「もう三週間ほど前になりますでしょうか。記憶喪失になる前の週、イギリスさんからお手紙を頂いたんですよ。これです」
と言って、日本は胸元から白い封書を取り出した。
「そんなとこに隠し持ってるんだ…。肌身離さず大切にってこと?」
 フランスは茶化したが、日本はそれを否定も肯定もしなかった。その封筒は、懐に入れていたせいか端のほうがよれてはいたが、紙は随分と上質で、裏返すと獅子とユニコーンの紋章が刻まれた封蝋で閉じられていた。
「随分あらたまった手紙だな」
「そうですね。内容が内容ですし」
「……何が書いてあるか、聞いてもいいの?」
「はい。お話しします。随分と長い手紙ではありますが、後半を要約して言いますと……イギリスさんとお付き合いすることを私が承諾するのなら、土曜の午後二時にイギリスさんの家に来てほしい、という内容です」
 そう言い切ると日本はため息をつき、封書の表面を一度軽く手で撫で、また懐にしまった。
「うわー…でも、その土曜って…」
「そうです。イギリスさんが記憶喪失になった日ですよ」
「それで?」
「私は、イギリスさんの家に行かなかったんです」
「………行かなかったんだ?」
「正確には、行ったんですが、玄関先で気が変わって引き返しました。なので、イギリスさんが記憶喪失の原因になるスコーンを焼いてたのは私が来訪する予定だったためです。夜になるまで発見されなかったのも、私が行かなかったからです」
「どうして行かなかったの、だって…」
 その先をフランスは敢えて言わなかったが、日本は自分のイギリスへの好意もフランスにはとっくに知られていることは気づいていた。
「……なぜでしょうね。関係が変わるのが怖かったこと、今でなくても大丈夫、という甘えがあったんです。イギリスさんがこうして記憶喪失になるとわかっていれば帰らなかったと思いますが、そんなのはもう後の祭りですよね」
 日本は自嘲の笑みを浮かべる。
「イギリスさんに打ち明けるのはもう少し落ち着いてからにしようと思っていたのですが、私がそんな好意に価するような人間でないということは、今のうちに言っておいたほうがいいでしょうね。いずれ正式に謝罪して、治療費と入院費は持つつもりです。あとは、もう私とはお会いしないほうがいいと告げるつもりです」
「ちょっと待ってよ。スコーンはあいつが勝手に作ったんだし、記憶喪失自体もあいつが転んだせいなんだから、日本は別に直接の原因ではないでしょ」
「そうだとしても、今のイギリスさんとこれ以上親しくなることは、記憶喪失以前のイギリスさんに申し訳が立ちません。イギリスさんが忘れてしまったのなら、私は以前のイギリスさんを、忘れずにいくべきだと、思うんです。今回に限らず、これまでイギリスさんの気持ちにずいぶんと知らないふりをしてきたんですから、私も何かの罰を受けるべきです。本当は、記憶喪失以前のイギリスさんが、私は、す、好きでしたのに」
「ちょっと、日本…。ほら、そんなに思い込まないで…」
 話を続けるうちに日本の頭はどんどん俯きがちになり、フランスはそれを止めようとして身を乗り出して座卓越しに日本の肩をつかんだが、その力で日本の顔はさらに下を向いた。
「いいんです、私は、もう」
「ああああ、もう、わかった、仕方ないよねこれは、うん」フランスは髪をかきあげて、あーあ…、としばらくうめいて悩んだあと、言った。「あのね、あいつはもう忘れてなんかないの」
「……はい?」
「もう、記憶、戻ってるんだよ」




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