日本とイギリスがつきあうことになった、らしい。両方の気持ちにずいぶん早い段階から気づいていた愛の伝道師の俺としては、これまでふたりに対してそりゃもうテキトーに「どーなってんの」「すすんだ?」とかちょっかいだしてきたわけだけど、まさかほんとにふたりがこうなっちゃうとはね。ちょっと予想外。だってあの素直になれないイギリスとシャイな日本じゃさ、うまくいくまであと100年くらいかかるだろうなとか思ってた。だから、日本が恥ずかしそうに「実は…」とごく控えめな報告をしてきたときは、目の前が真っ暗になったよ、いやほんとにね。そんで、そのときやっと、ひょっとしたらけっこう俺ってば日本のこと気にいってたのかな、なんて思った。それでも「あー、よかったね」なんていう言葉がすぐ出るんだよ、この口からは。

 イギリスがポルノ雑誌とウイスキーを振りかざしながらも、結局ずっと誰かの真摯な愛がほしかったのを俺は知ってる。そう考えたら日本は最適な相手だ。まじめで、まじめで、まじめだからね。そんな日本に好きになってもらえたというのはイギリスにとってはそりゃすごい衝撃だったみたいで、まあ確かにちょっとした歴史的事件と言えないこともないけど、その甘ったるい思い出をバカのひとつ覚えみたいに何度も何度も反芻して、そのたびにじんわり感動してるからめんどくさい。せめてそういうのは家でやりなさい。

 だから、今、普段は書類届けに来んのもめんどくさがるくせに、わざわざ自分から俺の家に上がりこんできて
「日本から泊りに来ないかって誘われたんだけど、やっぱりそういうことだよな…」
とか俺に向かって言ってくる眉毛は本当に死んでくれないかなと思うわけで。お前、俺がエロいことにならなんでも興味持つとか思ってるみたいだけど、地球上でお前と日本のセックスシーンだけはパス。正気じゃ考えらんない。
「あーはいはい。そうなんじゃないの?よかったね。だからもー帰れよ、お兄さん忙しいの」
「めちゃくちゃヒマしてんじゃねーかよ」
「畑の世話があるの」
「畑かよ」
 畑バカにするけど、お前の庭だって同じだろ。ソファから立ち上がり、畑仕事用の麦わらぼうしをかぶった。あーもうさっき変なこと言われたせいでふたりの姿が脳裏にちらついて嫌だ。水やったり虫とったりして早く無心になりたい。そういえばこいつら、どっちが上なんだろ。…いやだから、そういうことをもう考えたくないんだってば。
「…お前、うらやましいんだろ」
 かけられた声に振り向くと、イギリスがいやな感じににやついていた。かわいくないにもほどがあるこの眉毛。汚いぼろ切れにくるまって木の根元にうずくまってグズグズ泣いたときはそれなりにかわいかったのに。いっちょまえに人並みの愛を叶えて妄想に目をきらめかせているイギリスは、かわいいどころか殺意が沸く。
「ぜんぜん。お兄さんは愛だけは困ってないからね」
 いや、ほんとに。俺、お前と違ってモテるし。誕生日には山ほどプレゼントが届くし、週末にはぜったいどこかのマダムかマドモアゼルからお誘いがくるし。友達だっているし。おいしい食事に、ケーキに、ワイン。服だって髪だって完璧。そんな愛と幸福にあふれた俺が、誰かひとりだけのものになること自体が罪っていうか。世界的損失っていうか。うん。
「どうだかな。ま、もう関係ないか。日本は俺がいいらしいから」
と言ってイギリスはまたムカつく笑顔を浮かべた。あ、そう。そう言われたんだ。あなたがいいんですとか、そんなこと言われたんだ。へー。胸のあたりがじんじんする。ああ、これには覚えがある。愛の伝道師をなめちゃいけない、俺はこれが何なのかわからないほど経験不足じゃない。これは他でもない、俺のハートが傷ついているせい。愛の痛みってやつ。



「私、実を言うと、フランスさんはイギリスさんが好きなのかと思ってました」
「え?」
 別に他の男のものになるまえにもう一度どうにかしたいというわけじゃないけど、借りた漫画を返すとかいうどうでもいい用事を作って、週末に日本の家に押しかけて、楽しく趣味の話をしていたはずなのに、日本がそんなことを急に言いだした。おそろしく平和な土曜日の午後。ちゃぶ台の上には漫画。お茶とせんべい。外ではスズメがチュンチュンと鳴いている。こんなときにいきなりそんなこと言われても。なに、日本とあいつは、俺にそういう話を振るとかいう示し合わせでもしてるわけ?
「いやよいやよも好きのうち、というじゃありませんか」
「いやそれは俺たちには該当しないから!何言ってんの」
「ふふ、喧嘩ップル」
「違う違う」
「違うとしても、私が見てないところではもっと仲がいいのかなだなんて思ったりしました」
「見てないとこでは殴り合ってるよ」
「いいですね」
「なにが!?」
「フランスさんといるときは、イギリスさんも自然に振る舞ってるというか。…私相手だといつも緊張されてるようなので」
 ああ、結局そこに着地するわけね。カレが好きすぎてカレのことをもっといろいろ知りたいけど、なかなかどうしてまだ慣れないふたり…っていう悩みね。よくあるよね。わざわざ俺に言わなくてもいいと思うけど。ていうかさ。
「俺はあんな眉毛より日本の方がずっと好みだけど。かわいいし優しいし趣味も合うしさ。どう?考え直さない?俺のほうが料理も上手だし男前だし。あいつ超めんどくさいよ」
「はは、善処します」
 俺が冗談交じりに飛ばしたウインクは上滑りして畳の上に消える。やっぱり冗談だと取られたよな、今のは。まあ、もともと、本気にとられようとも思ってないし、本気にされても困るしね。いくら本気だったとしてもさ。

