。アメリカさんはお友達ですから」
 そうあっけらかんと言ってのける、何も気にしていないような日本に、腹が立って仕方がない。どうして日本のことなのに、俺ばっかり気にしてるんだ。ああ、もう、
「お前はお友達同士でセックスするのかよ…」
「え?」
 あっけにとられたような顔をする日本を見て、自分が今ふと発してしまった直接的な言葉が恥ずかしくなった。
「何を言ってるんですか?」
「…だから、お前とアメリカのことだろ?」
「待ってください…何か誤解されてますか?」
「ああ、もういい、俺はここから出る!」
 日本が俺のことを変な顔で見てる。恥ずかしさとやりきれなさで、俺はエレベーターの扉の、あるかないかの隙間に指をかけた。正直に言うと、さっきは日本と一緒に閉じ込められたいっていう気持ちがすこしあったから、そこまで本気でやらなかったんだ。本気でやったらこんな扉くらい、開けられないこともないだろう。
「無理すると危険ですから、やめてください、イギリスさん!救助を待ちましょう」
 日本が俺を引き止めようと、腕をつかんできた。不覚にもそっちに意識がいってしまって、指先にうまく力が入らない。ちくしょう。違うんだ。日本が俺の腕をつかむのはもっと別のシチュエーションだったはずで。
「イギリスさん!」
 日本が俺を呼ぶ。心配そうな顔。こんなことで困らせたいわけじゃない。そして扉は俺が全力でやったとこで、相変わらず、びくともしない。アメリカなら開けられたかもしんねえな。あいつの馬鹿力だったら。ここにいるのが、俺じゃなくて、あいつだったら。

 日本も、アメリカも、俺自身も、エレベーターのこんな扉ですらも、世界はなにひとつ俺の思い通りにはならない。どうしてこうなってしまうんだろう。もう、涙がでそうだ。そう思った矢先、急に世界が暗転した。
「うわ」
「照明が落ちましたね…。ひょっとしたら修理が始まったのかもしれません」
 日本は俺の腕から手を離した。言われてみれば遠くで何か物音が聞こえる。しかし、こんなに急に暗くなると、眼が慣れるまで何も見えない。最近は夜といってもそこらに街灯がついてるから、こんな完全な闇は久しぶりだ。
 扉は開きそうにもないし、暗闇で意地を張るのも虚しくなってきたので、とりあえず、手探りで壁の位置を確認しながら、床に座った。続いて日本も、また隅のほうに座ったような音が聞こえた。
「…あの、イギリスさん、先ほどのお話ですが」
「あれは、もういい」
 日本はこんなに冷静なのに、ひとりで勝手に激昂したのが恥ずかしくなってきた。できればもう蒸し返してほしくない。
「私、そんなことはしてませんよ」
「え?」
「ですから、アメリカさんとは、何もしてません」
「…嘘だろ?」
 暗闇から聞こえる、姿が見えない日本の声は、本当に日本の声なのか、俺の幻聴じゃないのか?不安になってくる。
「してませんってば」
「だってさっき…」
「それはゲームの話です。どこをどう勘違いされたのかはわかりませんが」
「でも、お前ら、して…」
「してません。していたのは、テレビゲームとか、パソコンゲームとか、普通のゲームです」
「だって、あのとき、アメリカが、お前としたって」
「あのとき?」
「…俺がお前に家に行ったとき」
「あのとき、アメリカさんがそんなことを? それは…アメリカンジョークというものではないですか?」
「いや、それは違うと思うが…」
 日本はアメリカンジョークというものを履き違えてるような気もする。それにしたって、ジョークだったのか?三か月前のもう会話の一つ一つはよく思い出せないけど(忌まわしい記憶は封印する予定だったし)、確かあのときアメリカは全然そんな表情じゃなかった。でも、他でもない日本がそれを否定しているのとなら。
「…そんな勘違いをされてたんですね」
 何も見えないと聴覚が冴えるのか、日本の声がやたらとクリアに聞こえる。そこに含まれた感情込み、で。呆れと、安堵。そんな感じの。
 というか、アメリカと日本が付き合ってると勘違いして俺が連絡しなくなったと気付かれたら、いろいろばれるんではないだろうか。下心があったとか、そういうものが。まあどうせ告白するつもりだったから、気持ちがバレるのはまだ仕方ない事態だとしても、こういうどうしようもない形でバレるっていうのはどうなんだ?
「イギリスさんは、そう思って、あの日から私に連絡をくださらなくなったのですか」
 まさに嫌な予感は的中。これは本当に、気づかれたんじゃないだろうか。背筋が凍る。
「あ、いや、だから…その…。ほ、ほんとにアメリカとはしてないのか?」
 気づかれたと思って焦ったのと、やっぱりどうしても安心しきれない気持ちで、我ながらしつこいとは思うが同じ質問を繰り返してしまった。
「してませんよ…そんな雰囲気になったこともないですし」
 暗くてよかった。泣きそうな情けない顔が見られなくてすむ。逆に日本は俺のしつこい確認に呆れたのか、ちょっと笑っているのが声の調子でわかる。
「でも寝ていないと証明するものもありませんから、こればかりはイギリスさんに信じていただくしかありませんね」
 確かに、あったことは簡単に証明できても、なかったことの証明は難解だ。それじゃあまるで悪魔の証明になってしまう。いや、もちろん、証拠なんかなくても、日本、俺はお前の言うことを信じる。そう言おうと思ったが、不覚にも涙で声が詰まる。今しゃべったら泣きそうなのが声でバレてしまう。
「信じていただけませんか?そうですね…これだけ暗いと何も見えませんし、あいにく証拠も何も持っておりませんし、どうしましょうか」
 俺が黙ったままなのを疑いのせいだと思ったのか、日本はしばらく考え込んで、「じゃあ、手を貸してください」と言った。そう言われた俺は、闇の中に手を伸ばす。数回フライングしたものの、何度目かで日本は俺の手をしっかりとつかんだ。そのままゆっくりと手を引かれる。日本が場所を移動する音がする。そして、俺の手のひらが、何かあたたかいものに触れた。このあたたかさ、布地の感触、何より、伝わる振動。これってまさか。
「わかりますか。すごく速いでしょう。高血圧とは関係ありませからね」
 なんていうことだ。日本は俺の手を自分の左胸に押し当てている。これは、もし俺が、今すこしでも指を動かしたら、まずいんじゃないだろうか。そりゃ日本は男だからつかめるような肉はついてないんだけど。
「私は今ここにイギリスさんといるから、こんなに動悸が激しいんです。他の方ではこうはなりません。ですから私にはアメリカさんと寝るようなことはできません。つまりこの前提から、寝たか寝てないかの命題すらも発生しえないということですよ。わかりませんか?」
 わからない。全然わからない。手ばかりが気になって頭がうまく働かない。俺といるとドキドキするから、アメリカとは寝られない?どういうことだ?もうちょっとわかりやすく説明してほしい。ちゃんと確認しないと、また何かを勘違いしそうだ。
「…わかりましたか?」
 黙ったままの俺に、日本がもう一度やさしい声で聞く。首を横に振るのが精いっぱいだったけど、よく考えたら暗闇じゃジェスチャーは伝わらない。間違って変な動きをしないように指をピンと張っているせいで、手が痛くなってきた。緊張のあまりじっとりと汗もかいてきて、気づかれたら嫌だなと思ったら、無言ですっと手が離された。あ、おい、待てよ。俺は反射的に日本の手をまた捕まえようとしたが、闇に溶けた姿は見えない。

