うそだろ、冗談だろ?なんだよ、なにやってんだよ日本。お前、変だよ。おかしいよ。仕事のしすぎでいかれちまったのか? ぎこちなく脇腹を探る手がくすぐったくて、真剣に俺なんかを組み敷いてる日本がおかしくて、俺は笑いがとまらなかった。頭がおかしくなったみたいだ。 |
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そもそも、日本の家に泊まるというのは、俺から持ち出した話だった。同盟時代の名残からか、きちんと友人扱いしてくれることが嬉しくて、俺は日本と会うとき、いつもちょっと浮かれてた。アメリカみたいに「え?来たのかい?なんの用?で、いつ帰るんだい?」とかじゃなくて、ちゃんと、客らしく扱われるし。あいつの家も好きなんだ。古い家屋、落ち着いた調度品の揃う部屋、手の込んだ料理、酒。目に見えない奴らと、ゆるやかに流れる時間。 夕飯の後、風呂を借りて、ぽつぽつ話しながらまたしばらく飲んでて、気づいたら日本はずいぶんと眠たそうにしてた。ついさっきまで平気そうだったのに、いつの間にか首があやしげに揺らいでいる。金曜の夜だし、ひょっとしたら顔に出てなかっただけで、一週間終わって疲れてるところに無理言ったのかもしれねえと思って「おい、大丈夫かよ?」とそばに寄って声をかけた。そしたら、日本が俺の肩を掴んで、顔を寄せて、蕩けたような眼差しで俺をまっすぐ射抜きながら、言った。 「イギリスさん…私、イギリスさんを、ずっとお慕いしておりました」 嘘じゃない。確かにそう言ったんだ。 「へ?」 俺はとっさにそんな返事しかできなかったんだけど、ふと気づいたら、目の前が真っ暗に。部屋が暗くなったんじゃない、日本の顔が、ものすごい近かった。あのミステリアスな黒い瞳の中に吸い込まれたみたいに。 そしてそのまま天地が逆転し、背中に畳の感触がある。あまりの急展開に事態が把握できなかったが、とりあえず、日本は今酔っていて、正気じゃなくて、でも普段の様子からは想像もつかないこんな行為をしかけてくるくらい俺のことが好きなのかもしれない、ということが頭の中をぐるぐると回った。名前を呼ばれながら、大切なものみたいにしっかり抱きしめられて、ますますどうしたらいいのかわからなくなった。 日本が俺にそんな感情を抱えていたっていうことを、俺はまったく知らなかった。そして俺はといえば、ちゃんとした友達扱いされてると思いこんで、ひとりで浮かれてたわけだ。 日本のことをこれまでそういう対象として見てなかったとはいえ、こうやって抱きしめられるのは不思議と嫌じゃなかった。だから生理的嫌悪感でこっぴどく拒絶したいとかいうほどじゃないけど、本来はこういう場合ってちゃんと抵抗して簡単に許さないほうがいいんじゃねえの、という気もする。いや、でも、なんだろう、この、どうしようもなく愛されてるって感じ。まぶたの裏がピンク色に染まって、脳が沸騰しそうで、考えがうまくまとまらない。 そのとき、日本から借りた、もともと隙間だらけな構造の浴衣の胸元からぐいっと手を入れられて、肌を直になでられた。うわ、日本、お前も男だったんだな。俺の脇腹を遠慮がちに這う日本の怪しい指の動きがくすぐったくて、笑いがこみあげる。だいたい、日本が俺のこと好きとかいう時点で、マジで笑えるよ。 「ちょっと、おまえ、くすぐったいって」 「すみません」 全然すまないとか思ってないだろ、っていう声で日本が小さくつぶやいて、表情の読めない黒い眼が俺を覗き込んだ。顔が近いな。そう思ったら、おっかなびっくり唇を押しあてるだけの、ぎこちないキスが降ってきた。鼻がぶつかる。下手くそ。世界一位の俺相手によくこんなマネができるな。 たぶん、日本は、こういうことが得意じゃなくて、慣れてもないんだと思う。誰にだって得意不得意はあるし、それは仕方ない。逆に日本がめちゃくちゃ手慣れてたりしたらショックかもしれない。でも、上手くなくても、慣れてなくても、今こいつは勢いで俺にこんなことしてるわけだ。それってすごいことじゃないのか?ああもう、さっきから、背中が畳にすれて痛いじゃねぇか。でも、なんだろう、この痛みすらどうしようもなくおかしい。どうしようもなく笑える。 発作みたいに俺が笑い続けていても、日本は真剣な眼差しで俺を見つめ、俺の身体を、めずらしいものを慎重に調べるみたいに触ってくる。