日本から電話で誘いを受けた。内容は、「今週の日曜、桜を見に行きませんか」というものだった。桜。俺のとこにも一応すこし生えてはいるが、誰よりも日本が愛し、誇る、うつくしい花だ。ずいぶん前から、そろそろですかね、今年の開花は早めかも知れません、などと気にしていたのを思い出した。 ぜひ見ていただきたいんです、と続ける日本の声はいつもより弾んでいて、もちろん俺にはそんな誘いを断る理由なんてない。行こう、俺も見たい、と俺が答えると、そのあと日本は「家まで迎えに行きますよ。車で」とさらりと、つけ加えた。 LOVESTRUCK ROMEOS1 「でも、見に行くのってお前の家のほうだろ?お前がわざわざこっち来たら、遠回りじゃねえか」 「気になさらないでください。私のわがままですし」 「いやでも遠いだろ」 「いいんです」 そんな問答を何度か繰り返したものの、結局日本は迎えに来ると言って譲らなくて、日曜の11時に日本が俺の家まで迎えに来るということで話がまとまった。じゃあ日曜な、と言って終話ボタンを押すと、携帯電話を握る手がものすごく汗ばんでいた。 いや、だって、日本が、そりゃ俺たちそういう関係になったけど。今のは、なんだ。迎えって。どういうことだ。いや、もちろん、意味はわかるけどよ。 行き場のない気持ちと答えのない問いが頭の中を駆け巡って、俺は携帯をソファに投げつけた。携帯電話はクッションに当たってバウンドして、ゴツンと音をたてて床に落ちる。その音で少しだけ我に返ったものの、やっぱり落ち着かない。とりあえず服を着て、落ちた携帯を拾い上げて、着信履歴を見た。そこに表示されている日本の番号をしばらく眺めたあと、俺は、他の番号を探して通話ボタンを押した。 「アロー?はーい、お兄さんです」 「おい、お前さあ…」 「ちょっ、お前、挨拶とか、せめて名乗るくらいしなよ」 「お前さあ…これまで、車で家まで迎えに来てもらったこととかあるか?」 「ねえ、ちょっと、人の話聞いてる?」 「あるかって聞いてんだよ」 「迎えって、なんの話?」 「だから約束とかして、わざわざ車で家の前まで迎えに来てもらったことがあるかって聞いてんだよいちいちグダグダうるせえなこの腐れワイン野郎」 「えーなにその言い方…。迎えねえ…うん、仕事でもあるし、デートでマダムに迎えに来てもらったこともあるかな」 「……お前とどこぞの人妻のただれた関係なんてどうでもいい」 「どうでもいいなら何で俺に聞いてくんだよ…で、何?誰か迎えに来るわけ?」 「……」 「あー、ひょっとして日本か?そうなんだろ、また日本と」 続くと無駄にからかわれそうな気配を感じて、俺はそこで通話を切った。そうか。普通はあるものなのか。いや、でも参考にした対象が悪かったな。あいつは普通じゃない。変態だ。変態は何の参考にもならない。 そりゃ俺だって、言われてみれば、家に迎えが来ることは仕事上ではあった気がするけど、そんな、恋人に迎えに来てもらったことなんてない。だいたい男なんだから、普通はむしろ迎えに行く立場だろ。 そもそも俺の人生からして、自動車が一般に普及したのなんて最近だしな。いやでも、馬車でも馬でもロバでもそんな経験ないか。 たとえ経験があったとしても、今回は、あの日本が俺を迎えに来るんだ。あんな遠くから。はるばる。ワイン野郎とどっかの人妻のただれた関係とは違う。どうせフランスの場合は、そのまま車の中でおっぱじめるだけだろう。日本はそんなんじゃない、だって聞いたか、あの控えめさ、「私のわがままですし」だとよ。声だけでもわかる、きっとあのいつもの、申し訳なさそうな顔をしてるんだろう。ああ、もう、なんなんだあいつ。でも、わかる。つまり、あいつは、俺のことを大切に思ってる。そういうことだ。 週末のことを考えていたら、その週はあっという間に過ぎた。日曜の朝、俺はアホみたいに早起きしてしまって、できるだけゆっくり朝食を食べて、新聞を読んで、庭に水やって、身支度をすっかり済ませても、まだ9時だった。日本が来るまで、あと2時間もある。時間がたつの遅すぎだろ。いっそ寝れば一瞬で時間が過ぎるかと思ってソファに横になっても、緊張しているのか、ちっとも眠くならない。でも目を閉じたまま、日本のことを考えてみる。 ああ、わざわざ迎えに来るって、ばかだよな、そんな手間かけて。別に俺はあいつの家に集合って言われたって、めんどくさいとも遠いとも何とも思わねえのに、俺のこと甘やかしすぎだろ。ほんと、どういうつもりだよ…いやどういうつもりも何も…まさか「そういうつもり」なのか? 家まで迎えに来て、帰りは俺を家まで送り届けたついでに、うちに泊まるとか。いや、それとも「遅くなってしまいましたねどうしましょうか」とか言って、結局夜はあいつの家に泊まることになるとか。あり得る。二番目のなんてものすごいあり得る。そういうつもりか。