目を覚ますと、もう隣の蒲団は空っぽだった。俺は眠たい目でまず自分の手を眺めて、ほっそりした白い指で、まだもとの体に戻ってないことを確認した。 起きて日本の姿を探すと、日本は台所に立って何か野菜を刻んでいた。日本は俺のほうを振り向くと、一瞬身構えて、でもすぐにいつも通りに微笑んで「おはようございます」と言った。そりゃ、昨日この姿になったばっかりだからまだびっくりはするだろうけどさ、そういう感じ、やっぱりちょっと傷つくよね。 「おはよう。まだ戻ってないみたいだ」 「ですね。やっぱり何かしないといけないんでしょうかね。イギリスさんがすでに何かいい方法を見つけてくださっていたらいいんですが…あとで連絡してみましょう」 「ねえ、俺、今日何着たらいいのかな。君の服?」 別にいいんだけどさ、ジャージで寝て、朝ジャージに着替えるっていうのも変な感じだよね。 「そうですね…私のジャージばかりというのも申し訳ないですし。着物も女性向けのはありませんし。あとで買いに行ってもいいですけど…ちょっと…。台湾さんにでもお願いして何か洋服を買ってきていただきましょうか」 急に日本の数少ないガールフレンドの名前が出て、ぎょっとした。たしかに協力してくれそうだけどさ、何だか今の姿をあの子に見られるのは嫌だな。それに、あの子、俺のためって言うより、日本の頼みだったら絶対大喜びで協力するんだろう? 「日本が買いに行くのはダメなのかい?」 「私がですか?…恥ずかしいですよ。女性の服なんてよくわかりませんし」 「店に行くのが嫌なら、ネットで買えばいいじゃないか。Amazon.comなら女性用下着だって買えるんだぞ!」 「…よくご存知ですね」 「なに疑ってるんだい。別に買おうと思って検索したことがあるわけじゃないよ」 朝食を食べ終わって、日本とふたりでパソコンをのぞきこんで何を買ったらいいのかああだこうだと話しあっていたら、また玄関のベルが鳴った。今度は一体誰だろ。いくら早いって言ったって、まだ注文してないんだからAmazon.comのはずはない。 「ボンジュール!ほーら、お兄さんがお洋服買ってきてやったよ!」 突然の訪問者はフランスだった。両手にピンクだの、パープルだの、ミントグリーンのストライプだの、いかにもファンシーな模様の紙袋をたくさん抱えている。そして、おそろしいことに、これは全部俺へのプレゼントらしい。クリスマスプレゼントみたいな気分で包装紙をバリバリ開けていくと、ワンピース、カーディガン、フリルのシャツ、スカート、下着まで出てきた。 「すごいな。サイズわかったのかい?」 「あ、背の感じとかだいたい、昨日イギリスから聞いたからさ」 なるほどね。どおりで彼、昨日は俺の胸ばっか見てたわけだ。 フランスからのプレゼントは色々あって迷ったけど、せっかく女の子なんだから、花柄のワンピースにしようと思った。何百年生きてても、こんなワンピース着たことないからね。淡い色も、今の俺の髪にすごく似合いそうな気がする。ついその場で脱いで着替えようとしたら、日本がすごい勢いで俺を隣の部屋に追い出した。 ただの服のはずなのに、リボンがついてたりして、思いのほか時間がかかる。着替え終わったらふすまを勢いよく開けて、「ほら、どうだい!かわいいだろ?!」と日本の前に立ってみた。気分はちょっとしたファッションモデルだ。 「あ、ええ…」 「おー!かわいいかわいい。しばらくこのままでもいいんじゃないの!」 目を泳がせて煮え切らない返事をする日本とは違って、フランスはぱちぱちと拍手をしてくれた。それでも俺は日本のすぐ隣に腰をおろした。 「このままでいいって…早く戻っていただかないと困りますよ。それよりアメリカさん、その服着るんでしたらちゃんと脚を閉じて座ってください」 「君の家って椅子がないから、スカートだと床に座りにくいよ」 「はしたないですよ」 「あ〜かわいいな〜、お前とカナダがちっちゃくて天使みたいだったころから、どっちかが女の子だったらいいのにと思ってたんだよね〜、そしたら俺好みに育ててさあ、服とか化粧品もいっぱい買ってやってさあ…それからセーヌ川沿いをいっしょに歩いて」 フランスが長々と夢を語り出した。服を買ってきてくれたのはありがたいけど、話を聞いてると、俺、もともと女の子じゃなくてよかったとほんとに思ったよ。 「アメリカさん何度もしつこくて申し訳ありませんが、脚を閉じてください」 フランスの話を聞いてるうちに俺は無意識に膝を立てていたらしく、気づいたら結構きわどい感じになっていた。 「えー、でも、正座なんかできないぞ!」 