淹れ立てのコーヒーを片手にソファに座ったら、テーブルの上に飾ってたバラが、もう色が変わって花びらもだいぶ落ちて、すっかりだめになってるのに気がついた。これを近所の花屋で買ったのは先週の金曜だから、ちょうど一週間前だ。あいつが家に来た、前の日。一週間前の俺は上機嫌で花なんか買ったわけね。俺のそういう細やかな心使いだとか愛情深いところは世界にもっと評価されてしかるべきだと思うよ。 でも、そんな素晴らしい俺の気遣いの甲斐もなく、先週のあいつは何があったのか知らないけどものすごい不機嫌で、家に来たって全然落ち着かなくって、長々と仕事の電話かけたり、しまいには普段ろくにしないくせになぜか急にアメリカにまで電話しだしたりして。どうでもいい洗剤の話なんかしてたっけな。うちは電話ボックスじゃないっての。それで、ま、普段は愛情深い俺もだんだんちょっとイラっとしてきて。憎まれ口程度ならまだかわいいもんだけど、あいつの俺に対する態度とかって、少しはどうにかならないものかね。ときどき、玄関マットの方が俺よりまだマシな扱い受けてるような気すらしてくるよ。 愛らしいピンクが見るも無惨な茶色になってしまったバラをつかんで花瓶から抜くと、キッチンに行ってダストボックスのふたを開け、なげやりにつっこんだ。花を飾るのは好きだけど、美しさを楽しませてもらったあとのこの行為はいつもちょっとした罪悪感を生む。仕方ないんだけどさ。花は枯れ、星は燃え尽き、命あるものはいつかは死ぬ。終わりのないものはない。でも、終わりがあるからこそ、尊く、美しい。そういうこともあるよね。ただ、同じように尊く美しいはずの俺自身には、今んとこ、その終わりが見えないんだけどさ。 我が愛しの祖国はそれこそ永遠なれと願うし、生きるのがイヤになったことなんてないけど、いつか何かの事件が起きて、俺が死んだりしないかな、なんてことを、たまに考えたりもする。そりゃもう、通りの真ん中で撃たれたりしてさ、俺は糸が切れた操り人形みたいに、地面に倒れるわけよ。美しく、ドラマチックにね。そして白百合の色の石畳の上に、革命の色の血が流れて、オー・ルヴォワール。 そうやって俺が死んだら、きっとお前ははじめて俺のために涙を流して、嫌味も罵倒も失った唇で、冷たくなった俺の額にキスするだろう。死んでいたとしても、俺にはきっとお前のやさしいキスがわかるよ。でもお前の涙が頬をぬらしても、お前の夢みるおとぎ話の奇跡なんか起きない。俺はよみがえったりなんかせずに、そのままお前をひとり残していく。 そうやって俺が終わりを迎えたときにはじめて、お前の中で俺は尊く美しいものとして形を残すのかもしれない。 海と溶け合う太陽みたいに、永遠に。なんてね。 キッチンに立ったままそんなことを考えていたら、せっかく淹れたコーヒーはいつの間にかすっかり冷めてしまっていた。あーあ。コーヒーを淹れ直して、それを飲み終わったら、近所の花屋にまたバラを買いに行こうかな。今度は黄色がいい。それから、あいつに電話して、どうせガラ空きの週末の予定を聞いてみるとするか。ついでに、俺が死んだらどうするって聞いてみようかな。 ま、たぶん、今すぐ滅びろって言われると思うけどね。 Aug.8.2011 出典詳細 |