帰りがけにたまたま通りがかった校舎裏で、桜井くん、と呼びとめられた。ルカと区別するために、あまり親しくもないクラスメイトはおろか教師ですら名前で呼ぶのが当然のようになっていたので、声をかけられた琥一は一瞬、それは自分のことなのかと戸惑った。そしていつもの愛想のない返事をする前に、その呼びとめてきた女子から「好きです!」と言われた。 午後の平和な校舎裏に沈黙が落ちる。そういうことはすべてルカの身に起こることで、自分には関係のない世界だとばかり琥一は思っていた。桜井違いじゃねえのか?と確かめようとその声の主を見遣ると、かろうじて見覚えがあるようなその女子生徒(体育の時に一緒になる隣のクラスか何かだったと思う)は琥一と目が合うと真っ赤になって「ごめんなさい、急に困るよね、返事は今度でいいから!」と言って足早に去って行った。ワンテンポ遅れて、琥一が「おい…今度っていつだよ」とかけた言葉は、もう彼女の耳には届いていないようだった。 バイトを終えてWestBeachに帰ると、ルカが一階の席に座っていた。声をかけても黙ってドアに背を向けたままなので何をしてるのかと思ったが、「オラ、帰ったぞ」と金色の頭を叩いてのぞきこむと、テーブルの上には三段重ねのホットケーキがかまえていた。まったくもって通常運転だ。その日は幸運にもバイト先で弁当にありつけていた琥一は、シロップの甘い匂いに顔をそむけ、「俺は寝るからな」と言ってそのままルカの頭を小突くように撫で、自室に戻ろうとした。が、そこで「コウ」と呼び止められた。 「コウ、今日、告白されてただろ」 「…あぁ?なんでテメーが知ってんだよ」 「俺、見ちゃった。顔赤くしちゃって、青春だね?」 ルカは分厚いホットケーキにガシガシとナイフをいれている。琥一の経験上、ルカにこういう絡まれ方をするとろくなことがない。それをネタにして飽きるまでしつこくなんだかんだとからかわれるのが常だ。無視して階段をあがろうとすると「待てよ」と低めの声で呼び止められた。 一応足を止めてルカのほうを見下ろすと、ルカはこっちを見ているものの、右側が相変わらず鬱陶しい前髪に覆われているせいでろくに表情は見えない。 「で、どうすんの?振るの?」 「…てめ―に関係ねーだろ」 できればもうこの話題には触れたくなかった。拾ってきたエロ本についてならともかく、ルカ相手にまじめな告白だの恋だのなんだのについて話すなんてどうもむずがゆくて耐えられそうにない。 「関係ある。すごい関係ある。」 「ねーだろ。」 「あるね!」 ルカは持っていたフォークをこっちにびしっと向けて、やたら自信満々に断言した。 「いちいちうるせーな…なんだってんだよ別にテメーだって普段からホイホイ呼び出されてんじゃねーか」 「俺とコウじゃ全然意味が違う!」 「なんだソレ」 「違うんだってば!それに!ちゃんはどうすんのさ」 「関係ねーだろ」 「じゃ、俺、ちゃんにメールするから。コウがかわいい子に告白されてデレデレ鼻の下のばしてますって」 「ハァ?なんでアイツに」 「だって、関係ないんだろ?」 「…」 関係ないからこそなんで言う必要があるんだ、と思ったがルカはさっそくナイフとフォークをテーブルに置くと、そばにあった携帯を開いてぶつぶつ文句を言いながら何かメールを打ちはじめた。 「コウってほんと、ムッツリだよな。スケベ。ケダモノ。サイテー。そんなコウに喰わせるホットケーキはないね!」 「いらねーよ!」 初めて告白されてすこし甘酸っぱい思いを味わっただけで、まだ返事だってしてないのに、どうしてここまで弟からボロクソに言われなきゃならないのか、理不尽にもほどがある。勝手にメールでもなんでも送りやがれ、だってペラペラと言いふらすような女じゃないし、またルカがイカレて変なことを言い出しただけだと察してくれるだろう、琥一はそう思って自室に上がった。暗い部屋にひとりになると、一日の疲れが急にこみ上げてきて、ベッドにそのまま倒れた。バイトでやたらポリタンクを運ばされたせいか、それとも今のルカとの会話のせいか。