 で、やっぱりこのあとイギリスが来る予定があるというので、俺は日本の家から早めに退散した。いろいろ準備もあるらしいからね。何の準備かは知らないけど。
 今日なにすんだろうな、ふたりで。だいたい夜から会うとかどうなの、考えたくないけどやっぱり自然な流れで…。いや、あいつらここまで来るのに何十年かかってるくせに手だけ早いとかどうなのよ…そもそも日本、シャイなくせにいきなりお泊りとか、誘いかたが露骨すぎない?それとも日本から言ったっていうのは眉毛の妄想で、実はあいつから頼み込んだとか?…だとかいろいろ考えながら日本の家から数十メートル歩いたところで、思いがけずイギリスをみつけた。イギリスは公園でブランコに座って、もうひとつのブランコにバカみたいな大きさの花束を乗せてぼんやりしている。おいおい、ブランコってお前みたいな汚れた大人のものじゃなくって、子供たちの遊具なんだけど。
「おーい、何たそがれてんの」
 離れたところから声をかけると、それまでものすごくぼーっとしてたイギリスが、はじかれたように顔をあげた。
「…は?なんでお前いんだよ」
「お前こそなんで。日本はお前との約束は6時って言ってたけど。間違えたわけ?」
 時計を見ると、まだ4時半だった。
「ま、間違えたわけじゃねーよ!」
 イギリスは赤くなって叫ぶ。いや、間違えてないのにこんなに早く来て近所でスタンバってるほうがイタいと思うんだけど、どうなの?気づいてないの?こいつ。
「ストーカーみたい」
「うるせえ」
「気持ち悪い」
「うるせえ帰れヒゲ」
「俺が日本だったらすごい引くわ」
「お前は関係ないだろばか!」
 罵られながらも俺はイギリスに近づいていって、ブランコに乗せてある花束を手に取った。淡くて繊細な色をした、見事なオールドローズだけの花束。この大きな花束に日本は顔を埋めて喜ぶんだろうね。それを期待して、イギリスはひとつひとつ花を選んで、ひとつひとつとげを抜いてさ。でも渡すときにはたぶん真っ赤になって「お前のためじゃなくて…」とか言っちゃうんだろうな、こいつは。それでも日本はそのセリフの裏に隠れたこいつの真意をちゃんと読み取ってくれる。それを思うと胸がまたじんわり痛くなる。だって俺だってこいつの憎まれ口に隠れた気持ちくらいちゃんとわかってやれるのにさ、日本だけ優しくて理解あるただひとりの存在、みたいに思われるんだよ?俺だってすっごい優しいじゃん。…って、あれ?でも今の流れってなんかおかしくない?俺、なにに妬いてんの?
「あー…」
「なんだよ、早く田舎に帰れよ」
 ブランコに座ったイギリスが嫌そうに俺を見上げた。そうなんだ。困ったことに俺は日本だけじゃなく、こいつのこともたぶん愛してるんだ、それなりにね。なんで俺ってこんなんなんだろなあ。人より愛が多すぎるとか?
「…ねえ、このバラ、俺にちょうだいよ」
「はあ?やるわけねーだろ、頭わいたのか」
「いいじゃんたまには」
「よくねえよ!」
「だってお前ん家にやまほど咲いてんだろ」
「これは全部ちゃんと日本のために選んでんだよ!」
 あーあ。ごちそうさまです。もうやだこいつら、まとめてどっかいっちゃわないかな。せめて俺の見えない所にさ。でももしほんとにそんなことになったら、さびしい思いをするのはたぶんまず俺なわけで。
 いいから返せよ、と立ち上がったイギリスをひょいと避けて、俺はバラを抱えたまま逃げてみた。なんとなくね。公園を出て、日本の家とは逆の方向の道を適当にひたすら走っていく。こんな色男が花束片手に全力疾走なんて、お兄さんひょっとして今すっごく絵になる感じじゃないの?映画のワンシーンみたいな?でも後ろからはイギリスが怒声をあげながら追いかけてくる。アホとかバカとかだけじゃない、もはや放送禁止用語の嵐だ。なんで日本はこんなやつがいいんだろうね。ほんとにわかんない。俺にしなよ。イギリスだってさ、こんな放送禁止用語も笑って流せちゃうの、俺くらいしかいないよ?俺にしたらいいのに。ああ、痛い。でも今は胸じゃなくて、久しぶりの全速疾走のせいで脇腹がズキズキする。愛の痛みよりはマシかな。でもやっぱ痛い。すっごい痛い。あーもう無理だわ、いろいろと。

 もう限界、と思ったところで急に立ち止まったらイギリスが後ろからぶつかってきた。よろめいてたから抱きとめようと思ったけど、イギリスは自分でうまく体勢を立て直し、「あーもう、なんなんだよ!かえせ!」と怒鳴って俺の手から花束を奪った。花びらが一枚宙を舞って、コンクリートの地面に落ちる。俺はそれを拾って、手のなかにやわらかく握った。
「…イギリス」
「あぁ!?」
 息が上がって苦しいながらも頑張って名前を呼んだのに、完全に元ヤンモードで返事をされた。怖い怖い。このままいけば日本に嫌われるんじゃないかな。…あーでもやっぱりね、ふたりを愛する俺としてはさ。
「日本が、もっと、お前のこと、いろいろ知りたいってさ」
 やっぱりこういう言葉が出ちゃうんだよね、この口からはね。






Oct.23.2010