気軽に話すような仲でもないし、めんどくさいから無視していいよね、ていうかそもそもアイツが平日にこんなとこにいるはずないからきっとオレの見間違いだよね、と紫原はそのまま通り過ぎようとしたが、向こうは紫原の存在に気づくと、ものすごい勢いで向かってきた。あっちだって決して自分のことを好いてはいないだろうに、待ってましたと言わんばかりである。 面倒なことはごめんだが、こっちが逃げるというのも何か納得がいかない。紫原が両手にビニール袋をぶら下げたまま特に構わず歩き続けると、その男、誠凛高校の火神大我は「紫原ぁ!!」と大声で呼び、つかみかからんばかりに迫ってきた。 そして、「頼む、タツヤ呼んできてくれねえか!」と言ったのである。 「えー、オレが呼ばなくても電話すればいいじゃん。知ってんでしょ、番号」 「それが……ずっとかけてんだけど出てくんねえんだよ。メールも返事ねえし」 「拒否られてんじゃん」 「ち、ちげえよ!ただ気づいてないのかもしんねえし……お前、タツヤと寮一緒なんだろ、今どこにいるかわかるか」 「服つかまないでくれる」 火神はわりい、と言って手を離したが、紫原のそばから離れようとはしない。寮は二人がいる地点から距離としては近いが、敷地内にあるわけではないし、住所も公表されていない。おそらく火神は寮の場所を知らないため、とりあえず校門の前で待ち伏せしていたのだろう。氷室は既に寮に戻っているだろうが、寮生はほとんど裏門を使うので、それで会えなかったに違いない。紫原だって今はたまたまスーパーに行ったから正門前を通ったのだ。 面倒くさかったが、このまま火神を寮まで連れて行って着拒しているらしい氷室に怒られるのと、氷室に「火神来てるよ」とだけ告げるのではどちらが楽かを考え、紫原は後者を選ぶことにした。どうせ今から寮には戻るところだし、氷室の部屋の前は通ることになる。 「じゃあ、室ちんがいたら声かけるだけだからね」 紫原がそう言うと、火神は「…お前、実はいい奴だったんだな」と、急に紫原のことを神様でも見るような目で見てきた。 * * * 「室ちーん」 氷室の部屋の扉をドンドンと叩くと、数秒の沈黙の後、氷室が中からドアを開けた。部活が終わった後ベッドで寝ていたのか、髪が乱れて、めずらしく表情も疲弊した様子である。 そういえば、と紫原は急に思いだした。今はなぜか火神がこっちに来ているが、ついこの前の週末は氷室が東京に行っていたはずだった。行く前は嬉しそうに「ひさしぶりにタイガに会うんだよ」などと聞いてもないのに語っていたが、なぜか東京に行った日の翌朝にはもう帰って来ていて、買ってきてくれるはずだったお土産もなかった。紫原が「ねえ、お土産は〜?」と聞くと、氷室は「どこにもお菓子なんて売ってなかったよ」と満面の笑みでざっくりした返答をした。そんなわけないでしょ、と言いたいが、それは氷室の「これ以上話すことは何もないよ」のサインでもあった。 今考えてみると、そのときから氷室は何か様子がおかしいような気もする。ふとした瞬間に、いつもに増して暗いというか。ただ氷室はもともと腹の底で何を考えてるのかがわかりにくい男なので、気のせいかもしれない、というレベルのわずかな違和感だ。 「なんだいアツシ」 「今、正門のとこに火神来てるんだけど」 「……え?」 火神の名を出した瞬間、ピシッとその場の空気が凍ったようになった。 「それで、室ちん呼んで来いって言われたんだけど」 「……」 「火神がいくら電話しても室ちん出ないからって」 「……」 「ていうか、こっち来る約束してたわけじゃないの?」 「……約束なんかしてないよ。アツシ、オレは留守だし、タイガには会うつもりもないって伝えてきてくれ」 「はあ?なんでオレが。自分で言えば?てゆーか、留守なのに伝言があるって矛盾してるよね」 「いいから、そう伝えてきてくれ」 「何その態度〜。室ちん、火神と仲直りしたとか言ってたけど前より悪化してない?」 「別にたいしたことはないよ」 「火神が秋田まで来てんだからたいしたことでしょ。刃傷沙汰とかやめてよね、部活できなくなるよ」 「アツシ……部のことをちゃんと考えてくれるようになったんだね!」 「は?ちげーし、オレはただ、室ちんがバスケできなくなったらさらにウザいっつってんの。てかマジで騒ぎとか迷惑だから早く行きなよ」 「……残念だけどオレは本当に今タイガに会うことはできないんだ。だから、これで頼むよ」 氷室は紫原買収用に常備しているまいう棒を2本、部屋の奥から取り出してきて紫原に渡した。 「えー、こんだけ?正門まで近いって言っても5分はかかるんだけど。往復で10分だし。後輩使い荒すぎるでしょ。