 そのとき、急に明かりがついた。明るいところで見ると、意外と日本が近くにいて驚いた。日本は膝立ちになって俺を見下ろすようにしていたが、はっと気づくと急に飛びのいて俺から距離をとり、隅に座りなおして、天井を見上げながら
「電気、つきましたね」
とつぶやいた。
「…もう修理したのか?早くねえか?」
「あとで遅かったと言われないよう、あらかじめ時間を長めに言っておくものなのですよ」
 日本はそう言って、また膝に顔をうずめた。俺はさっきの話の続きはどうなったんだと思ったけど、もうすぐ扉が開いて誰かが来そうな気もしたし、何より明るくなってしまうとまるでさっきのは別の世界の出来事だったようで、言い出しにくい。ただ、顔を伏せた日本の髪からのぞく耳がやたらと赤いことだけが、さっきのは俺の幻覚なんかじゃなかった、ということを教えてくれているような気がした。

 それからすぐに、エレベーターが動いて、表示階「1」で止まり、扉が開いた。外から、のんきそうな作業服姿の男があらわれ、「御迷惑をおかけしました」だの「申し訳ありません」だの、決まり文句で立て続けに話しかけてくる。日本はさっと立ち上がり、そいつに愛想よくお辞儀と感謝の言葉で返していた。俺はその光景を見て、床に座ったまま、エレベーターに「何があっても絶対閉めたままにしておくボタン」が欲しいと初めて思った。


