ことの始まりは、俺がイギリスの家で見つけた、古い妙な人形だ。木製で、黒くて、ジャングルの住民みたいな姿が緻密に彫られているのに、なぜか不格好なまでに眉毛が飛び出ていた。見つけたときはほんとに吹き出したよ、だって、これを、あのイギリスが持ってるなんてさ。俺はちょうどその週末に日本の家に泊まりに行こうとしてたから、これはもう借りて絶対見せるしかない!と思ったんだよね。 「あ、そうだ、見てくれよ、これ、イギリスに似てるだろう、ほら」 そして予定通りに日本の家に来た週末、そのことを思いだした俺は、例の人形をバッグから取り出して日本に見せた。 「どうしたんですか、これ」 「イギリスの家で見つけたんだ!」 「そうですか……」 「ここなんか、彼にそっくりだろ」 「…笑っちゃ悪いですよ」 そういう日本も、俺が人形の立派な眉毛を指差したら、必死に笑いをこらえていた。うん、絶対笑ってくれると思ったんだよ。普段あんまり表情のよくわからない日本が口に手を当てて肩を震わせて笑いをこらえてる姿は、人形の滑稽さとは別の意味で俺をなんだか楽しい気持ちにさせる。 でも、そんな気持ちもつかの間、俺と日本は同時に「あっ」と声を上げていた。何度かさわったせいか、人形の眉毛が見事にぽろりととれたからだ。 すぐに日本が「何かないか、見てきます…アロンアルファでくっつくでしょうか…」と言って他の部屋に探しに行って、俺は客間に一人残された。イギリス、俺が壊したなんて知ったら怒るかな。俺、壊すなんてつもりじゃなかったんだけどな。ちゃんとくっつけばいいけど。でも眉毛が取れて、人形自体は前よりハンサムになってると思うんだけどな。俺が女の子だったら絶対そう思うよ。俺は人形を抱えたまま、畳に寝転がった。 はっと気づいたら、やっぱり俺は客間の畳に寝転がったままで、あ、今、俺一瞬寝てたかも?と思った。時差ぼけかもしれないけど、昨日も夜遅くまで日本と起きてたしね。まあ、あんまり人には言えないことをしてたわけだけどさ。俺と日本がそういうことになってしまったのは、割と最近のことだ。休日をいっしょにだらだら過ごすことや、俺が日本にわがままをいうこと、親愛のハグ、そういう今まで俺たちのあいだに普通にあった他愛もないことを、恋人同士での意味合いにパラダイムシフトさせたのは日本のほうだった。そして俺は日本のほうから初めて伸ばされた手に、なんていうか、すごくドキドキして、そういうのもありなんだなって思ってしまった。 それから、あまり見た目には変わってないけど、俺たちの間にはたまに恋人同士らしいことが発生するようになった。 日本はさっき接着剤を探しに行ったままなのか、まだ戻ってこない。だいたい勝手に接着剤でつけていいものなのかもよくわからないのに(この人形、意外と価値があるかもしれないじゃないか)、ああ見えて結構気が動転してたのかもしれないな。それにしてもなんだかさっきから胸が苦しい。何か変だ。いやだな、俺の家で何かあったとか?日本、早く戻ってきてくれないかな。人形の件は、君が責任なんか感じなくても、俺がイギリスにちゃんと言えば、それでいいんだからさ。 息苦しいのが治らなくてなんとなく寝がえりを打ったら、縁側との間にある窓ガラスに映った姿を見て呆然とした。なんていうのかな、映ってるのは俺のはずなんだけど…女の子にしか見えないんだよ。起き上がると、髪が肩のあたりまでふわっとして、さっきまで息苦しいと思ってた胸には見慣れない山ができていたのに気がついた。…これ、どうしよう。 「…にほーん……あれ?」 とりあえず日本を呼んでみたけど、いつもと明らかに自分の声が違うのにまたびっくりして、途中で止めてしまった。 「はい、呼びましたか?セメダインならありましたけど古いので固まってて使えないかもしれません―――」 パタパタと足音が廊下から聞こえたあと、片手に接着剤を掲げながら日本が戻ってきた。でも、部屋に入った瞬間、俺を見るなり、目を見開いてわかりやすすぎるくらいにフリーズした。 