それに今お菓子いっぱい買ってきたばっかりだし、2本もらっても何の足しにもならないから」 そう告げると、氷室は無言でもう3本渡してきた。ひきつったような笑顔が恐ろしいが、もう紫原は慣れっこである。 * * * 「室ちんは留守だし、あんたには会いたくないって」 「紫原……お前、タツヤに買収されただろ」 紫原が両手に持っているまいう棒を見ながら、火神は溜息をついた。 「てゆーか、嫌がられてんのにこんなとこまで来て、相手の迷惑とか考えないの?もうストーカーじゃん」 「ちげえよ、オレはただタツヤと話がしたくて……」 「室ちんは話したくないって言ってるよ。顔も見たくないって。火神が勝手に押しかけてきてるだけじゃん」 やっぱストーカーだ、と紫原が言い募ると、火神はみるみるうちに落ち込んでいき、くぐもった声で「わかってるよ」とつぶやいた。うつむいているので顔は見えないが、手が震えている。どんなにひねりつぶしても勇猛に立ち向かってきた試合中の姿は見る影もない火神の様子に、紫原は「あ、今オレが火神に言ったこと黒ちんに知られたらキレられるかも」と少し思った。 「……とにかく、タツヤに、全部誤解だって、本当に誤解だからちゃんと話したいって伝えてくれ。あのときはただ黒子が、全然違うこと考えるといいらしいって言ったから、オレは試しただけで」 「全然話が見えないんだけど」 「タツヤに言えばわかると思う」 「ていうかそもそもなんでオレがまた室ちんに伝えに行く前提なの」 「だってオマエ今からどうせ寮帰んだろ?」 紫原の明らかに嫌そうな表情を見て、火神がはっと思い出したように、手にしていた大きい紙袋を差し出してきた。 「そうだ。これ、オマエにって」 なにこれ、と紫原がのぞくと、中身はお菓子の山であった。ポテトチップス、まいう棒、練れば練るほど味が変わるやつ、その他にもいろいろな種類の菓子が詰まっている。 「なにこれ!すっごい、これ全部オレもらっていいの」 「ああ。ていうかこれ、オレからじゃなくて黒子からだぜ。秋田行くなら持っていけって渡されて」 「うわー、まいう棒のたこ焼きクロカンブッシュ味だ。パリ風おもてなしリエット味も入ってる〜。これ食べたかったんだよね〜」 入っていた菓子はほとんどが東京限定や季節限定のものばかりで、紫原の機嫌は一気に上昇した。下のほうまでかき分けて見ていると、菓子の山に紛れて小さなメモが出てきた。そこには「紫原君へ 火神君のことを頼みます。 黒子」とだけ書いてあって、紫原はそのメモを取り出して、もう一度よく見てから、握りつぶした。さっきの火神の様子からすると、きっと「紫原君が言うことを聞かなかったらこれを渡して懐柔してください」等と黒子に吹き込まれているのだろう。 ―――バスケの相棒だか何だか知んないけどこんなとこまで世話焼くなんて鬱陶しすぎるし。ていうかオレに頼むなんて黒ちん人選ミスでしょ、オレ別に火神なんてどーなったっていいし。 紫原はお菓子で上がったテンションがじわじわと下がっていくのを感じたが、これだけもらったからには何もしないわけにもいかない。 「……じゃあ、黒ちんのお土産に免じて、室ちんに何か伝えるだけならいーよ」 「マジか!サンキュー紫原!それならタツヤに、さっきの誤解だからってことと、先週うちに忘れた荷物持ってきたから、ひとことも話さなくてもいいから、せめてこれだけ受取に来てくれって言ってくんねーか」 そう言って火神は肩にかけていたバッグを、これ、と示した。 「何これ。中身全部室ちんの忘れもの?」 「あー中身っていうか……バッグごと。タツヤ先週なんも持たずに急に帰っちまって」 いったい何があったかは知らないが、室ちん何やってんの、と紫原も若干呆れてきた。また、さっきまで気づかなかったが、よく見ると火神の左目の横あたりにうっすらと痣のようなものができているのに気が付いた。 「…ねえ、それ、室ちんがやったの?」 「え?」 「目のとこ」 「あー、これは、うん。でもこれは、オレが悪かったから」 「ふーん」 室ちんまた殴ったんだ、と紫原は思った。自分も以前、よりによって試合中にやられたことがある。忘れもしない、この目の前にいる男との試合のときだ。試合中は集中していたせいか気にならなかったが、試合後は思い出したようにずきずき痛んで仕方なかった。紫原はその痛みををぼんやりと思い出した。 * * * 「てゆーわけで、火神がいろいろ誤解だし、室ちんに荷物取りに来いって」 「…アツシ、その大きい紙袋は何だ」 「室ちんには関係ないでしょ。じゃ、俺ちゃんと伝えたからね。そろそろ夕飯の時間だし」 「待て、アツシ」 「まいう棒はいっぱいもらったからもういいよ」 「わかった。