夜のストバスコートに、二人きりだった。 火神っちを何度かバスケとメシで釣って、どうにか気楽に遊んで話せるみたいな仲になって、でもオレはもっと特別な関係になりたいなーなんて前々から思ってて。 その日はうまく火神っちだけを誘えたから、ふたりで買い物とかもしたかったんだけど、結局火神っちの家の近くのストバスコートで1on1することになって、日が暮れるまで夢中になってしまった。 空にはもう星が出はじめて、火神っちが時計を見て「あー、そろそろ帰るか。明日学校だしな」と言った。オレは疲れたけど帰りたくはなかったから「んー」って、同意だか不満だかよくわかんない声を出して、とりあえず汗を拭いた。オレと火神っちの汗が地面にいっしょに落ちて模様を作ってるのを見ると、頭がくらくらしてきて、その場にしゃがみこんだ。 そしたら火神っちが「大丈夫か」って水のペットボトルを渡してくれて、そのときにちょっと指先が触れた。そこから全身に電流が走ったみたいに、胸をかきむしられるような泣きだしたくなるような衝動がこみあげる。 「火神っち、オレ…」 言ってしまえ、今しかない、どうせいつかは言うつもりなんだし、次いつ会えるかわかんないんだし、こんな二人っきりなんてシチェーション絶好じゃないっスか、そのときは頭の中でそういう声が響いた。 火神っちは「なんだよ?」と、何も知らないみたいな目でオレのことを見る。まっすぐな目。ああ、オレはそんなアンタが、 「火神っちのこと、すごい好き。男なのわかってるけど。大好き。」 そう口に出してしまうと、急速にまわりの温度が下がったような気がした。あ、これ、やばいかも、と警報が鳴る。 火神っちは一瞬何言ってんだこいつみたいな顔をして、それから、え、まさか、みたいな顔になって、それからあの変な眉毛がすげー困ったみたいな形になって、何か言おうと口を開いてすこし迷った挙句、 「…ごめん」 と言った。ふたが開いたままのペットボトルが地面に落ちた。 ■ イ ン フ ェ ル ノ ■ そのあと火神っちがどうしたかは知らない。あろうことか、オレはその場から全速力で逃げてしまった。後ろから火神っちが黄瀬待てよって呼ぶ声が聞こえたけど、なんかもうとにかく逃げるしかなかった。心臓がズキズキして息が苦しい。あれ以上あの場で火神っちと一緒にいたら死ぬって思った。今まで急に校舎裏に呼び出しておいて「好きです!」だけ言って逃げてく女の子とかいて、残されたオレはどうすりゃいいんスかって笑ったことあったけど、笑うんじゃなかった、だってこれほんとに苦しい。 ひたすら走って、火神っちが追ってくる気配もなくなったからいったん立ち止まったら、いつの間にかまったく知らない、ひと気のない住宅街に迷い込んでいた。地図を調べようとして携帯を見ると、火神っちから電話の着信が3件と、メールが2通来てた。メールは「今どこだよ」と「大丈夫か」って一言ずつ。フっといて大丈夫かとか。そりゃ、大丈夫なわけないっスよ。 返信画面を開いて「先帰っちゃってごめん」とか何かテキトーな返事をしようとしたけど、なんかもうめんどくさくなって、やめた。返事しなかったら火神っち心配するかな。でもそれくらいの心配かけたっていいような気もする。だってほら、火神っちだってオレを苦しめたんだから。火神っちも、オレを苦しめたことに苦しんでほしい、みたいな。スゲエ勝手かもしれないけど、それくらいオレから仕返ししたっていいんじゃないっスかね。 地図を確認したら駅とはまるっきり反対方向に走ってたみたいで、そこからは火神っちにばったり会ったりしないように裏道を選んで、とぼとぼ歩いた。