太陽の黒点




 ウィンターカップが終わってから、熱闘を繰り広げた面々は関東にいるキセキの世代を中心に、都合が合う日を見つけては定期的に都内のバスケットコートに集まるようになっていた。だいたい黒子と火神と青峰の3人が中心になり、緑間が仕方がなくという態度で加わり、すこし遠方からではあるが黄瀬もできるだけ参加する。そこに、それぞれの知り合いが毎回何人か声をかけられて来るといった様子であった。

「あれ、今日は火神っちいないんスか?」

 その日、黄瀬が指定されたストバスコートに着くと、すでに黒子は来ていたので誠凛の練習は休みのはずであったが、めずらしいことに火神の姿がなかった。誰にでも都合の悪い日くらいはあるだろうが、今まで毎回欠かさず参加して毎度のように青峰に「次こそぜってー倒す!」と言っていた火神がいないことに拍子抜けした気分だった。

「はい、今日は来れないそうです」
 黒子が答える。
「補修とか?」
「いえ、お兄さんが来てるんです」
「火神っちって兄弟いたの?」
「正確には、兄弟分を名乗っている幼馴染ですが。陽泉の氷室さんですよ」

 ヨウセンのヒムロさん。黄瀬の頭の中にまず紫原が浮かび、紫色のユニフォームが浮かび、それから12番をつけたプレイヤーが浮かんで、「ああ、あの人っスか」とやっとイメージがつながった。そういえば陽泉戦でも火神と氷室が何かにつけて言葉を交わしているのを見た気がするし、そのあと灰崎が現れた時も、黄瀬はつい金髪美女に気を取られてしまったが、氷室もその場にいた。「オレとタツヤの師匠だよ」―――あの言葉をあまり気にしたことがなかったが、今思えばそうか、タツヤは氷室のことか、幼馴染であったのか。いまさらにして納得がいった。
 一方青峰は、火神が来ないと聞いて不服そうだった。

「そいつもここに呼んでバスケすりゃいいだろ」
「いま電話しても出ないと思いますよ。火神君が、氷室さんが知ったらこっちのストバスのほうに来たがるから知られたくないって言ってました」
「なんだそれ」
「独り占めしたいらしいです」
「ガキかよ火神」

 そう言ってカハッと笑う青峰に、黒子が火神と氷室の関係を簡単に話した。昔、ロサンゼルスで会ったらしいこと。火神がバスケを始めるきっかけだったこと。兄のように慕っていたが、仲違いしたまま別れたこと。そして、ウィンターカップでいろいろ確執や揉め事があって、もう兄弟関係をやめるところまでいったけれども、火神はどうしても兄弟でいてほしくて、決勝前に話し合ってどうにか仲直りできたらしいこと。

 ただ、それでも火神はまた自分の言動で氷室の機嫌を損ねないかと不安で仕方ないらしく、いまだにメールひとつするのにも悩んで、黒子に添削を頼み、覚悟を決めてどうにかやっと送る状態だという。

 黄瀬は傍でその話を聞きながら、陽泉と誠凛の試合で見た氷室のプレースタイルをぼんやりと思い出していた。努力によって限界まで磨き上げられた、計算しつくされた―――だからこそ限界を感じさせてしまう動き。目を見張るような成長で、どこまでも跳べるんじゃないかと思わせる火神とは対極の印象だった。

―――あれじゃあ、青峰っちとか俺に比べたら、残念っつうか。

 昔馴染みとはいえ、そんな男が火神の心をそこまで焦らしているというのは奇妙な感じがした。

 黄瀬には、幼馴染と呼べるような人はいなかった。幼馴染というと、青峰と桃井の関係が真っ先に頭に浮かぶ。あのふたりの、なんだかんだ騒いでもすぐに元通りに収まるというか、けっきょく互いのことを分かり合っているというか、遠慮がないのに安定した関係は傍から見ていて好ましかった。しかしそれに比べると今黒子から聞いた火神と氷室の関係は、ロサンゼルスなんて明るいイメージの街にいたわりに、やたら重く暗い感じがした。桃井と青峰とは反対で、分かり合っているからこそ傷つき、遠慮しながらも不安定だ。

「火神君がいつも首から下げている指輪も、小さいころに氷室さんにもらった兄弟の証だそうですよ」

 青峰は火神の過去に興味がないのか、もしくはあまり興味があるように思われたくないのか、黒子の話に「そーかよ」といかにも適当な相槌を打って、しまいには急に立ち上がって走ってシュートを決めに行った。とても入りそうに思えない姿勢から適当に打ったように見えるシュートでも、ボールはきれいにリングをくぐった。


 黄瀬は火神がネックレスに通したリングを普段身に着けていることを知ってはいたが、単にいつもつけている「アクセサリー」として見ていた。
 撮影で使うような新しいデザインや高価なものもいいけど、ああいう古びた思い入れのありそうなものを着けるのも味があって意外といいっスね、映画とかじゃ外国人がよく古いクロスをつけてるし、そういうのって帰国子女の火神っちらしい―――なんて思っていたが、今あのリングの贈り主が氷室と知ると、とたんにすべてがけがらわしいもののように思えてきた。あの、自分たちの高さまで飛べない男が、常に火神に憑りついている。はたからは見えなくてももう取り返しのつかないような奥底まで深く根を張っているのだと思うと、火神の見えないところにべっとりとついた汚れを見たような気がした。


