琥一がバイトを終えてWestBeachに戻ると、ルカが床に座って何かをのぞきこんでいた。 「何やってんだ」 「あ、コウ。お帰り。見てこれ、さっき俺が釣ったんだ」 「なんだこりゃ」 ルカが座って覗き込んでいた、水を張ったボウルに入れられてたのは、魚だった。ぬるっとしていて、うつろな目つきをしていて、黒ずんでいて、紫色のぶちがある。こんな気持ち悪い魚、そのへんの岩場はもちろん、水族館にだっていただろうか。琥一は水族館の水槽を一通り思い出してみたが、思えばこれまでそれほど真面目に水族館の展示など見たこともなかったので、特に何も心当たりがなかった。 「お昼にもらったエビフライのしっぽに糸つけて垂らしてたら、こいつが釣れたの。すごくない?」 ルカが魚の尾をひょいとつかんで、琥一の目の前につきだしてきた。水がはね、魚の目に電灯が反射して、ぎらりと光った。 「すごいっていうか…気味わりいな」 「新種のサカナかも。…あ。新種だったら、これ、水族館に持っていったらお金もらえるかな?」 「いや、さすがにそこまでめずらしかねえだろ」 「わかんないよ。そうだ、俺が新種の第一発見者になったら、こいつにコウイチスーパータイガーフィッシュって名前つけるね」 「はあ?!何言ってんだバカ」 「こいつ、コウに似てるよ。うん。似てる」 「似てねえよ!」 「似てるよ、目とかね」 琥一の頭の中をビジョンがよぎる。釣り中の高校生、新種発見!という見出し。化石だの新種だの、たまにある、くだらない地域ニュースだ。 はばたき学園の桜井琉夏くん(17)に取材陣が突撃。地元テレビ局のカメラの前でルカはいつも通りに笑う。俺はヒーローだからこんな世紀の発見も朝メシ前です。朝メシ食べてないけど。あ、コウイチっていうのは俺の大切なお兄ちゃんの名前です。この魚そっくりなんです。コウ、見てるー? めくるめく悪夢のような、でもこの頭のイカれた弟なら絶対にありえないとは否定できない展開だった。 「…その名前は却下だ」 「えー」 「いいわけねえだろバカ。だいたい目だって全然似てねえだろ」 「うーん。じゃあ、ミラクルローズクイーンフィッシュにしよう」 「…なんでそこであいつが出てくんだよ」 「この魚、にも似てるよ。このヒレの形とかのにそっくりだ」 「それ言ったら殴られるぞ」 「怒らないよ。だってよく聞くもんね、新発見した星に恋人の名前をつけたり、さ」 恋人の名前。琥一の中で何かがざわりと揺れて、それに反応するかのようにボウルの中の魚が跳ねた。 「…星と、この薄気味わりいサカナじゃ大違いだろ」 「でも、記念になるよ」 「いいから、もう、くだんねーこと言ってないでさっさと食っちまうぞ」 「あれ、食うの?」 「食うために釣ったんだろ?」 「うん」 「じゃあ、食うべ」 「…うん。だね。それがいいかも。よし。たべちゃお」 そのまま生でも食えるんじゃない?と言うルカを琥一がどうにか止めて、結局適当に焼いて火を通した。適した味付けなどもよくわからなかったのでとりあえず醤油をかけてみたが、骨が多くて、これといってうまいものではなかった。それでも魚はきれいに平らげられ、一応夕食の時間帯に夕食(らしきもの)にありついたという満足感がふたりに残った。 琥一が残った骨をダストボックスに捨てようとしたら、何を思ったかルカは「俺、裏に埋めてくる」と皿ごと持って外に出て行った。残された琥一は階段をあがり、自分の部屋でベッド代わりのソファに横になった。開けっ放しの窓からは、波の音にまぎれて、ルカがさくさくと土を掘る音が静かに聞こえてくる。それから、調子はずれの歌。またいつもの妙な讃美歌か、と思いきや、歌詞がひどかった。神は魚をすくいたもう、魚をすくいたもう、俺の胃袋を通って天国の道をのぼってく。 そんな歌あるわけねえだろバカルカが。琥一は毒づいて寝返りを打った。だが、眠気が訪れる代わりに、だんだん胸のあたりが熱くなってきて、これはあの魚を食っちまった罰か?と琥一はぼんやり思う。でも、星にせよ魚にせよ、恋人の名前をつけるなんて、そんな風に思いを残すなんて、バカバカしいにもほどがある。そもそも、ルカ、俺もも、お前の恋人じゃないんだから。俺たちの名前なんてつけなくて正解だ。お前の気持ちは、名前なんかに残すより、食っちまったほうがずっといい。血になって肉になって、お前の胃袋から天国に行ったほうが、ずっといいんだ。 Aug.11.2010 |