オーマイバレンタイン




 イヤホンをフランスの両耳にねじ込み、レコーダーの再生ボタンを押した。音量を最大近くまであげてみたらフランスが悲鳴を上げたので、そのへんは加減してやる。
「…………」
 音声は流れてるはずだが、いくら待ってもいっこうにフランスは黙ったままだ。せっかくお前ん家まで出向いてこうして聞かせてやってんだから、なにか言えよ、こら。
「聞こえたか?ほら、日本、ちゃんと言ってるだろ?」
「……いや、これはちょっとないでしょ」
 フランスがイヤホンを耳から外し、俺に放り返した。
「ないって、なにがだよ」
「だってさぁ、日本めちゃくちゃ棒読みだし。言葉づかいもなんかおかしいし。日本じゃ普通こんなに『愛してます!』とかストレートに言わないでしょ。これ、明らかにお前が台本読ませてるだろ」
「なっ、ちげーよ!ただ、日本が緊張してっからそう聞こえるだけだろ!」
「それに、そもそもなんでこれ録ってあんの?お前、いつも自分の家に盗聴器しかけてるわけ?」
「これは、防犯目的でたまたま仕掛けてあっただけだ!俺の家なんだし、それは普通だろ、別に!」
「いやー…それ気持ち悪いわ…」
「うっせえよ!」
「…ま、でも、よかったんじゃない?いくらこれがヤラセでも」
 お前なんかすっきりした顔してるし、とフランスはつけ加えて、おっさんくさく背伸びをした。

 まさか言いあてられるとは思わなかった。実際、これは日本がフランスの家からうちまで俺を送りに来たあと、賭けでズルして勝った俺が罰ゲームとして言わせたセリフだ。日本が寝てる間に、こっそりテーブル裏に盗聴器まで準備して。(だって俺は前から一度録音しておきたいと思ってたんだ!)
 フランスには重要なとこだけカットして聞かせたけど、実際のところ、日本は真っ赤になって恥ずかしがって(「恥ずかしいです、別の内容にしてください」と何度も言っていた、ちなみになんだか俺はその赤面して懇願する姿に興奮するものがあった)、結局要求を押し通しても、つっかえたり途中で黙ってしまったりして、5回くらいやりなおしになった。
 で、無理やり何度も言わせたせいか、次第に日本も軽くキレ気味になってきて、「なんでこんな恥ずかしいこと言わせるんですか」だとか「まあ…実際その通りですけれども」だとか「私の気持ちはもうすでにイギリスさんにお伝えしてるじゃないですか!」だとか、そんな言い合いが続いて……結局、なるようになった。そのときのことを思い出すと口の端が緩む。でも全部録音してたとか知られたら気持ち悪がられっかな。まあでもなんだかんだいって許してくれるよな。日本なら。

 目の前のフランスを置いてけぼりにしてしばらく回想にふけっていたが、フランスの家のハト時計(なんか気持ち悪い形のやつだ)が鳴いて、我に返った。
「あーそうだ、お前に付き合ってる暇ねえんだよ。俺、今日これから約束してんだ」
「誰と…って聞く必要もないか。あとさっきから勢いに押されてツッコミ忘れてたんだけど、その浮かれた格好は何?お祭りでもあるわけ?」
「別に、正装だよ、正装。こないだ日本がどうしても見たいって言ってたから、驚かしてやろうかと思って…仕方なく、な」
 フランスが今まで流してきたのが不思議なくらいだが、俺が下に履いてきたのはキルトで、まあ簡単に言うとチェックのひざ丈スカートにハイソックスだ。ただ、これはれっきとした、伝統ある民族衣装であって、コスプレだとか、そこらの女子高生みたいな軽々しいもんじゃないから勘違いするなよ。まあ、日本は口ではいろいろ真面目なことを言いながらも(文化を実際に見て知りたいです、勉強になります、etc.)、明らかにコスプレの域でとらえてそうだけどな。
「へぇ。まあ日本が好きそうな感じかもね。せっかくならサービスで、もうちょっと短くしたら?」
 フランスがそう言ってキルトの裾をめくってきたので、とりあえず殴っておいた。いくら録音してなくたって、絶対こいつのほうが、俺より2万倍は気持ち悪い。


 フランスの家を早めに退散したせいで、俺が待ち合わせに指定したパブにも早めに到着した。薄暗い店内を見回しても、日本はまだ来ていない。先に店の奥のほうのカウンター飲んでると、近くのテーブルのカップルが喧嘩を始めた。どうしようもない言い合いが続き(「私はもう豚皮スナックなんて食べたくないのよ」だとかなんとか。意味がわからないが当人以外には察することができない深い悩みなんだろう)、ついに女のほうが泣き始めた。
 ああもう、そんな男、やめとけ、やめとけ。今はそいつしかいないと思えたとしても、この先何があるかなんてわかんねえもんだよ。今だってほんとはお前の近くにもっといいやつがいて、真面目な愛情でもってひっそりとお前を見守ってくれてるのかもしれないぜ。ああ、俺?俺の場合?まあ自分で言うのもなんだけど、俺の場合は相手が結構いいっていうか、そんなに悪くないぜ。はは。なんてな。

 そうやって周囲の会話を聞きながらグラスを傾けてると、日本がドアを重そうに開けて店に入って来るのが見えた。入り口付近に人が多いから、カウンターの奥のほうにいる俺が見えないんだろう、不安げに左右をきょろきょろ見回して俺の姿を探している。その必死な様子がおかしくて、あえて声をかけずに、もっと探せよ、早く見つけろよ俺を、と思いながら黙って見守ることにした。日本は入り口でおろおろしていたせいで、そのあとから店に入ってきたゴツい大男にぶつかられ、よろめいて、でもそのあと自分から丁寧に頭を下げて謝っていた。どうしようもねぇな。でもそんな姿を見ているとやっぱり口元がゆるんでくる。
 このパブにいる他の連中は誰もそんなこと思いもしないだろうけど、そこにいるまじめで、どうもはっきりしなくて、二次元に精を出してて、キスが絶望的に下手なやつが、俺を頭のてっぺんから指の先までしびれるような、涙が出るほどあったかいような、そんな感覚に突き落としてくれるんだ。さっき日本にぶつかったそこの大男、お前、そんなの、想像つくか?つかないだろ?

 だんだんこのまま黙って見ているのも悪趣味かと思い、俺は
「おい、こっちだ!」
と声をかけ、軽く手を振った。すると、日本がハッとこっちを振り向き、目があうとすぐに安心したように表情を和らげた。でもそのあと、急に驚きの表情に変わる。俺の服装が目に入ったんだろう。日本は近寄って来ると、いつもの丁重な挨拶はどこへ行ったのか、いきなり
「イギリスさん、それ着てくださるなら前もって私にちゃんと言ってくださいよ!私、今日、普通のデジカメしか持ってきてないんですよ!」
と言って、身も世もないというふうに嘆きはじめた。おかしい。おかしい。ほんとうにこいつはおかしい。どうしようもない感情が胸いっぱいにこみあげてきて、ついに笑い始めた俺を、日本は「どうかしました?」と不思議そうに見た。俺は日本の肩をつかんで、唇を寄せた。だってそれしか、この笑いをとめる方法がない気がしたからだ。何をされるか察したらしい日本は驚いて「公衆の面前ですよ!」と言って俺を押しのけようと手をつっぱってきたけど、俺は肩をつかむ手に力を込めて、拒絶の言葉も日本が言い切る前にかき消した。






Mar.8.2010