じゃあ今度の休みにケーキバイキング」 「1500円のとこは嫌だからね」 「駅前のパティスリーのやつにするから」 「何、代わりに火神から荷物取ってくればいいの?」 * * * 「なんかねえ、室ちんがどうしても行けないから代わりに荷物受け取って来いって〜」 「だーっ!もう!!お前何なんだよ!!すぐ買収されてんじゃねえよ!!!」 「別に、オレは頼まれてるだけだし。じゃあ、これもらってくからね。室ちんは絶対来ないって。オレのあと付けてくるのもやめてよね。言っとくけど寮は許可ないと他の生徒は入れないから」 「あ、てめえ!」 紫原が火神の手から荷物をひょいっと取り上げてしまうと、高さからして、火神には取り返すことはできない。 火神が後ろから待てよとわめくのが聞こえたが、紫原は無視して寮に戻る道を歩いた。火神の声が静かになったので後ろをちらっと振り返ると、火神が他に通りかかった陽泉の生徒に懸命に話しかけようとしているのが見えた。練習のあとどこかで遊び歩いてきたアメフト部の連中だ。おそらくまたどうにかして氷室を呼び出すか、寮の場所でも聞きだそうとしているのだろう。 火神は同じ体育会系だから女子より話しかけやすいと思ったのだろうが、アメフト部にはけっこう見た目のゴツい生徒が集まってる。陽泉の校風もあり、不良のような生徒はいないのだが、背の高さが異常なバスケ部とは別の意味で近寄りがたい部員ではあった。ただ、個人情報など考えそうにもない連中なので、寮の場所を聞くには意外といい人選かもしれない。 寮に戻った紫原がまた氷室の部屋のドアをノックすると、待ち構えていたんじゃないかという速さで氷室がドアを開けた。 「はい、これ荷物」 「ありがとう、アツシ。助かったよ」 「火神には室ちん来ないよって言っといたけど、全然帰りそうにもなかったよ。ほっといたらこのまま夜中まで待ってんじゃない?」 「……勝手にしたらいい。タイガだって子供じゃないんだから、大丈夫だろ」 凍え死ぬような季節でもないし、と氷室が付け加えた。でもさっき火神は寒くなくても震えてたよ、と紫原は思う。 「ふーん……あ、そーいえば火神、さっき正門でアメフト部のやつらに絡まれてたよ」 「は!?なんでそれを先に言わないんだ!」 「だってオレには関係ないし。室ちんだって火神が野宿しようがどうでもいいんでしょ?」 「それはそうだけど…」 喧嘩、事件、怪我、出場停止、といったような文字が氷室の頭の中で舞い踊っているのが手に取るようにわかった。氷室は数秒の沈黙の後、「やっぱり少し様子だけ見てくる」とだけ言って、ドアの前に立つ紫原を押しのけて部屋を出て、階段を一段飛ばしで降りていった。寮の建物はそれなりに古いので、階段を勢いよく駆け降りると今にも壊れそうな音が鳴る。寮母さんに見つかったら確実に怒られるが、明らかにひいきされてる氷室のことだからどうせうまく逃れることだろう。 ―――まあ絡まれてたっていうか、道教えてもらってただけだけどね〜。 黒ちんにもお菓子もらったしね。と、駆けだしていった氷室の背中に紫原は心の中で舌を出す。火神がさっき寮の場所を教えてもらえていたら、そろそろこっちに着いて、氷室と途中で鉢合わせるかもしれない。そんなことを考えつつ紫原が自室に戻ろうとしたところ、さっそく階下から氷室の悲鳴が聞こえた。 それから何か激しく言い合う声が聞こえ、極めつけに火神の大声が古びた建物に響き渡った。 「―――だから!あのとき間違えてカントクのこと呼んだのは、頭ん中で勉強のこと考えてればすぐイっちまうの我慢できるんじゃないかって黒子が言ったから!タツヤ前に俺のこと早いって笑ったじゃねえかよ!!」 今まで断片的に聞いていた話が頭の中でつながって、紫原はうわぁ……と眉をひそめた。つまりは東京でそういう行為中に火神が別の名前を呼んでしまい、それで氷室が激怒して火神を殴って、荷物も持たずに家を飛び出て、夜行バスか何かで秋田まで戻ったせいで、おみやげがなかったのだ。 別に知りたくもない二人の隠れた関係と、火神が抱える性生活上の問題について知ってしまって、紫原は心底面倒くさい気分になった。できることなら今すぐ記憶を消したいくらいだ。 しかも紫原は廊下にいたため特によく聞こえてしまったのだが、今のでおそらく他の寮生にも知れ渡ってしまったような気がする。 ―――あーあ。俺知らないからね。室ちんがウジウジしててさっさと行かないのが悪いんだし。 続いて下から氷室の罵り声と何か大きなものが倒れる音が聞こえたが、紫原は自室に戻って、今回の報酬で獲得したまいう棒(計13本)を机の上に並べ、夕飯の前ではあったが新味の袋から順に開けていくという平和な作業に熱中することにした。 October.12.2014 - Happy KagaHimu Day! |