暗いし人もいないし道もあってんのかよくわかんないしそれだけでもう心細くなってきて、それがただでさえフラれて苦しい気持ちに重くのしかかってきて、ちょっと涙出てきた。 黙って歩いてると、さっきオレが好きっていったときの火神っちの顔が頭の中に浮かんでくる。かき消そうとしても、何度でも。 あー、火神っち超困ってたな。ごめんって言われたし。そりゃそうっスよね。なに調子のって告ったりしたんだろ。冷静に考えたらダメに決まってんじゃん。やっと普通にただのダチになれたくらいだったし、火神っちがオレのことそんな風に見てないことなんてわかってたはずなのに。今日二人きりで会えて、火神っちのこと独占できたみたいな気になって、浮かれてたのかもしれない。それに、そもそも女の子にモテモテなオレが男なんか好きになっちゃって、だから「これがホントの恋かも!?」なんて勝手に思い込んで、ちょっと現実が見えなくなってたのかも。 あー、言わなきゃよかった。もう遅いけど。 20分くらい歩いたらやっと駅についたけど、さらにそこから電車を乗り継いで神奈川まで帰んなきゃいけない。なんスかこの距離。いつもはそんなに遠く感じないけど、今日はすっごい遠く感じる。 電車の窓から見える、火神っちの住む街の明かりが遠ざかっていく。しばらく会いたくないなーなんて思うけど、そもそもこっちから会いに行きさえしなければ火神っちに会う機会なんてないんスよね。オレがただ付きまとってただけで、よく考えたら火神っちからオレに会いに来たことなんてなかったわけだし…。あ、ダメ、やっぱなんか痛い。ほんとになんで言っちゃったんだろオレ。 でも、今は思い出すだけで頭がバクハツしそうになるけど、きっとしばらくしたらこの感情も落ち着いてまた普通に会えるようになるかな、と思う。そうでなきゃ困る。だって黒子っちにはこれからも会いに行きたいし。 ひょっとしたらそのうち練習試合とかで、思ったより早く会うことはあるかもしれないけど、さすがに試合は試合だから、そーいう場面になってまで感情引きずったりはしないつもり。でももし誠凛にかわいいマネとか急に入ってきて、その子が火神っちにべたべたしたりしてたら、動揺するかも。いや、今想像しただけでけっこうキツイ。ていうか、いくらガサツで女心がわからないからって、バスケ部エースで帰国子女の火神っちがモテないわけないっスよね。オレはみんなからキャーキャー言われるタイプだけど、それとは違って、なんかもっと火神っちの荒っぽい外見からでも優しい内面をちゃんと見抜けるような、火神っちのことを本気で好きな、真面目な子が現れそうな気がする。あー、そうやってそのうちオレの知らないところで、いつの間にか誰かに盗られるんだ。盗られるっていっても、そりゃ別に火神っちは今だってオレのものじゃないっスけど。これからもオレのものにはなってくれないことも今日確定したけど、それでも。 そんなことを考えてたらまた涙がじんわりこみあげてきた。そういえば誠凛に初めて負けたときも泣いたっスね、オレ…。なんだかんだで火神っちには負けてばっかりな気がする。敵わない相手が欲しかったように、叶いそうにもない恋がしたかったのかもしれないけど、もうヤだ。バスケなら強くなってどうにかしてやるって思えるけど、オレがこれ以上かっこよくなったところで、きっと火神っちの気持ちはどうしようもない。こんな気持ちになるくらいなら深入りしなきゃよかった。もう火神っちのことは忘れたい。忘れよう。だってオレ今大人気のモデルだし、有望なバスケ選手でもあるんだし、火神っちの彼氏にはなれなくても、なれるものなんていくらでもあるんスよ? 学校、部活、その合間にモデルの仕事、なんていう生活パターンを送っていれば、わざわざ火神っちに会いに行く暇なんか普通にないわけで。