「日本、俺、なんだか変なんだけど」 「…あの、恐れ入りますが、どちらさまでしょうか?」 「俺だよ!アメリカだよ!」 いつもと違う声に違和感を感じながらもできるだけいつも通りに答えると、日本が床に接着剤を落とした。俺の足元に転がってきたそれを拾おうと思ったら、俺の腰からもぶかぶかになってしまったジーンズがずるっと落ちた。こういうハプニングを見たら日本は赤くなっちゃうかなと思ったけど、日本の顔色は真っ青だった。仕方ないか。パンツが男ものだし、さすがにこれはときめかないよね。 ド ラ マ の な か の ふ た り ぴんぽーん、とのんきなチャイムがきこえると、日本はあわてて立ち上がって「きっとイギリスさんですね」と玄関へ出迎えに行った。 俺の変化の様子を見て、真っ青になってしまった日本は、俺の身体が女の子になってしまった以外におかしなところはないか(たとえば具合は悪くないかだとか、記憶はちゃんとあるのかとか!)さんざん問いただしてきて、それからあちこちに電話をかけて米国経済や政治は大丈夫なのかだとか確認して、他になにもおかしいことがないとわかると、ついに俺たちはひょっとして俺がついさっき壊した人形に何か仕掛けがあったんじゃないかという、どうしようもなく非現実的な結論に至った。こういうぶっ飛んだ事件についての専門家を俺たちはひとりしか知らない。同じように思ったらしい日本が「…イギリスさんにお聞きしましょうか」と言って、結果的に、俺としてはあまり頼りたくない人物を頼ることになった パニック状態に陥った日本の電話での説明は、時間がかかったみたいだった。でも、イギリスは俺が女の子になったなんていう天変地異なニュースも、驚いてはいたみたいだけど特に疑いもせずすんなり受け入れて、とりあえず対策を練りに来てくれることになったようだった。頼りになるというか…こういう妙な事態に慣れてるっていうのも考えものだよね! さっき借りた、日本愛用のジャージに顔を埋めると、日本の匂いがした。女の子になってそれまで履いてたジーンズがぶかぶかになっちゃったから、(とはいえ、俺はまだ日本よりすこし高いくらいの身長なんだけど)日本に「とりあえず君の服を借りてもいいかな」と聞いてみたら「じゃあ、これを着ていてください」と、このジャージを渡されたんだ。 上は暑いからTシャツだけでいいって言ったのに、日本は「そういうわけにはいきませんよ」と無理やり上着も着せてきた。…うん、自分で言うのもなんだけど、なんだか胸が邪魔なくらいに大きいからね。Tシャツだけだとやっぱり透けるから、日本も気になるんだろう。そういうことを気にする日本って、なんだか新鮮だな。 それにしても、イギリスを迎えに行った日本が遅い。先に話しこんでるんだろうか。俺がいないとこで二人でひそひそ話すなんてなんだか気に入らないんだぞ、そう思って茶の間から廊下をのぞくと、ちょうど廊下を歩いてきたイギリスと目があった。軽く手をあげて、「ハイ」と挨拶してみる。 イギリスは眉をしかめたけど、「…お前、アメリカか?」と言ってきた。 「そうだよ。よくわかったね、イギリス」 暑いのにきっちりしたスーツ姿のイギリスは「なんかお前の匂いがしたから」とちょっと気持ち悪いことを言って、俺の向かいに座った。そのあとすぐ、お茶を持った日本が部屋に入ってきた。 さっそくイギリスは俺が壊した人形を手に持ち、真剣な表情で、持参してきた古くてボロボロの本と見比べはじめた。俺もちょっとのぞいてみたけど、英語じゃない、見たこともないような文字とおどろおどろしい図形ばかりが書かれていて、まったく理解できなかった。イギリス、こういうとき、ほんとに君を遠くに感じるよ…。 「ねえ、この人形について、なにかわかったかい?」 「んー、たぶん海賊時代に中米のどっかから持ち帰ってきたもんだと思うんだが…」 うわっ。それって、つまり、パイレーツオブカリビアンみたいな展開になるってことかい?映画だとクールだけど、自分の身に起きると厄介だな。