 やっとビルを出ることができたのは、もう9時前だった。一晩エレベーターの中でもいいやと思ってはいたけど、外の風に吹かれるとそれはそれで気持ちがいい。
「遅くなってしまいましたね」
「そうだな」
 しかし俺はこのままあっさり日本に別れの挨拶をして帰っていいんだろうか。だってさっき暗闇の中で俺たちはすごくいいところまでいってたような気がするのに。何もなかったようにこのまま帰るって、どうなんだ?それとも、これから、飲みに誘うのか?一杯だけとかなら、ありか?どう言い出すべきか悩んでいると、
「あの」
と、隣にいた日本が地面を見ながら言った。
「なんだ?」
 日本はなぜか真剣なまなざしで地面を見ているけど、ここにはやっぱり俺達しかいないから、俺に話しかけてるってことで間違いないよな?
「あの、イギリスさん。今日、他に何かご用件はありましたか?」
「いや、別に」
「もう遅いので、帰るのも大変でしょう。ご都合さえよろしければ私の家に泊って行かれませんか」
「それは…」
「明日何かご用事があるのでしたらお引き留めはしませんが」
「いや、全然、何もないんだ、だけど、あの、急だけど、いいのか」
「急に来てもかまわないと申し上げたじゃないですか」
「あ、ああ、そうか。じゃあ、お前がそう言うなら、行ってやってもいい」
 ああもう、どうして俺ってこういう言い方しかできないんだろう。でも日本は特に気にすることもなく、笑顔で「では、参りましょうか」と答えた。嬉しい。ものすごく嬉しい。でもなんだか今の言い方といい、俺今日あんまりいいとこ見せてないんじゃないだろうか、とも思う。エレベーターが止まった時にすぐ非常ボタンを押して整備会社に連絡するって冷静な判断を下したのも日本なわけだし。俺はただ、妄想して、勘違いして、キレて、泣きそうになって、なだめられて…思い返したら落ち込んできた。いくらなんでも駄目すぎるだろ。とっくに呆れられてても、おかしくないくらいだ。

 若干の複雑さを抱えながら日本と一緒に街中を歩いていく。そのときふと目についたものに、俺は足をとめた。
「…あ、俺、さっきのビルに忘れ物した。悪ぃけど、日本、先行っててくれないか?」
「え?そうなんですか?それでしたら、私もご一緒しますよ」
「いや、先行っててくれ、すぐ追いつくから」
「道わかりますか?」
「あ、ああ。わかる。」
 たぶんだけど。
「そうですか…」
「ああ、じゃ、あとでな!」
「は、はい。では、お気をつけて…」
 日本は怪訝な顔をして、こっちを振り返りながらも、先を歩いて行った。その姿を見送って、俺は来た道を戻るふりをしながら、ちょうど店先の後片付けをしていた花屋に飛び込んだ。そして、もうレジを閉めたから無理だという店主を説得して、バラを1輪買った。きれいに咲いているのがもう他に残っていなかったから花束は無理だったけど、1輪だけというのも誠実な感じがしてこれはこれでいいんじゃないだろうか?

 よし、日本の家に着いたらすぐにこれを差し出して、用意した言葉を、今度こそ言おう。いっそのこと、跪いたっていい。とにかく、俺が紳士だという証拠を見せなくちゃいけない。もし日本がバラ一輪と口先の言葉くらいじゃ納得できないというのなら、今度は、今にも転がり出しそうな速さで高鳴っている、俺の心臓の音を聞いてもらうことにしよう。そうすれば、言葉や態度じゃ示せない心の奥の問題が、きっと日本にも伝わるはずだ。






★ ★ ★






 ばれたら怒られるんだろうなあ、とはなんとなく想像していたものの、こんなにのろけられる事態は覚悟はしてなかった。
 突然うちに来たイギリスは、最初に「つまんない嘘ついてんじゃねえよ」と言ったあと、「俺と日本がつきあい始めたら日本を俺に取られるんじゃないかとおまえが不安になる気持ちもわかるが、俺と日本がつきあい始めたからって俺たちは絶対おまえを邪険に扱うことなんてないんだから、な?安心しろ、俺たちにとってずっとおまえは大事なアメリカなんだから」などと(つきあい始める、という言葉は20回以上はでてきた)鬱陶しい説得を延々とされた。
 その次に始まったのは、ふたりが「つきあい始める」に至った過程の話。そこは俺もちょっと知りたかったんだけど、イギリスの口から出てきたのはまるで意味不明の中世の騎士物語だった。エレベーターはまるでシャロット姫の塔。そこからエルフの力で救出された展開になっても俺は驚かないよ。
 横道にそれすぎて結局なにが起きているのかよくわからないイギリスの話をぼんやり聞いていると、遠い昔の、寝る前のお話タイムを思い出して俺はなんだか眠くなってきた。あのときもイギリスは嬉々としてファンタジックな話をしていたっけ。忠実なる騎士。邪悪な魔女。いばらの冠に、鏡の呪い。エトセトラ。