日本はそれを聞くと「ちょっと失礼します」というと急に立ち上がって、障子をスパーンと勢いよく開けて隣の部屋に行った。急に戻ってきたと思ったら、俺の前にジャージを差し出した。 「見ていられないので下にこれ履いてください」 「日本…気にしすぎなんだぞ」 「今は女性なんですから。はい、あっちの部屋で着替えてください」 「…オーケー、わかったよ」 履くこと自体はいいんだよ。でも日本の態度が厳しいのが嫌だな。 「厳しいねぇ。かわいくていいじゃない」 閉めたふすまの向こうから、フランスの声が聞こえた。フランスがあんなに嬉しがってるのも気持ち悪いけど、日本が全然嬉しがってくれないのも俺は居心地が悪い。だって本当なら、日本はもっと俺に興味を示してくれたっていいはずなのに。 フランスが帰った後、せっかくだから俺は、ワンピース以外の、他の洋服も試してみた。スカートなんて、こんなのが入るなんて信じられないってくらい細いのがすんなり入ってしまった。夢みたいだよ。俺は嬉しくって、つい、日本にもブラウスをまくりあげてウエスト部分を見せてしまった。 「ほら、見て、女の子になったらウエストがすっごくスマートになったよ!君、俺にダイエットしろってうるさく言ってたけどこんな風に解決するとは思わなかったな」 日本はじっとりした目で俺を見て、「…何も解決してませんよ」と言った。 「…それはそうだけどさ」 「そういえば、アメリカさん、あなた、私が触るときいつも、意識してお腹ひっこめてましたよね」 「そんなことないよ!き、君の気のせいだぞ!」 …ばれてるとは思わなかった。でもそんなこと、好きな人の前では誰だってやるだろ?だって、すこしでもスマートなように見せたいじゃないか。 俺の前に立った日本が、ほっそりした手を俺のお腹に向かって伸ばしてきた。ああ、触るのかな、と思った。俺はそういうつもりで見せたんじゃないんだけど、まあ、いいか。でも日本はまくりあげたブラウスを「はしたないですよ」と戻しただけで、すぐに手をひっこめてしまった。 別に触って欲しかったわけじゃない。でも、昨日からあまりに淡白な日本の態度に、さすがに寂しくなってきた。だから、「さて、そろそろイギリスさんに様子をうかがってみましょうかね」と部屋を出ようとする日本の腕を捕まえて、つい引きとめてしまった。日本がぎょっとした顔で俺を見る。あ、また、このイヤな感じ。目の奥がじんわり熱くなるのがわかった。いやだな、女の子ってやっぱり涙腺も弱いのかな? 「…ねえ、女の子になってから、日本は全然俺のこと見てくれないけど、そんなに嫌かい。気持ち悪い?」 「そんな…ただ、緊張してしまうだけですよ」 日本はあからさまなくらいに目を逸らして言う。 「日本、俺はどんな姿になっても俺だよ。君だってそのことは分かってるんだろ?なんだか君の態度、俺は、拒絶されてるみたいでさびしいよ。君はもっと順応力がありそうなイメージだったけど」 日本は目を見開いて「すみません」と言った。「あなたがアメリカさんだっていうのは理解してるつもりなんですけれども…。イギリスさんみたいに、どんな姿になってもあなたはあなただとはっきり言えるのが正しいんでしょうけど」 そういえばイギリスは昨日そんなことを言ってたっけ。言われたとき俺は特になんとも思わなかったけど、日本はあのセリフを気にしていたのかな。 「なんだか私はそう思えなくて」 日本の声はどんどん小さくなる。 「今のアメリカさんをみていると、私からは遠い存在と思わされるばかりで、それが」 と言って日本はうつむいた。俺は耳を近づけて続きの言葉を待ったけど、いっこうに言う気配がない。ひょっとして泣いてるのかな、と思って顔をのぞきこんだけど、そうではないみたいだった。でも、なんていうのかな、こっちの胸まで痛むような、すごく痛々しい表情だった。遠いって?俺が?外見が変わっただけで、ずっと昨日からいつもと同じくらい近くにいるのに。それとも日本は、俺が女の子だったら君を好きになんてならないと思ってるのかな。それこそ、廊下ですれ違うだけのチアリーダーみたいにさ。 俺が日本を抱きしめようとしたら、ぎゅっとくっつくまではいかないところで手を突っ張られてしまった。でも俺が日本の後頭部に手を回したら、日本は身体は近づけないまま、おじぎするみたいに首だけ曲げてきた。それで俺の肩に日本の頭がこつんと乗せられて、くっついてるのか離れてるのか、微妙な体勢になる。 「アメリカさん」 「大丈夫だよ、俺すぐ戻るから」 「…頭の固い爺さんですみません」 そのまま日本の頭をなでたら、胸の奥によくわからない感情がこみあげてきた。