解決するまで何シリーズも続けなきゃいけないみたいだし。 「まったく、きみが世界の宝を好き放題もって帰るからこんなことになるんだぞ!」 「その宝をうちから勝手に持ってったお前が言うな」 「俺はちゃんと君に聞いたよ。君が酔っ払って覚えてないだけじゃないか」 それは事実だ。俺は「これ借りるね」って一応聞いたけど、イギリスはウイスキー片手に朦朧としてアメリカのバカバカバカバカとただつぶやいてた。まあ、それはいつものことなんだけどね。 ちゃんと確認したよという俺の主張をあっさり無視して、イギリスは「お前の体、昨日の夜までは何も異変はなかったのか?」と聞いてきた。 「うん。そうだよ。だって、つい昨日の夜まで俺は日本と」 「あああ!お茶いかがですか?イギリスさん」 それまで黙っていた日本が急に割り込んできた。日本は耳を赤くして、まだ大して減ってないイギリスのカップにどぼどぼとお茶を注ぎはじめる。別にそんなに意識しなくたって、昨日の夜ここできみとイチャついてたことなんて言わないよ。イギリスに言ったら、どっちに妬いてんだか知らないけど、絶対うるさいからね。 「じゃあやっぱり、今日これを壊したあと急に女になったってことなんだな」イギリスはお茶がなみなみと注がれたカップを、飲みにくそうに持ちながら言った。「…で、お前はどうなんだ?日本」 「私がどうかしましたか?」 「だから、お前は、女になったりしてないのか?」 「…なってませんよ。まず見た目でわかるでしょう」 「そうか…いや、ただ、念のため確認したほうがいいかと思ってだな」 「はあ」 「…なんでアメリカだけで、お前は変わらなかったんだろうな」 「さあ、そのときちょうど違う部屋に行ってたからじゃないですかね」 日本がきっぱり答えても、イギリスはなんだかまだブツブツ言っていて、やたら残念そうだった。何を考えてるんだか想像はつくけど、あまり理解はしたくないな。どうせ日本も一緒に女の子になったとこが見てみたかったとかそんなもんだろう。このひと、ほんとに、欲望が露骨すぎるよ。 いろいろ調べてはいたみたいだけど、結局イギリスは、持ってきた本じゃ解決法が見いだせなかったらしく、「家帰ってまた探してみるけど、わかんねぇな、そういう資料があるか。明日また連絡する」と言った。人形も持ち帰って、適切な修理なり、適切な呪詛返しなり、してくれるらしい。荷物をまとめて立ち上がると、イギリスは俺に「で、どうすんだ、お前」と聞いてきた。 「どうって、なにがだい?」 「今日は、家、帰るのかよ。…帰るなら送ってやるけど」 なんだい、ほんと、急に優しくなって気持ち悪いなあ! 「別にいいよ、俺は今日も日本の家に泊まるからね」 「ああ、そのほうがいいかもな。じゃ、日本、アメリカをよろしくな」 「…はい」 そのあと日本が玄関までイギリスを見送りに行ったから、俺もついて行った。靴をはくと、イギリスは急にこっちを向いて、俺の肩に手を置き、目を見て「アメリカ、姿は変わってもお前はお前だからな」と言った。なんだろう、俺が落ち込んでるとか思ってるのかな。それとも今の俺がかわいいから、やさしくしてくれてるんだろうか。 それだけ言って、イギリスは帰って行った。ほんとに俺を元に戻す方法を探してくれるんだろうか。今日話しているときいつもより目が合わなかったのは、たぶん、俺の胸を見ながらしゃべってたからだと思う。とんでもないエロ大使だ。まさか、元に戻る方法じゃなくて胸をさらに大きくする方法とか調べたりしないだろうな。…いや、彼ならやりかねないんだぞ。ほんとに、早めに独立しといてよかったよ。 イギリスが帰ると、日本がうしろから「あの…今日も泊るつもりなんですか?」と声をかけてきた。そういえばさっきとっさにイギリスにそう答えたけど、日本の承諾をもらってなかったや。 「ダメだったかい?」 「いえ、そういうわけでは」 「もともと一週間くらい日本の家にいたいと思ってたんだ。仕事もひと段落ついてるし」 「あの、私は普通に仕事あるんですけど」 「ちょっとくらい休んでくれよ!