 でも実際のところ、二人のエレベーターが壊れたのは魔女の呪いなんかじゃないことを俺は知っている。たぶん俺だけが知ってる。俺があのちょっとした嘘をついてからというもの、イギリスが黙って帰ってしまったことに不機嫌になった日本はあまり家に来ないでくださいと言うし(八つ橋に3重くらいにくるまれた言い回しではあったけど)、イギリスはイギリスでだんだん疲弊してきてるのが目に見えたから、ちょっと悪かったなと思ったんだ。俺としてはあんな誤解はもっと簡単にとけるものだと思ってたのに、想像以上にめんどくさい二人だったみたいだね。
 そのときちょうどうちにトニーがいたから、なんとなく誰かに聞いてほしくなった俺はトニーに「どうしたものかなぁ」とか話してみたんだよ。まあそれも一緒にシェーク飲みながらで、全然真面目な相談ではなかったんだけど。トニーは普段からファッキンファッキンばかりで全然話なんか通じてんだかなんなんだかよくわからないけど、そのときは話の途中でいつの間にかいなくなってた。 最初はどこ行ったのかなんて気にしなかったけど、しばらくしてから気になって試しに俺が日本に電話してみたら、ちょうど日本はイギリスと二人でエレベーターに閉じ込められているところだったんで、俺は何となくピンときた。仕事が早過ぎるよトニー。なんでトニーがそんな手段に走ったのかは俺にもよくわからない。あとで聞いてもやっぱりファッキンライミーばかりだし。唯一わかったのは、エレベーターを故障させたのは俺がおごってあげたシェークを@@@@(地球上には該当する言葉が存在しないらしいよ!)と融合させた新物質らしい。手慣れてるとこをみると、ひょっとしたら彼の故郷では常套手段なのかもね。どこだか知らないけど。

 そのことを考えていたら、ちょうどイギリスが
「で、結局、エレベーターの故障原因はワイヤに地球外物質がべったりついてたとかでさ。日本、相当怖がってたぜ。地球外物質には対応してませんとエレベーターの説明書に書くべきですか、とかも言っちゃってさ。今もなんでそんなもんがエレベーターにくっついたかはよくわからないままらしいし」
と話した。そりゃそーだろうね。長年一緒にいる俺にだってトニーのことはよくわからないんだから。訴訟大国としては、取扱説明書の件は参考になるけど。

 調子よく語り続けるイギリスを見ていると、日本はいったいこんな人のどこがいいんだろうと不思議に思う。でもこれまで日本とアニメを見てもゲームをしても、いつも簡単にヒロインを好きになってしまう俺とは違って、日本は作品中に登場する女の子の重要度でいったら4番目くらいの、俺にはいつ登場したかさえよく思い出せないような子が好きだった気がする。主人公のことが好きでもなかなか態度にできなくて、報われない、かわいそうな女の子。それで「アメリカさんにはわからないんですか、この子のよさが!」とよく力説されたっけ。イギリスも似たようなタイプなのかもしれないな。
 イギリスが今度の休みも日本と会うんだなどと言ってるとき、俺はそんなことを考えていたから、つい
「日本は君みたいのがタイプなのかなぁ」
と口に出してしまった。するとイギリスは話をやめて
「あいつと好きなタイプの話とかしたのか」
と神妙な面持ちで聞いてきた。
「なんて言ってた?」
「そこまで詳しく知らないよ」
「いいから教えろよ」
「えーとね」
 アニメやゲームで4番手くらいのかわいそうな女の子って言ったら怒られるかな。イギリスは別にいくら怒ってもいいんだけど、あとで日本にバレて怒られたら嫌だな。意外と怖いし、もう遊んでくれなくなったら嫌だし。
「うーんと、そうだね、たしか、ジェントルマンだって」
 そう適当にでっちあげると、イギリスが「ほら!やっぱり俺だろ、俺しかいないだろ!」とわざわざ立ち上がって嬉々としていたので、ありのまま4番手の女の子だよって言えばよかったなと俺はちょっと後悔した。だって好みのタイプがジェントルマンって明らかに変なのに。なんで何の疑問も持たないんだろ、この人。ちょっとどっかおかしいんじゃないのかな。
 だから、「でも日本、いかがわしい妄想するむっつり系のジェントルマンは嫌いだってよ」とまた適当に考えて、釘を刺してみた。そうしたらイギリスが眉間にしわの寄った変な顔をしてこっちを振り返ったから、たぶん思い当たるフシがあるってことなんだろうね!







Jun.13.2009