むしろ今までどうやって時間作ってたんだっけって思うレベル。 あっという間にオレが火神っちの前から逃げた日から一週間たって、オレはあの日心配した火神っちがくれたメールにすら返信してなくて、火神っちからもそれ以降、連絡はない。でも忙しくしてればそんなにずっと失恋についてうじうじ考えるわけでもないし、思ったよりすっごい落ち込んでるわけでもなく、荒れるわけでもなく、意外とフツーにマジメに過ごせていた。 でもその日、部活が終わって部室に戻って着替えようとしたら、先輩の一人が遅れて入ってきて 「なあ、今、校門のとこなんかデカいヤツいたけど、あれ誠凛バスケ部のヤツじゃねえの」 と言った。部室が「何しに来たんだ?」「でかいのって誰だっけ?」とちょっとざわめく。まさか、と練習中は部室のロッカーに置きっぱなしにしてた携帯をあわてて見たら、 「今お前の学校の入り口のとこ来てるけど、練習終わったら会えるか」 って火神っちからメールが来てた。なんで。今まで練習試合以外でうちの学校来たことなんかないくせに。とりあえず「ちょっと待ってて、今から行く」ってだけのメールを返して、慌てて着替えを終えてみんなより先に部室を出た。先輩がなんか言ってたけどスイマセン今それどころじゃないっス! なんでこんな平日にわざわざ来たの。オレに何の用があんの。あーもう考えるな、考えたら負けっスよ!!もう火神っちのことは忘れたんだから!と思うけど、校門へ向かうオレは考えずにはいられない。 『オレ、あのときごめんって言ったけど、そういうつもりじゃなくて』 『黄瀬、お前勘違いしてるみたいだけど、ほんとはオレずっとお前のこと』 『急に言われたからびっくりしたけど、今からでも遅くないなら』 『あのあとよく考えてみたらやっぱり黄瀬のこと好きかも』 『黄瀬、オレ、お前のこと、』 混乱した頭の中で、いろんな火神っちがオレに告白してくる。やめろって、オレのバカ!!火神っちが来た理由なんて、ただの部活関係の用事かもしれないし。でもこんな、連絡もなしにわざわざ会いに来るって。なんで。まさか。そんなわけないけど。 しかし校門をでたとこでオレと目が合った火神っちの表情を見て、オレのわずか数分間の幸せな妄想はガラガラと崩れた。なんてゆーか、申し訳なさそうな、気まずそうな。うわほんとに黄瀬が来た、みたいな、そういう感じ。照れとか恥ずかしさとか、そういう甘酸っぱい雰囲気じゃない。いくらなんでも、これは好きな人に会うときの顔じゃない。さすがにそれはわかる。 それなら一体何をしに来たのかっていうなら、思い当たるのはひとつしかない。きっと、火神っちはあの場から逃げたオレの気持ちに、とどめを刺しに来たんだと思う。走れなくなった馬がかわいそうだから殺す、みたいなそういう感じ。部活で流す汗とは違う、冷たい嫌な汗が背中を流れた。それでもオレはなるべく明るい声で 「急に来ちゃってどしたんすか、火神っち!!も〜、びっくりしたっスよ!火神っちがこっち来るのホントめずらしいっスね!」 と声をかけた。オレの変なテンションが気に障ったのか、火神っちは眉をしかめてちょっと不機嫌そうに、「…あんなふうに帰られたら誰だって気になるだろ。おまえメールしても返事しねえし」って言った。ねえ、誰だって気になるとか言うけど、オレは、告白して逃げた女の子が気になってあとで自分から会いに行ったことなんてないっスよ? 「ほら、お前こないだこれ忘れてったろ」 火神っちがそういって投げて渡してきたのはオレのタオルだった。そういえばあのときバッグだけ掴んで逃げたから忘れてたかも。 「あ、ありがと」 まさか、これ渡しに来ただけとか?こんなの律儀に持ってこないで、いっそ捨ててくれたらよかったのに。