次の会議のあと、部屋を出ていこうとする日本を捕まえて、これから飲みにいかないかと誘った。
「ふたりでですか?」
「ああ、ふたりで」
「…なにか、大事なお話でもあるんですか」
日本がわずかに眉をひそめる。あれ、こいつ、嬉しくないのかな、とイギリスは心配になった。
「そういうわけじゃないが…。いやか?」
「いえ、いやではありません、が、ちょっと驚きまして。イギリスさんからのお誘いなんて、めずらしいですね」
「たまにはな。じゃあ、邪魔が入らないうちに行こうぜ」
アメリカがまだ会議室の反対側にいるのを横目で確認し、日本を急かした。

すこし後ろを歩く日本は、顔をみなくてもわかるくらい、ガチガチに緊張している。ふたりきりになって本音を知りたいと思ってたのに、これじゃ逆効果だ。静かな個室でも取れるレストランに行こうかと思っていたが、にぎやかなほうが気軽に話しやすいかもしれないと思い直し、イギリスがよく利用しているブリティッシュパブに連れて行った。
日本がブリティッシュパブは初めてでよくわからないから何でもいいというので、泡で四ツ葉のクローバーを描いたギネスビールをカウンターで注文してテーブルに持っていくと、大喜びした。ほんとにこいつ、こういうかわいいものが好きだよな…男のくせに…とは思ったが、緊張がほどけたのが見てとれて、ほっとした。

しばらく世間話をしていたが、そういえば恋愛関係の話をして日本の反応を見ろと妖精が言ってたっけ、と思い出し、無難なところから聞いてみることにした。
「日本、おまえって今恋人とかいるのか?」
「えっ!?」
泡のクローバーを消さないように注意深く飲んでいた日本が、あからさまにびくりと身体を震わした。あ、やっぱり、動揺してんな、とイギリスは内心ほくそ笑む。
「おまえのそういう噂って聞いたことないけど」
「…残念ながら、いませんよ」
「好みのタイプとかあるのか?」
「えっ………私の、好みですか?」
「そうだ」
「…なぜお知りになりたいんですか?」
「いや、別に。ただ聞いてみただけだ」
「そうですか。そうですね……あー…………大和撫子ですかね」
「ヤマト?」
「清楚な日本の女性を、撫子という花にたとえてそう呼ぶんです」
知らない花の名。自国の女性。日本が動揺してる様を楽しんでいたイギリスにとっては意外な答えだった。
「え、日本人の女じゃなきゃ嫌ってことなのか?」
「いえ、じゃなきゃ嫌というわけではないですけど……」
つい咎めるように言ってしまうと、日本は慌てて否定した。
「じゃあ、もっと広い範囲で言えよ」
「………………では、誠実なかたですかね」
日本は随分悩んだ挙句、耳まで赤くなりながら、消え入りそうな声で答えた。イギリスは、はたして俺は誠実なんだろうか、と自問する。よくわからない。まあお子様なアメリカや不埒なフランスにくらべたら、誠実ってことにもなるのか。一応、紳士の国ってことになってるし。
「ああ、もう、私のことはいいとして。そういうイギリスさんは、タイプとかあるんですか?」
「俺は、む…」
「む?」
「む…む…昔っぽくて………えーと、あと、一途なやつが好きかな」
危なかった。よりによって男である日本の前で『胸がデカいほうが好き』などと言ったら悲しませてしまうではないか。それにしてもちょっと無理がある言い逃れだっただろうか。昔っぽいってなんなんだよ、と自分で言っておいてそう思う。
「昔……というと伝統を重んじるかたということですか」
「そう!それだ!」
「伝統ですか。イギリスさん自身もそうですものね。それに加えて一途とは、意外ですね」
「ああ、こんだけ長く生きてると、もう、外見とか…人種とかはあんまり気にしなくなってきた」
このひとことは、ちょっと日本にサービスしすぎだろうか、とイギリスは思う。いや、でも、性別を気にしないとまでは言ってないから、意図はバレてはいないはずだ。