いつもみたいな「ヒーローの俺が君を守るよ!」て感じじゃない。でも俺の肩でしょんぼりしてる日本をなんとかしてあげたい。一晩じゅう頭をなでて、耳元で「大丈夫だよ」ささやいてあげたい。大丈夫だよ、俺は俺だよ、すぐ戻るよ、心配しないで、って。ああそうだ、今なら高い声も出るだろうから、子守唄代わりにテイラー・スウィフトでも歌ってあげようか? こんな風に日本のことを考えるなんて、俺は本当に気持ちまで女の子になっちゃったみたいな気分だ。たとえ俺が本当にハイスクール・ドラマに出てくる人気者のチアリーダーでも、ひょっとしたら俺はアメフト部のキャプテンなんかより、日本のことが好きになっちゃうのかもしれないな、と思った。オープンカーで家の前まで迎えにくるマッチョな男より、女の子の肩にこわごわ触れるしかできない、ギークでマジメで卑屈な君が愛しいよ。きっと俺は、ヒーローでもヒロインでも、廊下ですれ違うだけでも、絶対に君を見つけだすと思うんだ。 そのまま日本のこめかみにキスしたら、日本は「やめてください」と身をよじったけど、俺はやんわりと服を掴んで離れないようにして、また日本の頭を撫でた。この程度のラブシーンも許してくれないなんてさ、ひどいよね!かわいいチアリーダーみたいな俺にキスされても全然ほだされないくせに、君ときたら、ヒーローの俺にはどうしようもなく惚れてるときてる。まったくひどい三角関係じゃないか。こんなドラマじゃ、絶対人気なんか出ないですぐに打ちきりだよ。 「俺、すぐ戻るからさ」 俺は自分にも言い聞かせるように、もう一度日本の耳にささやいた。 「すみません」 「どうして謝るんだい」 「ほんとうは、かわいいと思ってますよ、今のあなたも、その服も。でもうまく言えないんです」 「別に無理しなくていいよ」 「すみません」 「だから謝らないで」 「…なんか、ますますアメリカさんじゃないみたいです」 「え、なんでだい」 「優しいというか」 「…ひどいね、君」 俺がそういうと日本が「あ、そういうつもりではなく」とあわてて顔をすこしあげたので、俺はそのチャンスを逃さず、今度は日本の頬に音を立ててキスをした。 午後になったらイギリスがまた訪ねて来た。どうやら参考になる文献を見つけたらしかった。イギリスの話では俺にかかった呪いを解くには、世界の裏側まで大航海して探しに行かなきゃ見つからないような伝説の薬草が必要とのことだったが、その話を聞いて途中でピンと来たらしい日本が中国に電話したら、その草は中国の庭にぼうぼう生えてるようなやつだったらしい。時代は変わったよね。だいたい俺たち今、わざわざ冒険なんかしなくたって、もう世界の裏側に来てるようなものだからさ。 日本は「庭にはえてるただの草なのに、中国さんが円高を理由に3万円も請求してきました!」と言って怒ってたけど、そのあと何もゴネてる様子がなかったとこを見るとあっさり払っちゃったみたいだ。で、その草はすっごいマズかったけど、日本がそのあとにアイス食べていいですからってハーゲンダッツ片手に脅すように言うから、俺はとりあえず頑張った。 その変な草を食べたからといって、どうやってもとに戻るのかのかわからなかったけど、そのまま寝て、朝起きたらいつのまにか俺はもとに戻っていた。起きぬけの、まだぼんやりしている視界で、すぐそばに日本の顔があるのに気づいて驚いた。いつから見ていたんだろう?日本は俺の手を握っていたけど、俺の目が覚めたのに気がつくとぱっと離して、はにかんだような笑顔で「おはようございます」と言った。 そういうわけで俺に起きたトラブルはパイレーツオブカリビアン的な展開までは至らずめでたしめでたし、ってことなんだけど、今、俺たちの目の前には、フランスが用意してくれた服がいっぱい残されている。ピンク。ミントグリーン。アクアブルー。フリルにリボンに花のコサージュ。ああ、こんな細いウエストの服が着れてたなんてちょっと信じられないな!俺はお腹もすっかり戻っちゃったからね。 「もう必要ないね、これ。どうしようか」 俺がそう言うと、日本はまじめな顔でごくあっさりと 「今の姿で着てくださったほうが私は嬉しいんですが」 と答えた。なんていうか、日本ってちょっと…ときどきだけど…どうしようもないよね。本気で言ってるのかなあ。わかんないや。本気にしろ冗談にしろ、どっちにしろ恥ずかしいことに変わりはないけどさ。でも、そんな日本にドキドキして、やっぱりせめてもうちょっと痩せようかなあ、なんて思っちゃう俺も、きっと傍から見たら、どうしようもないんだろうな。 Oct.10.2010 |