あのかろうじて見覚えがある女は俺のことを好きだと言ったがありゃ本気なのか、ルカじゃなくて、俺のどこが?どこを見て?それで俺に何をしろってんだ?ルカが本当ににメールを送っていたら、はどう思うのか?何も思わないだろうか?目を閉じると頭の中のが琥一に「これからどうするの?」と、身長差があるせいでいつも必然的にそうなってしまう、上目遣いで聞いてくる。どうするって、そりゃ…。答えに迷っているとそこにルカが割り込んできてなぜかやっぱり上目遣いで「振るんだろ?」と聞いてきた。てめーには関係ない。本当に関係ない。俺の思考に入ってくるな。 慣れないことを考えすぎたせいで琥一はだんだん頭が痛くなってきた。上半身を起こして、よくない考えを振り払うかのように頭を振ると、ルカが一階で水道を使う音がかすかに聞こえてきた。あいつ言いたいことだけ言ってのんきに甘いもんばっか食いやがって、ああもう、皿くらいちゃんと洗ってんだろうな、歯もみがけよな、なんだかそういうことを考えてるほうが性に合う、と不覚にも思った。 翌朝ルカは、琥一が一階に降りるとまた同じ場所でホットケーキを食べていた。琥一は、まさかこいつ夜通し食べてたんじゃねえだろうなと、若干不気味に思った。もしそうだったら、もうホットケーキの妖怪かなにかなんじゃねえだろうか、こいつは? その真偽はともかく、ルカはごくいつも通りで、特に昨日の告白の件についても何も言わなかった。からかうのに飽きたのか、どうでもよくなったのか。結局ルカがほんとににメールしたのかどうかもわからない。 返事はまた今度と言われたものの、名前も知らない女に対してどうするべきか、このままシカトしていいのかと悩んでいたら、その機会は思っていたより早く訪れた。また帰りに校舎裏を通った時に、同じシチュエーションで話しかけられたのだ。年上のガタイのいい奴らに囲まれたときだってひるまなかった琥一の足が、一瞬ひるんだ。自信なさげに話しかけてきた女に対して、琥一の頭は真っ白になり、 「…悪ぃ」 散々考えたにも関わらず、結局そんな言葉しか出てこなかった。 女はその言葉だけで察したらしく、いいから、だとか気にしないで、だとか明らかに無理した笑顔を浮かべたあと、やはり足早に去って行った。一応考えて出した結論だったが、その後ろ姿を見ると琥一の胸も妙に痛んだ。 こんなとこで青春してても仕方ない、さっさとルカを拾って帰るか、と思って踵を返すと、すぐそばの柱の陰にルカが立っていた。さっき女に返事をした場所から2メートルも離れていない。見られた。顔に血が上ってくるのが自分でもわかるほどだった。いつの間に、どうして、なんなんだお前、だいたい最初のだってなんで見てたんだ、琥一がそう言う前にルカが首をかしげて「帰ろう?」と言った。 「…テメー…今、聞いてただろ」 「え、なんのこと?」 ルカは視線を逸らしてとぼけたが、琥一はその頭を「うぜえんだよ」と言って叩いた。割と強めに。 ひでえ、俺なんもしてないのに!と言ってルカは笑ったが、琥一はひょっとして自分の返事次第でこいつは柱の陰から飛び出て何かしでかすつもりだったんじゃねえかと気づいて、また頭が痛くなった。なにをするのか想像はつかないが、やりかねない。だいたいいつから隠れてたんだ。あんなに近くにいたのにまったく気づかなかった。これもルカのいうところの「ヒーロー」のなせる技なのか?それともすでに弟はホットケーキの妖怪になってきているのか? 考えるだけ無駄だと思って、申し訳程度に隠してあるSR400まで琥一は黙って歩いた。ルカは鼻歌をうたいながらうしろからついてくる。 「ね、俺今日バイトだから、アンネリーまで飛ばして」 というルカの声はやたら弾んでいる。うぜえよ、てめえひとりで走って行け、そんな言葉をあびせるつもりが、振り返って見たルカの顔があまりに楽しそうだったので琥一はうっかり 「…ああ、任せとけ。振り落されないように、つかまっとけよ?」 と笑い返してしまった。 Sep.13.2010 |