お前って、いつでも、こんなときでも馬鹿みたいに真面目なんだな。そういうとこ、俺は嫌いじゃない。 嫌じゃないとはいえ、いつまでたってもいっこうに要領を得ない日本の動きにだんだんじれてきた俺は、深いキスがしやすいように口を開いて、ついでにすこしだけ、脚も開いた。この脚の動きにはそこまで深い意図はない。ただ日本が上に乗っかりにくそうだったから、バランスをとりやすくした、それだけだ。 気持ちいいってわけじゃないけど、妙に気分がいいし、日本をどかす気になれない。むしろ背中に手をまわして引き寄せてしまいたい。でもそれってあんまり正しくないよな。俺はどうしたらいいんだろう、どうなっちまうんだろう、そう考えていたとき、急に日本の動きがとまり、体がずっしり重くなって、頭が俺の肩に勢いよくぶつかった。 「…おい、どうした、日本」 肩にぐったりと乗せられた頭をぺちぺちと叩いてみるが、反応はない。耳を澄ますと、顔を寄せられた首元から、規則正しい寝息が聞こえた。…つぶれたか?こんな途中で、つぶれるかフツー?ここで終わりか?今から燃えあがるべきとこだろ? 正直、拍子抜けした。結局、俺が口を開けても舌は入ってこなかったし、開いた脚は、内股をちょっとなでられただけだった。いや、そのまま順調に最後までというつもりはさすがになかったけど、だからといってあれだけで途中でとめられるっていうのも…。 ぐったりと重くなった日本の下からどうにか這い出ると、日本の体がぐらりと揺れて畳の上に落ち、頭が床にぶつかってゴツッという音がした。それでも起きる様子はない。ほんとに寝てんだな。 日本が中途半端に脱がしてきた俺の浴衣は、ひとりではもう正しい着方が思い出せなくなった。どっちが前なんだっけ?とりあえずガウンみたいに羽織って紐をむすんどきゃいいんだろうけど、別に寒くもないので、はだけたままにしておいた。あとで日本が起きて俺を見たときに、いかにも「お前に脱がされちゃいました」感が出ている、見事な演出だ。 眠り続ける日本の顔をのぞきこむと、幼く見える顔立ちなのに、眉間には不釣り合いなしわが寄っていた。嫌な夢でも見ているのかもしれない。俺はすぐ隣に腰をおろして、眉間のしわを伸ばすようにそっとふれた。それでも、やっぱり起きない。 そうしてしばらく寝顔を見てたら、妙に優しくしてやりたくなって、とりあえず肩を起こして横向きに寝かせてやった(窒息とか怖いからな)。それからとなりの部屋をちょっとのぞいたら、薄い紺色のキモノがあったので、それを持ってきて日本の肩にかけてやる。あとキッチンに行って、コップに水を汲んでやった。起きたら飲ませよう。 裾が乱れて、日本の脚がちょっとはだけて見えた。こうして眺めているときれいに筋肉がついてるのがよくわかる。軽く裾をめくってみたら、意外と見えてしまったのであわてて直した。細そうに見えて、意外と男らしい体つきなんだな。さっきも普通に乗っかられて堅かったし、重かった。まあ、あたりまえだけど。それより、日本の脚を見てドキドキするなんて俺はどうかしている。でもこのどうかしてる感覚は、案外、悪くない。さっきだって、日本は酔っ払っててイカレてて変に真面目で下手くそで、俺は狂ったみたいに笑いがとまらなくて、きっと傍から見たら狂気の沙汰だったけど、全然悪くなかった。 まだ日本が起きる気配はない。前に座って、さっきまで飲んでいた、グラスに残ってたビールを飲みほした。早く起きねえかな、と思う。お前が目を覚ましたら、聞きたいことがたくさんある。 日本、お前、いつから俺のことそういう目で見てたんだ?家にこもってディスプレイの前で、やたら目のでかい女の絵に興奮するタイプじゃなかったのか?俺のどこが好きなわけ?好きになる具体的なきっかけは何?ひとりでいるとき、俺のことどういう風に思いだしたりする?俺が泊りに来るって時点でひょっとして何かあるかもとか期待してた?お前も男だから、してないわけないよな?なんでそんなにうまく感情隠せるんだ?俺にばれたら嫌われるとか悩んじゃったりしてたわけ?俺がエロ話をふるたびにお前は困った顔をしてたけど、あのとき、お前、本当は女の話をする俺に傷ついてた?さっきはあんなに力いっぱい抱きしめてきたけど、お前って淡白そうに見えて意外と独占欲があるタイプ?なあ、もし、俺からキスしたら喜ぶ?