だいたい俺の非常事態の時にそばにいてくれるのだって立派な国際関係の仕事じゃないか。非常事態だって、上司にそう言ってみてくれよ」 「…そう言われてみれば、そうですかねぇ…」 俺のわがままを真面目に受けて、日本はそのあと何人かに電話をかけたあと(電話で相手から姿は見えないというのに、日本はオジギばっかりしていた)、「緊急事態ということで、一週間くらいなら大丈夫そうです」と言った。けっこう、言ってみるものだね、わがままって。 性別が変わっても、日本の家ですることは変わらない。ゲームして、漫画読んで、ごはん食べて、アニメのDVD見て、ゲームする。そのループだ。お風呂に入ったとき、自分の身体をあらためてすみずみまで見て、いろいろ発見したことがあったけど、それを日本にくわしく報告しようとしたら、日本は耳をふさいで「そういうことは言わなくていいですから」と遮った。 あとはもう寝るだけって感じになって、俺が畳の上に寝っ転がって漫画を眺めていたら、すぐそばで洗濯物をたたんでいた日本が「早く戻れるといいですね」と急につぶやいた。 「そうだね、でも俺はせっかく女の子になってみたんだから、これはこれで楽しみたいなぁ」 「のんきなものですね」 「…ねえ、君が好きな格好してあげてもいいんだよ」 「はい?」 「君、好きだろう?ほら、メイドとか、制服とか、コスプレみたいな、そういう格好。今の俺、すごく似合うと思うぞ!」 「…いえ、あの、二次元と三次元は別ですから」 「なんだい、せっかくなんだから、楽しめばいいのに」 「楽しめませんよ。これは、アメリカさんの身に起こった非常事態なんですから」 日本はちょっと真面目な顔になって答えた。でも俺だって別に冗談で言ったわけじゃない。女の子になれるなんて、人生でそんなチャンス、普通はないよ。せっかくなんだから俺は楽しみたい。いろんな意味でさ。そしたら女の子の気持ちもわかるかもしれないし、それって人間としては成長につながるんじゃないかな…なんてそこまで真面目に考えてるわけじゃないけどね。少なくとも貴重な機会であることは確かじゃないかい? 俺は寝転がったまま、日本に手を伸ばして、洗濯物を畳んでいる日本の手をつかんで、ちょっと静かな声で言ってみた。 「別に、したっていいんだよ」 日本がせっかくたたんだ洗濯物をばさりと落とした。間接的な言い方じゃ通じないかなと思ったけど、十分通じたみたいだ。 「君だって、もともとゲイで男が好きだったってわけじゃないだろ?今の俺なら浮気になるわけじゃないし」 「…やめましょう、何が起こるかわかりませんよ」 「日本は慎重だね!」 日本は立ち上がろうとしたけど、俺はつかんだ手に力を込めて、ひきとめた。 「あなたの身にいったい何が起きてるかもわからないのに、体に負担のかかる行為はよくないですよ」 「驚いたな。君って、紳士なんだね。イギリスとは大違いだ」 「イギリスさんがどうかしましたか?」 「今日、俺の胸ばっかり見てたよ」 「えっ、ああ、それは、まあ」 日本は小声で、なぜだか今日は私も胸のあたりをずっと見られていたような気がします、と言った。…イギリスは本当にどうしようもない変態だ。たぶん、日本がほんとに女の子になってないのか、確認したかったんだろうな。 俺はさっきはちょっと試しに誘ってみただけで、そこまでどうしてもしたいと思ってたわけじゃないけど、あいにくイギリスの話をしたら、俺と日本は全然そういう雰囲気じゃなくなってしまった。独立したとはいえど、こういうときに元・保護者の話を持ち出すのはよくないな。あの眉毛を思い出すとどうしたってセクシーな気分にはなれないね。これが君の呪いだとしたらすごいよ、イギリス。効果は抜群だ。 つないだままの日本の手を引っ張って、「なんだか疲れちゃったな」と俺が言うと、日本は微笑んで「いろいろありましたものね。今日はもう休みましょう」と言った。 「うん。