それからビールも何杯目かになり、口も軽くなってきたので、イギリスはこのあいだ妖精に聞かれて気になっていた疑問をぶつけることにした。
「今日もスイスに自分の意見言えって叱られてたな」
「あれは、まあ、いつものことですから」
「おまえってさ、もしアメリカに付き合ってくれって言われたら、付き合うのか?」
「はい?」
「恋愛的な意味でもアメリカの言いなりになるのかってことだよ」
「……いったいどうしてまたそんなことを思いつくんですか」
普段は感情がわかりにくい日本が、本当に心外だと言わんばかりの顔をしているので、気分を害するくらいなら聞かなきゃよかったかな、とイギリスは思う。さっきまで楽しく飲んでいたのに。
「別に、なんとなく、思いついただけだよ」
「アメリカさんの言うことはたいていお受けしたいとは思ってますが、さすがに恋愛的な意味でのお付き合いは、お断りさせていただきますよ。アメリカさんと私、そんなふうに見えましたか?」
「いや、見えないけどよ。ちょっと気になって」
「アメリカさんとは親しくさせていただいてますけど、本当に、そういう関係になったことは一度もありませんからね」
怒らせてはしまったようだが、日本の口から強い否定の言葉が来たことに、イギリスはすこし安心した。

その後も何かと話していたら、すっかり遅くなってしまった。
店を出て少し歩くとすぐに分かれ道に来たので、立ち止まる。送ってく…とまではする必要ないよな、こいつも男だし、とイギリスは思う。深夜。ぼんやりと灯るオレンジ色の電燈の下。周囲には他に誰もいない。
「今日はありがとうございました。失礼します」と言って去ろうとする日本を、イギリスは反射的に引き止めてしまった。つかんだ日本の手は、ひどく冷たい。
「おまえ、俺に何か言いたいこととか、ないのか。次に会うの、また、何ヶ月か先になるぜ」
イギリスがそう聞くと、日本は一瞬驚いたように目を見開いたが、次の瞬間にはにこりと笑って
「…いいえ、特には。でも、そうですね、ひとつ言うなら、クローバー、かわいかったです。ありがとうございました」
と返した。その笑顔は、いつもの表情の読めない、それだった。





「やっぱりあいつ俺のこと好きなんじゃないかな」
翌日の午後、ガラス製のティーポットの中でゆらゆらと揺れる茶葉を見つめながら、イギリスが呟いた。
「あいつ?」
「こないだ言っただろ、日本だよ」
「ああ、あのひとね。そういえば昨日会ったんでしょ?どうだったの?」
前と同じ妖精が、今度はフルーツケーキを食べながら聞いてくる。それはレーズン、ブラックカラント、オレンジピールなどをやまほど詰めてイギリスが数日前に焼いたもので、ちょうど生地がしっとりと落ち着いて食べごろになっていた。
「ふたりで飲みにいったんだけど、やっぱり、恋愛関係の話をふったら明らかに動揺してたぜ」
「へえ。誘ったときはうれしそうだった?」
「うれしそう、ていうか、すげー緊張してた」
「シャイな人ならそうなるのも仕方ないわね」
「でも、別れ際に、何か俺に言うことないのかって聞いたけど、別にないって」
「何か言ってくれるかと期待したわけ?」
ゆれていた茶葉がすべてポットの底に沈んで、イギリスは妖精の前に置いてあるティーカップにも紅茶を注ぐ。妖精にとっては浴槽のようなサイズなのだが。
「いや、なんつーか、シチュエーション的には言いやすいかと思ったから」
「ふうん」
「言ったらよかったのに。タイミング逃しやがって。ほんと、ばか」
「そんなに簡単には言えないわよ。ふられたらどうしようって誰でも怖いんだもの」
そういうものかもしれないが、怖がる必要なんてねーのに、と日本に言ってやりたかった。




n e x t