そうなのか。だって俺たちはすごく順調な感じはするけど、実のところ、そういう関係にまだ至ってない。日本が俺をそういう風に見てるってことは最初に押し倒された時からわかってるから、まだ何もしてないのがおかしいくらいだ。さすがにそろそろいいだろって感じがする。いや、実際のところ、俺は「そろそろいいだろ」って会うたびに思ってんだけど、いまいち日本がビビってるというか、はぐらかされるというか。でもさすがに今回はいよいよ来るのかもしれない、その日が。 ひょっとして、帰りのどちらかの家に寄るとかじゃなく、日本はフランスみたいに、車の中で何かしたいとかなんだろうか。可能性がないわけじゃない。日本は自動車生産大国なんだし、実は車に特別思い入れがあるっていう可能性もないわけじゃないよな。だいたい、ああいう静かな奴に限って、けっこうおかしな性癖を抱えてたりするもんだ。 『……実は、私、車の中が一番興奮するんです…おかしいですよね、こんなの』 『いや、全然おかしくねえよ、そんなん人それぞれだろ、俺は全然おかしいなんて思わない』 『イギリスさん…正直に話したら嫌われると思ってました』 『そんなんで嫌になるわけねえだろ…バカ』 『イギリスさん…』 『日本…』 …とかな。悪くないな。むしろいいような気がする。1000分の1くらいの確率なら、そんな展開も起こり得る気がしてきた。もしそこまで性癖が明確じゃなくたって、普通、車みたいな密室に好きなやつと長時間いたら、ちょっとはそういう気分になるはずだ。この場合の「好きなやつ」っていうのが、日本にとってはつまりは「俺」ってことで。…この二つを結びつけて考えると、いつでも甘ったるい痛みが胸に走ってしょうがない。 もし、万が一、日本が車中で興奮してしまうタイプだとしたら。ちょっといちゃつくくらいなら問題ないとしても、その先までしたいとなったら、野郎二人がわざわざ車みたいな狭いところでコトに及ぶってのもどうなんだろうな。そういう展開になって、そのときもし何かと車内の狭さだとか準備の必要性だとかが不便だったりしたら、「やっぱり男同士だとけっこう大変ですね」とか思われたりするんだろうか。いまさらそんなことで普通の男女の関係と比べられるのは本当に嫌だ。日本のことだから絶対に口には出さないだろうけど、心の中ですこしでもそう思われるのも絶対に嫌だ。でも日本ってけっこう想像だけたくましくて実戦経験少なそうだから、実際やってみたらそういうことを平気で考えそうな気もする。「意外に大変ですね」「イギリスさんのことは好きなんですけど、でも」「想像していたのとすこし違いました」、そんなセリフがあいつの声で頭の中で再生されて、背筋に寒気が走った。 まぶたを開けて時計を見ても、まだ日本が来るまでは時間があった。でも、嫌なことを考えてしまったせいか、ああちくしょう、こうしちゃいられない、という妙な焦燥感が出てきてしまった。何が起こるかはわからねえけど、念のためだ、準備しておくにこしたことはない。日本に「意外と面倒くさい」だなんて思われないためにも。 そう思って、まずは一度着こんだ服を脱いで、シャワーを浴びた。ちょっと普段はあまり気にしないようなとこまで洗っておく。あと、持っていかなきゃいけないものもあるよな。車の中汚れるのも嫌だろうから、タオルだろ。他には…日本がどう思ってるのかは知らねえけど、ゴムと、まあ、そういう、本番でコトがスムーズに進むような液体。これが必要な事態になっても、どうして俺がこんなローションを普通に持ってるのかと日本が変に勘繰らなきゃいいが。名誉のために言わせてもらうと、これはごく最近買ったものだ。 最初は財布だけ持ってきゃいいやと思ってたから、予想外に増えた荷物の行き場がなくなった。適当なサイズのバッグもないから、小さめの紙袋に入れて、中が見えたら困るから、袋の口を適当に折った。これで中も見えないし、ちょうどいいだろ。 そこまでしたところで、玄関のベルが鳴った。時計の針はちょうど11時を指している。見るまでもなく、日本だ。あんなに時間が経つのが遅かったのに、準備を始めたらいつの間にか2時間経ってたらしい。エントランスへ行き、深呼吸して扉をあけると、予想通り、そこには日本が立っていた。 「おはようございます」 「…おう、おはよう」 「…」 「…」 「…ええと、早速ですけど、そこの道に車止めてるので、行きましょうか」 「あ、ああ。準備できてる」 紙袋だけひっつかむと、外に出て玄関の鍵を閉めた。…なんだか、妙に照れる。そういえば、飲みに行くとか、会議のあとだとか、お互いの家だとかで会ってはみたけど、こうして白昼堂々ふたりで出かけるというのは新鮮だ。しかもなんだか今日の日本はいつもと違う感じがする。俺が意識しすぎとか、そういうことではなく。なんだこの違和感。…ちょっと服の色がいつもより明るいからか?