でも受け取ったタオルは火神っちが洗濯してくれたらしくて、ちょっと家のとは違う外国っぽい洗剤の匂いがして、よくわかんないけどオレはそれにドキドキしてしまった。なんだよ、もう。しかしそんなことにときめいてる暇もなく、急に火神っちが真面目な声で 「なあ、黄瀬、ちょっと話したいんだけど」 と言って、一気に心臓が冷えた。 ちょうどそのときあとからバスケ部のメンバーが何人かこっちに来るのが見えたから、オレはあわてて火神っちを校門からは陰になっている、駐車場だか自販機置き場だか粗大ごみ置き場だかよくわからない場所に引っ張り込んだ。ここならとりあえず人通りはないけど、こんなよくわかんない空間でとどめを刺されるなんて、オレの恋心はかわいそうにもほどがある。 周囲にひと気がないのを確認すると、火神っちは早速 「…このあいだの、ことだけどさ」 と、ゆっくり話し始めた。あーもうほんとに怖いッス。火神っちの顔が直視できない。というかもう火神っちの言いたいことはわかってるんスよ。お前のことそういう目で見れねえとか、他に好きなやつがいるとか、そんな話だろ、そんなんもうわざわざ言葉にしなくてもいいんじゃないスか。オレはとっくに察してて、もうアンタにはしばらく会わないって決意もしてんだよ。そりゃアンタは知らないだろうけどさ。メールに返信しない時点で察しろよ、バカガミ。何でこんなとこまで来てんだよ。ちゃんと話つけたいのかもしんねーけど、アンタのそういうトコが傷つけるんだよ、オレのこと。 「オレそういうの全然鈍くて……驚いちまって、返事の仕方、まずかったよな、ごめんな。でもオレ、今バスケが一番だから、誰かと付き合うとか、そういうコト考えらんねえ」 なにそれ。オレ、バスケに負けたの? でもどうせかわいい子から告られたら、こんな発言すぐ撤回するんスよね? どうせとどめをさすならそんなんじゃなくてもっと違うこと言ってよ、オレがウザくてイヤだとか、全然タイプじゃないとか、男はゼッタイ無理とか、キモいとか、オレの気持ちが望みを失ってすぐ死んじゃうような、そういうこと。 「でもこれからも黄瀬とバスケしたいし。ずっと無視とか避けられたりしたらキツいから、これからも……って、おい、泣くなよ、黄瀬」 「あはっ…何言ってんの、火神っち…」 何言ってんの、火神っち、泣いてねえよ。勝手に泣いてることにすんなよ。オレがアンタに本気みたいじゃん。うぬぼれてんじゃねえよ。オレがアンタのことそんな本気だったと思ってんの。 ――そう言いたいけどさっきからずっと喉の奥がふさがったみたいになって、苦しくて、うまく声が出ない。 こないだのあんなの、冗談だって。何本気にしてんだよ、火神、ばかじゃねえの。本気にしてるとかマジウケた。 ――早くそう言え、オレ。そしたら火神っちが「本気にしたのに」とか怒って、オレが笑って、ふざけて、全部おしまいになる。そうすれば、そのうち、きっと、こんな気持ちも忘れられる。でも、なんでか、全然、声が出せないんスよ。 オレが何も言えずにいたら、火神っちがちょっと近づいてきて、オレの濡れた頬を指でぬぐった。だからなんでこーいうことすんだよ。わかってねーだろアンタ。そういう振る舞いで、オレが何を思うのか。このまま死ぬべきだった感情が何を期待するのか。 それからオレの唇が震えながらやっと言葉にしたのは、かっこわるくて、どうしようもなくて、最悪な、死にかけの恋心の叫びだった。 「…じゃ、火神っちが『そういうコト』に興味出るまで、オレ、一番で待っててもいいっスか」 でも、火神っち、これはすべてオレの気持ちにとどめを刺さなかった、アンタの甘さのせいなんスよ。 Nov.9.2012 |