でも何週間か経ったある日の夜、俺の家で来客を知らせるベルが鳴った。俺はそのときひとりでゲームで遊んでいて、こんな時間に誰だろうと思いながらも玄関まで行ってドアを開けると、そこにいたのはイギリスだった。楽しんでいるときにはあんまり見たくない顔だ。 イギリスは顔を合わせるなり、俺の手に紙袋を押し付けてくる。 「…よっ、アメリカ。これ。やるよ。スコーン焼いてきた」 「頼んでないけど」 何度もぐいぐいと押し付けられて、俺は仕方なく紙袋を受け取る。 「いや、なんか…お前に悪いと思って。詫びだよ」 「……俺に悪いって、何の話だい?」 心当たりがない俺は聞き返した。それにしてもお詫びにスコーンって、そのセンスが信じられないよね。 「昨日、俺、日本の家行ってさ」 イギリスは照れているのか、うつむきがちに話す。なんだ、もうふたりは家に遊びに行ったりする仲なんだ。イギリスが押し掛けたのかな。日本が招待したのかな。どちらにせよ、俺の家にこうやってふらっと来るのと違って、イギリスにとっては大変な騒ぎなんだろう。 「日本といろいろ話してたら、こないだ会議のあとで言ってたマシンができたからお前にやったって話を聞いて」 俺のいないところで日本とイギリスが俺の話をしてるのは、なんとなく不思議なものだった。まあ、素直じゃなくて何をするにも言い訳が必要なイギリスのことだから、ひょっとして俺をダシにして日本と会ったりとかしてるのかもしれない。俺が黙って聞いているとイギリスはそのまま話を続けた。 「日本はそうとは言わなかったけど、お前が開発頼んだのって、前に言ってた、俺がお前の夢に出てきたのと関係あるんだろ? でも、普通に考えたら、俺がそんなに毎回出てくるなんて異常じゃねえか。トラウマってよく聞くし、もし俺が、お前が小さい頃にした何かが影響してるとかだったらって思って、俺、」 「…うるさいな!君には関係ない!」 思った以上に大声が出てしまう。だって、小さい頃、小さい頃って。俺はもう小さくないんだから、そんな話は聞きたくないんだ。そんなことをひとりで考えこんで、スコーン焼いて詫びにきたなんて、君は馬鹿じゃないのか。 イギリスは黙ってしまい、急に怒鳴った俺を驚いた表情で見ている。彼はなぜ俺が怒ったかも何もわかってないんだろう。その顔を見ていると、俺は無償に彼を傷つけたいと思った。思いっきり傷つけて、泣かせたい。だって彼は傷つけないと、俺がもう彼を傷つけられる大人であることを思い出してくれないから。 俺は深呼吸をして、彼が嫌がる話題を選んだ。 「……それよりイギリス、日本とデートできてよかったじゃないか!いい加減に君たち、キスくらいしたの?」 「な、なんだよ急に。俺と日本は、別に、そういう関係じゃねぇし」 そう言うイギリスの頬が目に見えて赤くなる。本当に単純な人だ。 「そういう関係じゃないって……イギリス、あらためて聞くけど、君は日本が好きなのかい?」 「それがお前に何の関係があるんだよ」 「関係あるよ」 「関係ねえよ」 「関係あるんだってば。だって、俺が日本と話してるだけで、横目でちらちら見たり、途中で口出したりしてきてさ。『そう言う関係』じゃないって言うわりには独占欲丸出しだよ。君はいったい、日本をどうしたいのさ?束縛して、君だけの言うことを聞くように従わせたいの?」 イギリスの表情が曇る。認めたくないだろうけど、否定もできないんだろう。 「………それは、そう見えるなら、今後気をつける」 緑色の目が悲しげに揺らいで、彼を傷つけられたことに俺の心は高揚する。 「でも、俺は別に、日本を束縛したいわけじゃねぇよ」 まじめくさって続けられたイギリスの言葉を、俺は鼻で笑った。 「はは、あんなに帝国主義で世界中で好き勝手してた君なのに、よく言うよ」 視線を下げていたイギリスが向き直った。もう少しで涙をこぼすかに思えた瞳が、案外に力強い光を持って俺を見つめ返す。 「…お前も、日本がもう俺が好きなようにできるような小国じゃねえのは、わかってんだろ。それに、俺もあのときとは変わったんだ。ちゃんと向き合って、対等な関係で、日本の気持ちを尊重していきたい、と思う。それを日本がわかってくれて、いつか、俺を好きになってくれたら…」 イギリスは俺に向き合いながらも、自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりとそう話した。でも俺は君のそんな決意を聞きたかったわけじゃない。対等?気持ちを尊重?好きになってくれたら?そんな言葉が君の口から出るなんて、全然似合ってないよ。気持ちが悪いよ。俺はなんだか喉の奥がふさがれたような息苦しさを感じた。苦しい。もっと、もっと、イギリスを傷つけたい。何もかも否定したい。でもどうやって。 「……そんなの、無理に決まってるよ。君は昔と全然変わっちゃないさ。だって、」 だって、君は、君は。いつまでたっても、俺を小さな弟としか、見てくれないんだから。 思わずそう続けそうになった言葉を、俺は飲み込んだ。 神妙な顔で話の続きを待ち受けているイギリスの肩をつきとばし、外に押し出すと、すぐにドアを閉めた。イギリスは「おい、アメリカ!どうしたんだよ」と向うからドアを開けようとするけど、俺は返事をせずに鍵を閉めて、その場に座り込む。息が苦しい。目の奥が熱い。 そんな、日本とだけ、ちゃんと向き合うなんて、ずるいよ。君の重い愛情で日本のことも束縛して、苦しめてしまえばいいのに。俺がそうだったように。それで日本もすぐに君にうんざりして、君を見棄ててしまえばいいのに。君なんて、みんなから嫌がられて、ひとりになればいいのに。 俺は両膝に顔をうずめて、神様、と呟いた。もう願いを叶えてくれるなら、誰だっていい。数えきれないほどいるっていうなら、この際、日本の神様だっていいよ。神様、神様。お願いだから、イギリスが俺をただの弟としかみていないうちは、どうか、彼の隣に誰も並ばせないで。 ドアの向うにいたイギリスも、しばらくするとあきらめて帰ったようだった。俺は彼が置いていったスコーンの包みを引っ掴むと、ベッドルームに行って、ベッドサイドに置かれたマシンにつっこんだ。それからイギリスの写真を探したけれど、写真立てには彼の写真なんてもちろん飾っていないし、今まで諜報目的以外で彼を撮った記憶もない。サイドボードの引き出しをひっくりかえすと、奥から、数年前に日本が最新型デジカメで会議後に撮った集合写真が見つかった。ずらりと並んだ各国の、一番左端にイギリスは仏頂面で立っている。よく見ると目が半開きになってるし、ひどい顔だ。そのすぐ右隣には、フランスがにやけた顔でうつっていて、俺はそれになんとなく腹が立って、イギリスだけをハサミで切り取った。その写真もマシンの中に放り込み、扉を閉じて、また適当にボタンを押して、俺は服を脱いでベッドにもぐり込んだ。 n e x t |