ジャケットでも、普段よりカジュアルというか、ラインが違うというか。どっかで見たことあるような気もする。車のキーを片手に先を歩く日本の背中をじっと見て、はたと気がついた。 「…おい、日本、それ」 「なんですか?」 「その服」 「…早いですね、気づくの」 「セルフリッジのショーウィンドウで見た。新しいやつだろ。…買ったのか?」 「…すみません、年甲斐もなく」 何か見覚えがあると思ったら、うちのとこのブランドの服だった。デパートで見かけた、背中にひっそりとユニオンジャックみたいなステッチが入ってるジャケットだ。よくみたらいつもより派手なシャツも同じ店の新作だし、下もそうだった。おいおい。全身かよ。だから普段とちょっと違うように見えたのか? 俺の指摘が恥ずかしかったのか、日本は目を逸らして「かわいかったんで、つい」とか「年齢的にアウトですよね」とか「そうですよね似合いませんよね!ハハ」とか小声でブツブツ言い始めた。顔はうつむき加減でも、耳まで真っ赤になっているのがわかる。 「いや、いいけど…お前さ…国なのにいいのか?そんなアイデンティティで」 「私の国でも人気ですし、別に問題ないかと…。でも、やっぱりやりすぎでしたよね…イギリスさんが着てこそ似合いますし」 「いやお前も似合う。すげえ似合ってる」 それは本音だ。いつもの着物や落ち着いたスーツもいいけど、日本は細身だし姿勢がいいから、そういう遊び心があるのも似合うじゃねえか。しかもそれがうちのとこのブランドだっていうのは、普通にうれしい。それにあの背中の、ユニオンジャックのステッチ。日本が俺に会うのにこれを着てきて、俺のことを意識してないわけがないだろ。つまり今日の日本は英国領…だっていうのは考えすぎか? 俺の褒め言葉に、日本はどうも、と小声で答えて、それでもやっぱり恥ずかしそうに身を縮こまらせた。わざわざ着てきたくせに、なんでこいつはここまで恥ずかしがるのか。もっと普通に「好きなので着てみました!似合いますか?」みたいな感じでもいいだろと思うんだが。アメリカだったら俺が気づく前に自分から言うだろう。今みたいな態度を取られると、妙にこっちのほうがこっぱずかしくなってくる。いや、別に、こういう態度も悪いってわけじゃないんだけどな。 「……ええと、私の格好はともかく、イギリスさん、あの…その袋」 「え、これか?」 "そういう事態"のためのグッズしか入っていない紙袋を急に指摘されて、一瞬背筋が凍った。 「中身、何ですか?」 「いや、これは、別になんでもねえよ」 のぞきこむようにされて、俺はあわてて紙袋を背後に隠した。今はそう答えるしかない。これは、万が一、そういう雰囲気になったときにしか活躍しないものだ。俺の答えに日本は眉をひそめ、首をかしげて、「まさか…食べ物、ですか?」と聞いてきた。 「…違う」 言われて初めて気づいた。そうか。2時間ヒマがあったなら、菓子を作るとか、そういう時間の活用方法もあった。 「そうですか」 「…なんか作ってくりゃよかったな」 「いえ、ぜんぜん大丈夫です!まったくお気遣いなく!ただ、私、今日、お弁当作ってきたので、ふたりとも持って来ていたら多すぎるかもしれない、と心配になっただけです!」 「…そうか」 「ええ!」 なんとなく遠まわしに(しかし力強く)俺の手作りを否定された気もするが、日本は今日わざわざ迎えに来た上に弁当まで作ってきたのか…。いたれりつくせりすぎるだろ。俺は今朝はお前と車でやることしか考えてませんでした。とは絶対言えねえな…。 日本の車は意外と小さめで、中に乗り込んだらさらに狭く感じた。俺が何か言う前に、「道が狭いので小回りが利くほうがいいんです」と日本は言った。そういえばこないだこいつのとこの高級車、リコール問題とかでアメリカにすげえ怒られたりしてたよな。それとは別なのかもしれないが、日本としては触れられたくないかもしれないので、俺はそのことは黙っておいた。 それよりこの車だと、俺が日本の上に乗っかったりしたらやっぱり頭ぶつけるよな…。いやでも後部座席にふたりでわざわざ移動っていうのもなんか違うだろ。頭ぶつけながらするほうがまだ燃える。あと、シートベルトってじゃまだよな。まあ、使い方によっては楽しそうでもあるけど…。 俺がそんなことを考えてるうちに車はいつの間にか出発していた。日本は気候のせいか春のせいか、それとも花が楽しみなのか、いつもより上機嫌で、「ちょうど今日あたりで満開だと思うんです」とか「今年は寒い日もあったので例年よりも長持ちするはずです」とか話している。ふたりきりの狭い空間だというのに、雰囲気も、すこしだけ開けた窓から入り込んでくる風も、想像以上にさわやかで、俺が想像していたような後ろ暗い情欲なんて入り込むすきもないようだった。 >>LOVESTRUCK ROMEOS2 |