お前がしてほしいなら、してやってもいいぜ。だってお前、下手すぎんだよ。さっきのあれは、ちょっとない。 日本の寝顔を見ながらそんなことを考えていたら、熱い感情で胸がいっぱいになってきた。こんなに近くに、俺を愛してくれているやつがいたなんて、俺はずっと知らなかったんだ。灯台下暗しとは言ったものだ。今、この瞬間に、全世界に向かって叫びたい。日本は俺のことが好きなんだと言いふらしたい。あの何考えてんだかわかんない、二次元大好きって定評のある、極東のミステリアスなサムライは、表面的には必死に隠しながら俺のこと考えてたんだとよ。アメリカでもフランスでも中国でもスイスでも、他の誰でもなく、俺のことを。 ああ、とりあえず明日になったらフランスの家に押しかけて自慢しよう。 『日本がさー、前から俺のこと好きだったらしくて。いや、俺は全然そんなつもりなかったんだけど、泊りに行った時に押し倒されちまって。日本はどうしても俺のこと好きだって言うし、あっけなくフるってのも、かわいそうに思えてきてさ。あいつも必死に尽くしてくれるし、愛されるってのも、そんなに悪くないぜ?』 うわー、すげえ。一度でいいからこんなこと言ってみたかった。フランスのバカはまず信じないだろうから、証拠に今この状態の写真とか撮っておきたいな…。ああでもカメラ持ってくんの忘れた。いっそのこと、あの告白の台詞を録音しておきたかった。日本、起きたらもう一回言ってくれねえかな。 そういやこの後また起きたら、日本はどうするんだろう。とりあえず日本のことだからバカみたいに謝るんだろうけど。でも俺はそれを寛大に許してやろうと思う。で、ちょっといい雰囲気になったら、もう一回くらいならキスしてもいい。でもその先とか、つきあうとかそういう関係は、もうちょっと焦らしたい。せっかくなら、もっと必死になって求めてほしい。それで、俺が、日本の情熱に押されてちょっとずつほだされていく、みたいな。そんな展開になってほしい。情熱的な日本っていうのもあんまり想像できねえけど、無理して頑張るタイプだから意外と恋愛関係でもいろいろ工夫してくんじゃねえのかな。さすがに過労死までされたら困るけど。 それにしても、全然起きねぇな。もう30分くらいたつし、そろそろ一度起きてもいいんじゃねぇのか。そう思って、ちょっと揺さぶってみたら、日本がうめき声をあげた。 「おい、日本。起きたか?」 「…ん」 「起きろよ」 寝がえりを打っただけだったので、しつこく揺さぶってみる。 「えっ、あっ…」 「大丈夫か?」 目を開けた日本の顔を覗き込む。 「はい、すみません…私…寝てしまって…」 日本は身を起こし、目をこすった。そして浴衣が脱げている俺を見ると、さっきまで酒で若干赤らんでいたはずの顔が、面白いくらいにさーっと白くなっていった。あ、こいつさっきのこと思い出したな、と俺は気づく。 「あの、私、もしかして、先ほど…」 「あー、そうだな、これ、さっきお前が…」 ちょっともったいぶったしぐさで、脱げた浴衣を肩にかけ直すようにしてみる。すると日本は「何か着てください!」と叫び、あわてて、俺がさっき肩にかけてやったキモノで、ばさっと俺の身体を覆った。こいつにとっちゃ、目の毒って感じなんだろうか。野郎のハダカが目の毒とか、ちょっと笑えるな。しかし笑ってやろうと思った矢先、日本がバッと床に顔を伏せたので驚いた。ああ、このポーズ。これがうわさに聞く土下座ってやつか? 「わ、私、イギリスさんに大変な失礼を…いえ、失礼というレベルではありませんね…は、犯罪です」 日本の声は震えている。大丈夫か?切腹とかしそうな勢いなんじゃないか、これ。 「イギリスさんを傷つけるつもりは本当になかったんです。ただ、さきほど、私、夢の延長みたいに感じていて。…でも、私も日本男児ですので、事態がこうなった以上、言い逃れはしません」日本はそう言って深く息を吐き、「アメリカさんにでも警察にでも国連にでもNATOにでも訴えてください…!」と額をさらに下げて畳に擦りつけた。 なんだこの状態。そりゃ確かに日本のやったことは普通に考えりゃまずいだろうけど、こんなに犯罪とか警察とか言われて謝られると、さっき日本の抱擁に妙に満たされた気分になって自分からすこし脚を開いてしまった俺としてはどうしていいのかわからなくなってくる。