 結局そのあと緑間が高尾を連れてきて、青峰が桜井を呼び出したので、バスケ自体はいつもと変わりなく楽しめたのだが、その日の火神の不在は妙に黄瀬の心に焼き付いた。




 * * *



 翌週の日曜も、来られる者だけストバスコートに集まることになった。また黄瀬が神奈川からわざわざ出向いてみると、先週に続きやはり火神の姿はそこにはなかった。青峰がまた不満げに、あいつはどうしたんだよと黒子に絡んでいる。

「火神君は今日は来る予定だったんですけど、急遽、秋田に行きました」
「はあ?なんで」
「お兄さんとなにかあったらしいです」
「また、あいつか」
「先週別れ際にケンカになってしまったらしくて、火神君この一週間ずっと暗かったんです。カントクからいい加減どうにかしろという指令が出まして」

 それで秋田に強制送還になりました、と黒子が淡々と告げると青峰はあきれたように「オニーチャン大好きすぎるだろ」と言ったが、黄瀬は「それ異常っスよ」と声に出さずに思った。本当の兄弟でもないくせに。ケンカしたからといって秋田まで会いに行くとか、さすがに普通じゃない。それともふたりはアメリカ帰りだからスケールが違うんだろうか。

「火神君、氷室さんのことになると急にウジウジするから、そばで見ててイライラするんですよ」

 言葉にするときついことを言っているが、黒子の口調はあくまで優しい。
 黒子は火神がいないところでは、火神のことを誇らしげに語る。火神の喜びを自分のことのように嬉しそうに語る。しかし、秋田まで会いに行くのがそんなにいいことだろうか、と黄瀬は思った。だって火神はあの男に会ったところで結局ウジウジするだけなんじゃないだろうか。
 誠凛のメンバーだって、火神を送り出したりして、おかしいと思わないのだろうか。あの男の存在で、火神は傷つけられている。いくら昔の縁だって、そばにいたってためにならないんじゃないだろうか。


 黄瀬は自分の持つ火神のイメージと、黒子の口から語られる、氷室に接するときの火神のイメージの差に、喉の奥が焼けつくような感じがした。黄瀬の中では火神は明るくて、野性的で、短絡的で、迷いなくまっすぐ前を向いていた。黒子が光と呼ぶくらいだ。
 火神っちが遠慮したりとか、悩んだりとか、そんなん全然似合わないっすよ―――と思ったが、付き合いの長さからしても黄瀬は火神のことなど本当はよく知りもしないのだ。



 その日のストバスがお開きになると、帰りの電車で時間を持て余した黄瀬は火神に「秋田いってるってマジ?」とメールをした。返信が来たらみやげのひとつでもねだって、火神とのやりとりで家に着くまでの時間がつぶれるのを期待したが、ようやく返信が来たのは翌日の朝で、文面も「いったけどすぐ帰ってきた。紫原にも会ってねえよ」というだけのものだった。黄瀬のほしい情報はまるでなかったが、そもそも黄瀬自身、なんの情報がほしかったかも漠然としなかった。興をそがれたように感じた黄瀬は、もうそのメールに返信しなかった。




 * * *



 翌々週のストバスには、火神が現れた。黄瀬が火神に会うのは1か月ぶり以上だったが、やはり実際に会うと火神は黄瀬のイメージ通りの、明るくて短絡的でまっすぐな男だった。ただ、変わらずに胸元にある指輪を見ると、黄瀬は「ああ、ほんとは内側はあのひとのことで汚れちゃってるんスよね」と思った。

 黄瀬はさんざん青峰とやりあったあと、火神と交代してコート脇のベンチに座った。火神は跳ねるようにして青峰のもとに駆けていく。汗が地面に散って模様を描いた。
 ベンチの端に、火神の荷物が置いてあった。バッグの上にぞんざいに乗せたタオルの真ん中に、指輪が無造作においてあった。指輪は鳥の巣であたためられている卵のように見えた。いつか孵る感情。中身はまだ分からない。
 黄瀬は指輪を手に取ると、チェーンを外して自らの首にかけた。メッキが剥げかけたところを指でなぞる。鏡がないので自分が身に着けているところは見えないが、下を向くと必ず視界に入る指輪の存在感に、おぞましい思いがした。こんなものを四六時中身に着けているだなんて、呪いのようだ。
 しばらく指で触りながら、青峰と火神が戦う様子を見ていたが、火神がベンチに来ると、黄瀬は「ほら、火神っち、これ。どう?似合う?」と見せた。

「はあ?何勝手につけてんだよ、返せ」

 軽くふざけたつもりだったのに火神が存外に真剣な声で言ってきたので、黄瀬も冷たく「そんな大事ならこんなとこに置いとくなよ」と言い返した。正論のように言い返された火神はすこし言葉に詰まったが、いいから返せ、ともう一度言うと手を出してきた。

 黄瀬はその言葉を無視して、指輪の小さな穴を自分の目の前にかざした。指輪は燦々と照る太陽をにぶく反射して、黄瀬はその光に目を細める。そして、その穴から片目で向こうをのぞくと、向かいに立つ火神の姿がべったりと黒く塗りつぶされたように見えて、黄瀬は息をのんだ。

「なにやってんだ、いいから返せって」
「―――ねえ、火神っち、知ってる?こういう小さい穴って、のぞくと、向こう側の景色がはっきり見えるんスよ」

 あんたの内側に巣食ってる、あのひとの黒い影まで。









May.10.2014