そうするよ」 「では、布団を敷いてきますので」 「…まさか別の部屋とか言うんじゃないだろうね」 「え…同じなんですか」 「嫌だよ!だっていっつも同じ部屋で寝てるのに、どうして今日はダメなんだい!」 日本は「だめってことはありませんけど」と歯切れ悪く言いながら目を逸らした。俺がもう一度手を握り締めて「頼むよ、俺はそりゃいつもはヒーローだけど、今日はヒロインになっちゃってるんだから、心細いよ!」と言うと、やっと「…同じ部屋でもかまいませんけど」と小声で答えてくれた。 日本が押入れから布団を取り出し、床に広げていく。俺はその様子をじっと見ていた。手伝いたくないわけじゃないけど、日本が布団を敷く様子って言うのは、けっこう見ていて楽しいんだよね。さっと布団を取り出して、ささっと広げて、シーツのしわをぴんと張って。無駄のない動きをするなあ、といつも感心する。 敷かれた布団にもぐりこむと、日本が電灯から垂れている細いひもをひっぱって、電気を消した。隣の布団にはいった日本のほうを向くと、日本は反対側を向いてしまって、俺からは後頭部しか見えなくなった。 「…ねえ、俺は、俺が女の子になって一番喜ぶのは日本かと思ってたよ」 暗闇の中で、そんな言葉が自然と口から出た。だってそうだろ?きみ、よく金髪で、目と胸のでっかい女の子キャラクターを落とそうと必死じゃないか。まさに、今の俺みたいなさ。すると日本がこっちを向く気配があった。暗いから表情とかはよく見えないんだけど、こっち向いてるってだけでさっきより近くに存在が感じられて、ちょっとだけほっとする。 「喜びはしませんよ。早く戻っていただきたいです」 「そうかい?」 「そうですよ」と日本は言った。「だって……私の家に、ハイスクールのチアリーダー部で人気者とか、卒業式のパーティーでクイーンになりそうな容貌の女性がいるなんて、落ち着かないにもほどがあります」 「俺、そんな風に見えるかい?」 「ええ。プールサイドでパーティーしたり、オープンカーでデートの迎えに来てくれるアメフト部キャプテンの屈曲な彼氏がいそうに見えますよ」 「……」 うーん。確かにそういうのもハイスクールドラマなんかにありそうな部分ではあるけど、日本はなんだか俺に対して偏見を持ってるみたいだな。そんな偏見で勝手に卑屈になられても、俺だって困るよ。 俺は暗闇に手を伸ばして、つやつやした日本の髪をさわった。日本はびくっと身じろぎしたけど、逃げはしなかった。 「…俺がハイスクールのチアリーダーなら、君はミステリアスな東洋人の転校生だ」 「こんなじいさんが高校生とか、何の冗談ですか」 「外見からいったら君は十分高校生に見えるよ」 「嬉しくありませんよ」 「ほめてるんだよ!でも、そうやって考えると楽しいじゃないか、別人になったみたいで」 「今、別人なのはアメリカさんだけですよ」 「そうだけどさ!ただ、勝手に俺だけ急に遠い世界のチアリーダーになったなんて思わないで、日本だって何か別の役割を浮かべれば、今の状況だって楽しめるんじゃないかい?」 「…なるほど、アメリカさんにしてはいいことを言いますね」 日本にやわらかい声でそう言われると、ほめられたんだかなんなんだかよくわからないな。でもそのとき、日本の髪に手を伸ばしていた俺の手にそっと日本の温かい手が重ねられて、どきっとした。 「そうですね…転校生ポジションはおいしいですけど、私だったらたとえそんな青春真っ盛りのハイスクールに編入しても、オタクらしくひっそりとアニメでも研究してるでしょうね。私のような人間はいかにもいじめられそうですし」 「いじめは俺が許さないよ!…でも、アニメ研究部じゃ、チアリーダーの俺とはあんまり接点がなさそうだな」 「そうですね、アメフト部の取り巻きに囲まれたアメリカさんとは、廊下ですれ違うくらいでしょうね」 暗くて見えないけど、日本がそう言ってちょっと笑ったのがわかった。そうだね、そんな取り巻きに囲まれたら、背の小さい日本が通りすがっても、きっと俺には見えないんだろうな。 >> n e x t |