どうせ土下座するなら、泣きながら俺に「一生のお願いですから最後までやらせてください」って頼めばいいのに(そしたらちょっと考えてやらないこともない)。 「待て、落ち着け、日本。訴えるとかはしねぇから。そりゃ驚きはしたけど。…それより、お前、俺のこと好きだったんだな」 俺はどっちかというとそういう話がしたいんだけど。 「申し訳ありません…いくら酒の勢いとはいえ…あんなことを…」 俺の確認事項を無視してぶつぶつと謝罪を続ける日本に、不安がわきあがってくる。 「いや、でも…お前は俺のこと好きだからあんなことしたんだろ?だいたい、好きだっていうのはほんとなんだよな?」 「そ、それは」日本はすこし顔をあげて、でも目は伏せながら、口ごもって言った。「本当ですけど」 それを聞いてかなりほっとした。告白まで酔った勢いでの口から出まかせだったらどうしようと一瞬マジ焦った。 「ですが、本当は、お伝えするつもりはなかったので」 「なんでだよ」 「イギリスさんに、ご迷惑をおかけしたくないので」 「迷惑?」 「だって、き、気持ち悪いでしょう…私に、こんなふうに思われて」 気持ち悪いって、お前なぁ。気持ち悪くはないぞ。確かにさっきのは別に気持ちよくはなかったけど、それはお前の技術的な問題であって、気持ち悪いわけじゃない。そう言うべきかどうか迷って黙っていると、日本は俺の沈黙を否定的にとったようだった。 「もう今後、このような劣情は抱かぬようにしますので、ご安心ください」 「いや、でも、そんな簡単にやめられんのかよ」 「…やめられるよう、努力します」 日本はきっぱりと言い切る。でも、さっき初めてキスしたばかりなのに、本当に気持ちなんて変えられるのか?俺のことなんてどうでもいいとか、すぐそんな風に思えるようになんのか?俺のことそんな簡単にあきらめるなよ、とかそういうのって俺の立場から言っていいセリフなんだろうか?これから、たとえ俺がお前にどんなにひどいことを言っても、何度こっぴどく振っても、気が遠くなるような時が過ぎても、絶対に俺のことをあきらめないでほしい。ずっと好きでいてほしい。そんなことを願うのはわがままだろうか。それがわがままだったとしても、俺のことが好きなお前は、俺の願いを叶えてくれはしないんだろうか。 「…やめるっていっても、今は、俺のこと、好きなんだろ?」 しつこいと思われるかもしれないけど、また確認してしまった。だって、好きなら、そんなに簡単にあきらめられはしないはずだ。そうだろう、日本? 「…好きですよ、イギリスさん」 首をうなだれて、絞り出すように日本が言う。見ると、畳の上でにぎりしめた手が震えてる。こいつは今俺のこと好きすぎて震えてる。信じられない。世界にこんなことが起こりうるのか。なんだ、この、胸の奥からこみ上げてくる気持ちは。背筋に寒気すら走る。今みたいに、俺のこと好きだって、この先、何度でも何度でも言ってほしい。ちゃんと目を見て。囁くように。泣きながら。笑いながら。怒りながら。ふざけながら。抱きしめて、耳元で、いつもと違う余裕のない声で。何十回でも、何百回でも。 「…でも、もう、ご迷惑はおかけしませんから。もし訴えもなさらないのでしたら、このままではイギリスさんも気持ちがおさまらないと思いますので、どうぞ遠慮なく私を殴るなりなんなりしてください」 俺の心の声は日本には全然届いてない。そして日本はどうしても何かけじめをつけたいらしい。俺をあきらめるための、何かを。 「…じゃあ、顔、上げろよ」 日本が土下座の姿勢のまま、顔だけあげた。悲しげな眼。俺が殴るとでも思ってるんだろうか。俺は立ち上がって、日本の正面に立つ。さっき日本が俺の肩にかけたキモノが、日本の顔に藍色の影を落とし、そのまましゃがむと、畳の上に広がった。日本の肩をつかんで軽く身を起こさせると、日本は身震いしたけど、その通りに動く。 俺が今お前にしたいことなんて、ひとつしかない。でも、勘違いすんなよ、まだすべてを許したわけじゃないんだからな。ただ、俺は今、お前にあきらめてほしくなくて、ずっと俺を好きでいてほしくて、震えるほど俺を好きになってくれたお前に、ちょっとしたプレゼントをやりたい気分。それだけだ。 「とりあえず、お前に、キスさせてくれ」 だって、お前からだと、すごい下手だし。 Jun.21.2009 |